この五月に亡くなった加藤典洋氏の『日本風景論』(講談社文芸文庫2000)を読んでいると、というか、そこに収められた「武蔵野の消滅」なる論考に惹かれて読んでみると、国木田独歩の「忘れえぬ人々」にも言及していたので、嬉しくなった。
加藤氏は木股知史氏の論を援用しつつ、柄谷行人氏が「風景の発見」で論じた二つの風景――「明治期以前に、見出されるまでもなくあった風景」と、「新たに見出された「風景としての風景」」――のほかに、「第三の「風景」」、すなわち「たんなる風景」というものが明治初期に見出されたのであって、「忘れえぬ人々」にはそれが表れている、と説く。そのことは「武蔵野」でも同様だとして、「国木田のような奇怪な視線の持主」を「新人」と呼んだうえで、
とにかく、この新人は、それまで「風景」とはこのようなものだと教えこまれてきた文化コード、それに準拠する名勝地の景観にはどのような魅力も感じず、むしろ何のへんてつもない、と思われてきた景観、落葉林、雑木林の広がる平野、都市と田舎の間に横たわる境界地域に魅力を感じる。ここでは、どのようなわけからであれ、とにかくこうした新人類が現れ、「たんなる風景」として「武蔵野」を発見していることが重要なのである(因みにいえば『武蔵野』には、「忘れえぬ人々」と並んで「郊外」という小品も収められている)。(『日本風景論』p.178)
と論じている。これを前提として、「忘れえぬ人々」に登場する大津と秋山とが「別に何の肩書もない」名刺を交換するの(前回のエントリ参照)は、「確信的な無名者、「無名」という肩書き、「何者でもない」という肩書きをもつ、第三の範疇に属する新人」(p.182)であることを意味する、と述べる。そしてこの「新人」が、「彼と何のかかわりもない無関係者、彼個人に帰属するある理由から「忘れ得ぬ人」となっている、そうした人々の映像を思い浮かべる」(p.183)。それこそが、「忘れえぬ人々」の本質だという。
続けて加藤氏は、以下のように記す。
「忘れ得ぬ人」は、「これらの人々」として語られ、「そうでない、これらの人々を見た時の周囲の光景の裡に立つこれらの人々」と言い直される。国木田の言いあてようとするのは、既知のものが未知のものとして見えはじめるというある事態であり、いわば「たんなる風景」としての「これらの人々」の発見が、ここで語られようとしている。彼は「文学」(内面)の言葉でしか語れないが、言いたいのは「風景」のほうだ。「文学」(内面=忘れてかなうまじき人)に解消されないものがある。意味に解消されない「たんなる風景」がある。自分はそれを言いたい。それがここにいう「風景」、「風景としての人」、「忘れ得ぬ人」の意味なのである。(p.183)
「これらの人々」は、加藤氏によって「ただの人」(p.214)と言い換えられるが、この解釈も、荒木優太氏の「偶然的遭遇」論と並んで、なかなか魅力的である。
加藤氏の論は、「人は二重人格、三重人格、スパイのような存在でなければ、いま「ただの人」でいることはできないのではないだろうか。そうでなければ、「武蔵野」のない世界に、「武蔵野」を見て生きてゆくことは、いま、たぶん不可能なのである」(p.214)といった一文で結ばれる。
―――
さて「武蔵野」は、第二章が、独歩自身の日記の一部――明治二十九(1896)年の秋の初めから翌年の春にかけての記述の一部――を引用する形式になっている。この日記というのは、「一八九三年(明治二六)年〈ママ〉二月から一八九七年五月までの日記「欺かざるの記」」を指し、「(独歩)没後に田山花袋・田村江東・斎藤弔花の校訂により公刊された(『前篇』一九〇八年一〇月、『後篇』一九〇九年一月)」(岩波文庫版『武蔵野』の注より、p.259)。
当時は日記の公刊を心待ちにしていた者も多かったようで、たとえば近松秋江は、明治四十一(1908)年七月七日に、
私は(略)此度遺稿出版として上梓せられやうとしてゐる(国木田)氏の『欺かざるの記』や『病牀録』やに對して非常な渇望を抱いて居る。『欺かざるの記』既に題を聞いただけで氏が單純な藝術の人でなく、如何に精神の人、思想の人、性格の人であるかゞ分るではないか。氏は人の師たることの出來る人である。師といふのは小説の先生をいふのではない。(「性格の人國木田獨歩」『文壇無駄話』河出文庫1955:46)
と書いている。
ただし、「武蔵野」の第二章に引かれる『欺かざるの記』は、原文そのままではないし、意図的に省かれた箇所もある。これに関して、前田愛は次のように述べる。
『武蔵野』の第二章には、秋から春にかけての季節のうつりかわりを録した『欺かざるの記』の記事が抄録されているが(多少の異動〈ママ〉がある)、当然のことながら信子*1への想いを表白した部分は切りすてられている。たとえば、「朝、空曇り風死す、冷霧寒露、虫声しげし、天地の心なほ目さめぬが如し」という九月十九日の記事の後には、こういう記事がつづくのだ。「夢に彼の女を見たり。彼の女曰く君に帰る程に雑誌を起し給へといへり。『薄弱よ、爾の名は女なり』女性の品性に誠実を欠くは薄弱なるが故なり。吾未だ高尚なる女を見ず。女子は下劣なる者なり」。(「国木田独歩『武蔵野』―玉川上水」『幻景の街―文学の都市を歩く』岩波現代文庫2006〈小学館1986〉:66-67)
