『古句を観る』

晴。
研究室の先輩後輩がたと、Wにて午食。
貴重な本のコピーを某先生からお借りする。
書籍部で「文庫・新書バンドルセール」がやっていたので、文庫を四冊買った。そのうちの一冊が柴田宵曲『古句を観る』(岩波文庫)で、これには森銑三小出昌洋の解説が附いている。
武藤康史氏は『国語辞典の名語釈』(三省堂)の「はじめに」で、「そういうの(国語辞典の語釈のこと―引用者)をいろんな辞書からよりぬいて、並べてみたかった。柴田宵曲の『古句を観る』のような書き方にずっと憧れていた」(p.2)と書いているし、また向井敏氏は『傑作の条件』(文春文庫)の「知られざる傑作」(pp.113-17)に、こう書いている。「芭蕉やその高弟たちの作品に関する研究や鑑賞なら、戦前といわず今日といわず、さかんに行われてきたけれども、同じ元禄期の群小俳人の知られざる傑作だけを対象にした評釈はこの『古句を観る』がはじめてで、その後もまだない。その句を見る眼はすずやかで、かつあたたかく、文章は平明でよく意をつくし、ざらには見当らぬ好著だというのに、絶えて顧みられることなく今日に至っていた。それが四十一年ぶりにふたたび陽の目を見たわけで、この本の来歴についてなにがしか知るところのあった人は、さぞや眼を細めていることだろうと思う」(p.114)。
向井氏と昵懇の間柄であった谷沢永一氏も、その「眼を細め」たひとりに数えられようが、しかし谷沢氏はいかにも残念そうに、以下の如く述べている。「柴田宵曲といえば知る人ぞ知る隠れた名文家であった。それまでひっそりとした存在であった宵曲の著書が、岩波文庫に入るなどとは想像を絶している。しかし現実にあれよあれよとも言わせぬ呼吸で、立て続けに五冊も出たのは驚きであった。『古句を観る』〈昭和五九年〉、『俳諧随筆 蕉門の人々』〈六一年一月〉、『評伝正岡子規』〈六一年六月〉、『書物』〈六二年一〇月〉と、それに『団扇の画』、このように矢継ぎばやの刊行が実現したのである以上、よく売れたのであろうと思わざるを得ない。これにて宵曲独特の香り高い文章の愛読者が増えたのであろうか。実際のところはそうではなかった。小澤書店が平成二年一一月から刊行した『柴田宵曲文集』八巻が売れ行き不振で残念ながら倒産したのである。(中略)つまり文庫なら買うが『文集』には無関心という読者が多いのであるらしい。文庫によって宵曲への敬愛が高まるわけにはいかなかったのである」(谷沢永一『本はこうして選ぶ買う』東洋経済新報社,p.61)。が、文庫が読者の「裾野」を広げるというのもまた確かであろう(私のような者でも気軽に買って読めるわけだし)。
さて、明日から(今日から)下鴨納涼古本まつりです。午前中には行こうと思います。