とつぜん映画の題名を思い出すの巻

午後から大学。
ブックオフで、林義雄『こえとことばの科学』(鳳鳴堂書店)105円など買う。母音や子音、ガ行鼻濁音についてもいろいろ書いてあるし、かなり版をかさねている本なので、とりあえず買ってみた。「序」を、千田是也(!)や長岡輝子(!)が書いていることに、後になってから気がついた。他にも「個人的に」嬉しい収穫が実はあったのだが、書くと長くなりそうなのでそれはいずれ書く。
この前、HさんとK君が「らくだ」の話をしていたのを聞いて、「らくだ」の筋を利用した映画があったことを思い出した。わりと有名なエノケンの『らくだの馬さん』(1957)ではない。落語とは縁がなさそうな題名の作品なのである。肝腎なその作品名を思い出せず、ずっと何だったっけ何だったっけ、と考えていたのだが、「たしか小沢昭一が出ていた」ということを思い出すのが関の山であった。
ところが、なぜか今日になって、ハタと思い至った。べつに、思い出そうと努めていたわけではない*1。突然、啓示のようにひらめいたのだ。その作品とは、春原政久『猫が変じて虎になる』(1962,日活)である。作品名さえ分ればしめたもので、あれやこれやと思い出すことができる。小沢昭一は、「出演」どころか「主演」を果し、保険の外交員「久六」を演じている。彼は、ふだんは小心者なのだが(酒で人格が変わる。例の屑屋と同じである)、ふとしたことから暗殺者と誤解される。それで、面倒な事件に巻き込まれることになる。そうそう、「死体」の馬太郎(役名は異なっていた筈だが)を演っていたのは由利徹だった。
この映画は、他にも幾つかの落語を引用していたと思うのだが、落語に蒙い私には残念ながら分らない。

*1:というか、忘れていたということがおかしいくらいだ。このブログでも、題名だけなら挙げたことがあった。