索引のない本なんて。

高木市之助述 深萱和男録『尋常小学 国語読本』(中公新書)を読んで、ずい分まえに読んだ高木市之助『国文学五十年』(岩波新書*1を再読したのだけれど(五高在職時の話も、『国語読本』よりは詳しいので)、人名や書名がワンサカ出て来るこういう本には、やっぱり索引を附けてもらいたいものですね(伝説的な名著を遺した楠本正継――高木は彼を、「無類の秀才」であって、論理の透徹と勘とを完全に具えた人であったと評している――が出て来ることもスッカリ忘れていたではないか)。
そう云えば、山下武『古書縦横』(青弓社)に、「索引のない本なんて……」というコラムが載っている(pp.153-54)。ここで山下氏は、ウィリアム・ワイザーの『祝祭と狂乱の日々』(河出書房新社)に索引がないのを「残念なこと」だと述べ、バーナード・ショーの言とかいう「書物に索引をつけないやつは死刑にせよ!」を引き、「索引の重要性を痛感した」、とかいている。
余談に亙るけれども、山下氏は柳家金語樓の長男で、『父・柳家金語樓』という著作がある。『古書縦横』にも「父・柳家金語樓の“大いなる遺産”」という文章が載っており(pp.61-64)、金語樓が二十余年過ごした妾宅から『滑稽新聞』『大阪滑稽新聞』の合本十一冊を「発見」した、というエピソードが述べられている。
さらに関係ないことを思い出したが、山下敬二郎も金語樓の息子である。1939(昭和十四)年生れである。彼がデビューしたのは、「第一回 日劇エスタン・カーニバル」(仕掛人渡邊美佐、家祖が曲直瀬道三というからスゴイ家柄である)。これが昭和33年2月8日のこと。この年にデビューした人はといえば、長嶋茂雄(4三振デビュー)、十朱幸代(NHKの「バス通り裏」。私の父がこの人のファン)など。
夜、某先生の貸して下さったヴィデオを観る。木の内もえみ版の「からだ元気?」、「かまって音頭」、「ジャングルディスコ」など。特に「からだ元気?」は、たいへん懐かしい(しょうじけいすけ版も馴染みがふかい)。十七、八年前の映像だと思う。