「爆笑」誤用説

 岡本喜八『にっぽん三銃士 おさらば東京の巻』(1972東京映画)という映画のなかで、小林桂樹岡田裕介との間に次のような会話が交わされる。

岡田 まあ、すさまじきものは宮仕えってことです
小林 すさまじきじゃないよ、すまじきものは宮仕えだよ。それがどうした?

小林 華燭の宴*1! カッ、近頃の若い者はこんな字も読めんのか
岡田 こんな字、当用漢字にないはずですがね
小林 あ…あるはずだ!

岡田 三階に部屋なし
小林 違う違う、三界に家なしだよ!

 原作(五木寛之著)は未読なので、このようなやり取りがそこにあるのかどうか分からないが、こういった個人的な思い込みに基づく誤用や誤読を指摘するのは容易なことである。
 だが、しばしば「誤用」といわれる表現のなかには、よくよく調べてみると、実際にはそうとは言い切れなかったり、むしろ実はそれこそが「正用」だったりするものがある。
 「爆笑」などは、その最たる例である。
 この「爆笑」、近年の国語辞書類の語釈ではどう説かれているのかというと……(以下の引用では、符号の形を改めたところがある)。

ばくしょう【爆笑】《名・ス自》大勢が大声でどっと笑うこと。(『岩波国語辞典【第七版】』岩波書店2009)

ばく-しょう【爆笑】―セウ《名・自サ変》大勢が声をあげていっせいに笑うこと。「聴衆から―が起こる」「会場の―を誘う」「―王」>弾けるように笑う意から。[表現]近年、一人で大声を上げて笑う場合にもいう。(『明鏡国語辞典【第二版】』大修館書店2010)

ばくしょう ―セウ【爆笑】―する(自サ)おかしな話を聞いて、その場に居る人が一斉にどっと吹きだすようにして笑うこと。(『新明解国語辞典【第七版】』三省堂2012*2

【爆笑】〈・・セウ〉(物がはじけるように)人々が一斉にどっと大声で笑う。「―のうず」(『岩波新漢語辞典【第三版】』岩波書店2014)

 すこし遡って、『新版国語辞典』(講談社学術文庫1984)から。

ばくしょう【爆笑】(名・サ変自)大ぜいでどっと笑うこと。

 以上の如く、判で押したように、「『大勢で』笑うこと」または「『一斉に』笑うこと」、となっている。『明鏡』のみ、「一人で大声を上げて笑う場合にもいう」と記しているものの、それは「近年」の用法であるとみている。
 ところが、『三省堂国語辞典【第七版】』(三省堂2014)を引くと、次のようにある。

ばくしょう[爆笑](名・自サ)ふき出すように大きく笑うこと。「さむらいが大口をあけて―した・会場が―のうずになる」〔笑う人数が問題にされることが多いが、もともと、何人でもよい〕

 「もともと、何人でもよい」。つまり、大笑いしているのであれば、大人数ではなくたった一人でも誤りではない、ということである。
 この注釈はいかにして追加されるに至ったか。種明かしは、飯間浩明三省堂国語辞典のひみつ』(三省堂2014)でなされている。飯間氏は次のように述べている。

 テレビで言われることはすぐ広まります。口コミで、ツイッターで、「『爆笑』は大人数で笑うことらしいよ。知らなかった」と、ごく軽い気持ちで伝えられます。
 実際には、話を伝える本人も、周囲の人々も、それまで「爆笑」をひとりの場合に使っていて、べつに何の不自然さも感じなかったはずです。長年違和感がなかったのに、ちょっとテレビで言っていることを聞いただけで、あっさり「自分は間違っていた」と認めてしまうのは、いささか早計というべきです。
 「爆笑」は比較的新しいことばで、昭和時代に入ってから一般化したものと考えられます。その当初からひとりで笑う例はありました。(pp.38-39)

 そして、直木三十五の「(ひとりで笑う)爆笑」の使用例(1929年)を示している。
 しかし「爆笑」問題が根深いのは、上記のように多くの国語辞典が「爆笑」=「大勢で笑うこと」、と明記しているからである。飯間氏は、その記述が『辞海』(1952年)あたりまで遡ると見て、「『爆笑』の意味がそのように(大勢で笑うというように―引用者)変化したからではなく、辞書の編纂者の不注意ないし誤解によるものだったと考えられ」る(p.40)、と結論している。
 そこで、『三国』の第七版では、「ひとりで笑う例、大勢で笑う例を仲よく並べ、さらに注記を添えて、どちらでも使えることを示し」た(同前)わけである。「比較的新しいことば」といいながら、わざわざ「さむらいが大口をあけて―」という作例にしているのが面白いが、それはともかく、「爆笑」=「大勢で笑う」説には何の根拠もないことになる。
 また神永曉『悩ましい国語辞典―辞書編集者だけが知っていることばの深層』(時事通信社2015)は、徳川夢声『漫談集』(1929年)から「ひとり笑い」の「爆笑」の例を拾っている(pp.208-09)*3
 恥ずかしながら、わたしも以前、「爆笑」は「大勢で笑う」義だと信じて疑わなかったクチで、四、五年前のさるコラムに「爆笑はもともと『万座爆笑』などといって大勢で笑うことを意味した」、と書いたことがある。
 ちなみに小谷野敦氏は、『頭の悪い日本語』(新潮新書2014)で、

 これは最近知ったのだが、(「爆笑」は―引用者)大勢でどっと笑うことらしい。私も他と同様、一人でも「爆笑」を使っていた。だが、思わず弾けるように一人で笑ってしまうこともあって、そういう時は何と言えばいいのだろう。(p.27)

と書いているが、「そういう時」にも「爆笑」を使って差し支えない、ということになる。

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 青空文庫で探ってみると、「爆笑」=「ひとりで笑う」例がいくつも見つかりました
 「全然〜ない」や「銀ブラ」(「銀座ブラジルコーヒーを飲む」に由来する、という俗説)、この「爆笑」など、俗説がひとたび「正用」として広まってしまうと、後々改めるのに、たいへんな労力を要することとなります。
 関連記事として、「言葉の正しさ?」「『全然〜ない』の神話」を挙げておきます。あわせてご参照くださいましたら幸いです。

岩波 国語辞典 第7版 普通版

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明鏡国語辞典 第二版

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新明解国語辞典 第七版

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岩波 新漢語辞典 第三版

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国語辞典 改訂新版 (講談社学術文庫)

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三省堂国語辞典 第七版

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三省堂国語辞典のひみつ

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悩ましい国語辞典 ―辞書編集者だけが知っていることばの深層―

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頭の悪い日本語 (新潮新書)

頭の悪い日本語 (新潮新書)

*1:手許のメモによれば、「華燭の典」ではなく「華燭の宴」。

*2:手許に第三版(1981年刊)が有るので見てみたが、全く同じ語釈であった。

*3:そういう古い確例を拾いながらも、神永氏は、「爆笑」=「大勢が一度に笑う」というのが「本来の意味」であると捉えている。