危いことなら銭になる

朝方、中平康『危(やば)いことなら銭になる』(1962,日活)を観ました。面白かった!
その面白さについては、八月六日のエエジャナイカ八月八日の新・読前読後ですでに語り尽されているので、贅言を弄する必要はなさそうですが、いちおう、感想を記しておきます。
この映画でまず、圧倒的な存在感があるのは、近藤錠次(宍戸錠)。彼はガラスを引っ掻く音が大嫌いなので、劇中では「ガラスのジョー」と呼ばれている(なんと安直な)。この綽名は、日本版『道』とでもいうべき名作、蔵原惟繕『硝子のジョニー 野獣のように見えて』(1962,日活)*1のパロディであるとみて間違いなさそうです。『硝子のジョニー』の「宍戸“ザンパノ”錠」は申し分のない二枚目なのだけれど、「宍戸“ガラスの”錠」は二枚目半といったところ。しかしなかなか頭のきれる小悪党で、「計算尺の哲」こと沖田哲三(長門裕之)や、「ブル健」こと芹沢健(草薙幸二郎)と対立しながら、やがて手を組まざるを得ない展開になってしまうところが楽しい。いずれ劣らぬあくの強さ、いや違った、悪運の強さを備えたキャラクターで、(特に前半部では)物語を牽引すべき主役でありながら、観ている者をあらぬ方向へと導いていきます。
しかもそこに、坂口名人(左卜全)と婆さん(武智豊子)というひと癖もふた癖もある老夫婦が絡んでくるのだからさあ大変。それでも展開の強引さをさほど気にせずにすむのは、分刻みで見せ場をどんどん投入していき、緊張したショットと弛緩したショットをうまく配分しているからなのでしょう。
さて、三人の悪党が活躍する映画には、たとえば小石栄一『三悪人と赤ん坊』(1950,大映)があり、また黒澤明隠し砦の三悪人』(1958,東宝)があり、『危いことなら銭になる』の後にも、谷口千吉『馬鹿と鋏』(1965,東宝*2がある。『馬鹿と鋏』は、深作欣二の『県警対組織暴力』(1975,東映)を思わせるような「笑うに笑えないオチ」をつけているのですが、『危いことなら銭になる』のオチのつけ方は単純に笑えます*3
しかし、男三人組だけではどうもつまらない。何か「華やかさ」が欲しいところ。本作品では、その缺を秋山とも子(浅丘ルリ子)が補ってくれます。他の作品、たとえば『隠し砦』には雪姫(上原美佐)がいて、『三悪人と赤ん坊』には島みつ(三條美紀*4がいる。『馬鹿と鋏』にも、あとから三悪人と手を組むことになる咲子(田村奈巳)が出てくる。この咲子は、実は大森小平(伴淳三郎)の娘で、それがプロット上、大きな意味をもってきます。
さて話を戻しますが、本作品の浅丘ルリ子はたしかに可愛い。それもそのはずで、当時の浅丘ルリ子はまさに「旬の女優」でした。同年に公開された蔵原惟繕『銀座の恋の物語』や同『憎いあンちくしょう』、滝沢英輔『雲に向かって起つ』、西河克己『若い人』、齋藤武市『愛と死のかたみ』などに、主役(あるいは準主役)として出演しています。どれもこれも、日活の黄金時代を支えた作品として知られる名作ばかりです。
ところでkanetakuさんは、浅丘ルリ子ポンコツ車を運転するシークェンスの面白さに注目されていました。東京に土地鑑のある方ならではの愉しみ方です。私はむしろ、随所に挟みこまれた土方(浜田寅彦)とポーカーフェースの秀(平田大三郎)のバカバカしいやり取り(ドリフばりのコント)を面白く観ていました。また、浅丘ルリ子に投げ飛ばされる「柔道五段」の猛者が、中川信夫『女吸血鬼』(1959,新東宝)で海坊主を演じた晴海勇三、というのが笑えました。
この映画の会話のテンポがよく、展開がスピーディなのは、「異例に厚く仕上がった脚本をノーカットで、しかも規定以下の尺数で仕上げた」(『中平康レトロスペクティヴ』p.38)からなのですが、それこそが実は戦略で、正しく『狂った果実』(1956,日活)的演出の系譜に連なるものであると言えましょう。しかし、例えばトランジスタラジオを延々とカメラに収めるといったような長回しはありません。それでも、緊張と弛緩とが交互に訪れるように短いショットをうまく配置しているので、ラストの「場違いな」銃撃戦が活かされています。
場違いなほど激しい銃撃戦のあと、累々たる屍を見てしまったとも子が思わず「おえっ」。このギャグを二回も使っているけれどくどくない。こういった細かい演出も心にくい。演出上のくふうとして注目すべき点は、ガス室でのクロースアップの多用とか、大ロングで小さくなった人々の姿を矢印で追うバカバカしさとか多々ありますが、これ以上は書きません。
もちろんB.G.Mにも趣向が凝らされていて、植木等「ハイそれまでョ」を使用したり(当時の流行歌!)、ショパンの「葬送行進曲」*5を使用したりしています。とくに後者が流れるシーンは面白い(「葬送行進曲」を口笛で奏していた男が、まさにその「葬送行進曲」によって葬られるのだから)。
最後に余談ですが、この映画には、土方の弟子(であり秀の相棒? の)“ビッグの修”が出てきます。この修を演じた故・郷硏治は、宍戸錠実弟で、ちあきなおみの元夫です。「仮面ライダーV3」でキバ男爵を演じた人だ、と言えば、ピンとくる方もあるかも知れません。

*1:この作品は、『危いことなら銭になる』の三箇月まえに封切されています。宍戸錠の役名は「ジョー」。〈和製ジェルソミーナ〉は、深沢みふね(芦川いづみ)。主題歌は、映画にも出演しているアイ・ジョージの「硝子のジョニー」。

*2:『馬鹿と鋏』に登場する三悪人(詐欺師)とは、大森小平(伴淳三郎)、船田喜介(小沢昭一)、佐賀三郎(高島忠夫)。その翌年には、『馬鹿と鋏』によく似た設定の鈴木英夫『三匹の狸』が製作されていますが、こちらは未見。両者とも脚本は田波靖男。『三匹の狸』に登場する三人の「狸」たちは、村崎治平(伴淳三郎)、猿田留吉(小沢昭一)、佐々木道夫(宝田明)で、出演者の顔ぶれも『馬鹿と鋏』と重なっています。また、井上梅次『女と三悪人』(1962,大映)という映画もあるそうですが、これも未見。

*3:原作(都筑道夫『紙の罠』)と映画版のラストは異なっているそうなので、機会があれば、ぜひ原作も読んでみたいものです。

*4:この映画には、三條のサービス・シーンもありますが、それはともかく、誘拐した「赤ん坊」をめぐって三悪人が対立し、やがてばらばらになってしまう(藤田進と三條美紀だけがデキるという、あるていど予想された結末に落ち着きはしますが)。『危いことなら銭になる』も、贋札づくりの名人「坂本老」をめぐって激しい争奪戦が展開されるのですが、最後のオチがなければ、三悪人はおろか作品じたいもばらばらになってしまっていたに違いありません。

*5:ピアノソナタ第二番変ロ長調の第三楽章。かつてYMOも何かの曲に使っていたような…。