血と薔薇

Web読書手帖にもあるとおり、『日本経済新聞』(本日付)の「活字の海で」によれば、「筑摩書房は来春、種村氏の随筆約二百編を文庫本三冊に収める『エッセー・コレクション』(仮称)を刊行する予定。また河出書房新社は十二月に、一人の人物や一つのテーマを丸ごと一冊で掘り下げるシリーズ『KAWADE道の手帖』で『種村季弘』を出す。坪内祐三松山巌の対談のほか、池内紀高山宏ら各氏の寄稿を掲載する」のだそうで、楽しみがまたひとつ増えました。
澁澤龍彦から種村季弘を知り、種村氏の本をまだ三冊しか読んだことのない「初心者」の私にとっても、「タネムラ入門」として楽しめるコレクションであることを希う。
「種村ファン」のkanetakuさんがブログで書評を書かれ、また川本三郎氏が『週刊文春』誌上で書評を書かれていたとかいう(残念ながら読んでいない)、『雨の日はソファで散歩』(筑摩書房)も気になるところだ。
夜、テレビ朝日系列の『知らないと恥をかく! 合格! 日本語ボーダーライン』を、全部ではないが見た。「口腔外科」の読みの正解を「こうくうげか」、としていることが気になった。これは「専門用語」ではないのか。「こうこうげか」でも正解とすべし*1。また、漢字の読み問題には、常用漢字音訓表外の読みもあった。漢字能力検定でいうと準一級クラスの問題だ。
東雅夫編『血と薔薇の誘う夜に』(角川ホラー文庫)を読む。東氏が編んだ角川ホラー文庫は、『闇夜に怪を語れば』につづいて二冊目ということになる。
最も読みたかったのは、種村季弘「吸血鬼入門」。『書物漫遊記』の一篇である。吸血鬼に興味をもつ女子高生(十五歳)が登場するのだが、種村氏は、彼女の「吸血鬼を知るにはどんな本を読んだらよいか」という問いに対して、日夏耿之介『吸血妖魅考』『サバト恠異帖』、種村季弘『吸血鬼幻想』の三冊を挙げてこれにこたえている。それからずいぶん後に、『吸血鬼幻想』は「河出文庫」に入った。さらに、日夏の著作はふたつとも「ちくま学芸文庫」に入った。このうち『吸血妖魅考』は、友人のM君があれはむつかしかった、読まないほうがいい、と言っていたので、素直にそれを信じて*2読まずにおいた。しかし、やはり手許に置いておくべきだった。
さて、東雅夫氏の解説は、日本における「吸血鬼」受容史の解説にもなっていて、これを読むだけでも充分におもしろい。戦後の「吸血鬼ブーム」の呼び水となったのが、雑誌『血と薔薇』(澁澤龍彦責任編集、天声出版)であった、とする見方もさすがである*3。そして、東氏はこの雑誌の創刊号から、種村季弘「吸血鬼幻想」の一節を引いている。
しかし『血と薔薇』は、結局、第三号までしか出なかった*4。いわばカストリ雑誌のような運命を辿ったわけだが、その影響力には計り知れないものがある。古書価もグンと上がり、ついに二年前、白順社によって復原版が刊行された。そして今月には、なんと「河出文庫」に入った*5。復原版に附された「解説1 コドモノクニあるいは『血と薔薇』の頃」で、種村氏はこう書いている。

出身が下町、山手の別はあっても、戦後はひとしなみに焼跡です。その何もなくなった廃墟から失った子供部屋を再現したい、そういう暗黙裡の共通感覚があって、「血と薔薇」の映像なり言葉なりによるオブジェ・コレクションが出来た。その後も平岡(正明)君たちの「血と薔薇」四号とか、マガジンハウスの少女向け雑誌をはじめ、いろいろな雑誌が出ましたが、戦後生まれの人が編集した雑誌にこちらが違和感を覚えるのは、どこまで行ってもここにある現実に地続きであること。
そのへんが違うんです。失われた戦前の子供部屋があって、いまがある。そしてその間に廃墟の無がある。なくなってしまったものがある。「血と薔薇」に魅力を添えているものがあるとすれば、この虚無の輝きでしょう。(河出文庫版,p.434)

*1:せめて、「口腔」は医学用語以外は「こうこう」と読む、というキャプションでもつけてほしかった。

*2:なにしろ彼は哲学書をかるがると読みこなすタイプの人間だったので…。

*3:だからこそ本書の題名も『血と薔薇の誘う夜に』となっているのだろうが。

*4:「幻の」創刊準備号もあるらしい。引用部にみえる第四号は、澁澤龍彦が編集したものではない。

*5:創刊号。第二、第三号は来月と再来月に刊行されるのだろう。