徴用中のこと

二十二日から二十四日までの日記を更新。
大学からの帰途、Kに寄って、井伏鱒二『徴用中のこと』(中公文庫)を購う。厳密な校訂が附いています。九年前に単行本として刊行されていますが(講談社刊)、初の文庫化作品だそうです。このところ、BIBLIO以外の中公文庫もわりと元気が良いような気がします。
『徴用中のこと』をぱらぱらと捲って読んでいると、『秀子の車掌さん』(井伏の『おこまさん』を映画化したもの。ここを参照)に触れたこんなくだりがありました。

「秀子の車掌さん」は十六歳の少女である秀子といふ車掌*1が、山越えの貧乏くさいバスの乗客に風景案内の口上を述べるといふ他愛ない筋である。そのバス会社は経営難でつぶれかけてゐるが、少女の車掌はそれを知らないで一人で楽しげに案内の口上をつづけてゐる。それにバスが見るからにみすぼらしい。成瀬監督は撮影に入る前にバスを侘しげに見せるために、わざわざ赤土をまぶした錆色のペンキですつかり車体を塗りつぶさせたのであつた。これが映画自体としては不運であつた。宣伝班附の桜井中尉がそこに難色があると指摘した。マレーの現地人がこの映画を見たら、日本内地ではこんなきたないバスを動かしてゐるのだと思ふので、日本の国辱になると云つた。さう云へばそれに違ひない。桜井中尉はその通り宣伝班の尾高少佐に進言して、この映画は上映禁止になつた。(p.138)

*1:車掌の役名は「おこまさん」なので、これは正確ではない。しかし井伏は、「これは『新女苑』に連載した『おこまさん』といふ私の少女小説を、高峰秀子が主演でやるので興行価値から映画会社が高峰の名前を題名に入れた」(p.135-36)というふうに書いています。