「武蔵野」が『欺かざるの記』から最初に引用するのは、これに遡ること2週間弱の九月七日の條であり、以下の如く引用されている。
九月七日――「昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ風を払ひつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるるとき林影一時に煌めく、――」(岩波文庫版p.6)
この箇所も、『欺かざるの記』とはかなりの異同がある。赤坂憲雄氏は次のように記す。
たとえば、独歩にならって、まず九月七日の記事から始めることにしよう。「武蔵野」と『欺かざるの記』を並べてみる。「武蔵野」には、以下のように日記からの抜き書きが示されている。すなわち、「昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ風を払ひつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるるとき林影一時に煌めく」と。これに対応する『欺かざるの記』の記述は、「昨日も今日も南風強く吹き、雲霧忽ち起り、突然雨至るかと見れば日光雲間よりもれて青葉を照らすなど、気まぐれの秋の空の美はしさ」である。注意を促しておきたいのは、附加された「林影一時に煌めく」という箇所である。(『武蔵野をよむ』岩波新書2018:36)
赤坂氏がなぜ「林影一時に煌めく」に着目しているのかは、実際に『武蔵野をよむ』の本文にあたって頂くとして、ここで注目したいのは、「降りみ降らずみ」(降ったり降らなかったり)という表現である。こちらも、上で見て分るとおり、『欺かざるの記』には出て来ていない。
「降りみ降らずみ」は、直前の「雲を送りつ風を払ひつ」に対応するものとして導き出された形式であろうが、むしろ、和歌や俳句で用いられる表現だと思う。
散文に用いたのは、独歩がその嚆矢――とはいわないまでも、かなり夙い例だったのではなかろうか。
後年には、たとえば山田風太郎が、昭和十九(1944)年、昭和二十(1945)年の日記でこの表現を用いている(ちなみに昭和十九年年九月十七日以降の日記には、「晴れみ曇りみ」「降りみ晴れみ」「降りみ照りみ」等といった表現も出て来る)。
二月二十四日
○陰気なる日。雲暗澹として雨降りみ降らずみ。昨日正木君の持って来てくれた二月分の給料袋をあけると五十円十八銭也。(山田風太郎『戦中派虫けら日記―滅失への青春』ちくま文庫1998:300)
七月一日(日) 雨
○終日霧雨ふりみふらずみ。午後荷物運搬作業。
(山田風太郎『戦中派不戦日記』講談社文庫1985:250)
「降りみ降らずみ」を用いた散文として、私にとってとりわけ印象深いのは、杉本秀太郎「どくだみの花」(初出は「海燕」1982年7月号)である。この随筆の冒頭に、「降りみ降らずみ」が出て来る。すなわち次のようである。
降りみ降らずみの夕まぐれに、芍薬が雨滴を含んで三輪、五輪、うなだれている。抱き起こしてのぞき込むと、早く何とかしてください、という声が聞こえた。(「どくだみの花」『半日半夜―杉本秀太郎エッセイ集』講談社文芸文庫2005所収:188)
この「どくだみの花」について、「数あるなかで、かねがね私がこれぞ杉本秀太郎のベストワンと思い定めている作品」だと断言するのが、杉本氏の旧い友人・山田稔氏である。山田氏は、杉本氏への追悼文ともいえる「「どくだみの花」のことなど」(『こないだ』編集工房ノア2018所収、初出は「海鳴り」28、2016年6月)で、「どくだみの花」餘話というべき挿話を披露している。杉本氏の文章中で、名前を出さずに「先生」とだけ呼んでいる人物が生島遼一であるということ、生島自身は名前を出してほしかったと云っていたこと、杉本氏から届いた葉書、そしてそこに書かれた言葉のことなど。生島が「芍薬の歌」なる随筆を書いた、というのはこの文章で知ったのだったが、ともかく、山田氏の「「どくだみの花」のことなど」も、実に秀れた作品なのである。
「「どくだみの花」のことなど」については、『こないだ』を評した坪内祐三氏も「まさに絶品」「少し辛口の名文」と書いているし、井波律子氏も『こないだ』評(「毎日新聞」2018.8.7付)で、やはり「「どくだみの花」のことなど」を真っ先に取り上げ、「過剰な思い入れなく、淡々と綴られているにもかかわらず、今は亡き大切な友人の姿がくっきりと描きだされ、みごとである」(『書物の愉しみ―井波律子書評集』岩波書店2019:503-04)と称賛している。
そういえば、生島遼一『春夏秋冬』(講談社文芸文庫2013)の解説「生島遼一のスティル」(山田稔)も、解説というよりは、むしろ「ポルトレの名手」(坪内氏)としての山田氏の才能がよく表れた佳品だといえる。後には、『天野さんの傘』(編集工房ノア2015)に収められた。
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