岩波文庫で『杜子春』を楽しむ

 水上瀧太郎貝殻追放』(岩波文庫)を読み終えて、再読したくなったのが芥川龍之介の諸作品である。この機会に、いくつか読み返しておこうと思い立った。
 芥川の作品を読むのは、『侏儒の言葉』を読んで以来のことであるから、約二年ぶり*1か(久世光彦『蕭々館日録』中公文庫*2を読了したことが、『侏儒の言葉』を読むきっかけとなった)。
蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇 (岩波文庫)
 まずは、芥川竜*3之介『蜘蛛の糸杜子春・トロッコ 他十七篇』(岩波文庫,1990)で『杜子春』を読み返した。周知のとおり、これは唐代の伝奇小説を下敷きにしているから*4、当然ながら「本家」の『杜子春』が気になってくる。
 そこで、今村与志雄訳『唐宋伝奇集(下)』(岩波文庫,1988)を手に取る。これに牛僧孺『杜子春』が収めてあるのだ。読み較べてみると、その違いがよく分る。大きな相違は結末部と、子春の転生の有無(芥川版は転生しない)にある。しかも芥川のそれは、物語の辻褄をあわせるためか、道士(老人)の目的を主としていない。すなわち、子春が道士の目的のためには利用されない。
 さて、岩波文庫に収められた牛僧孺『杜子春』は、その訳注(今村与志雄)によれば、程毅中が点校した古小説叢刊『玄怪録・續玄怪録』(中華書局,1982)*5を底本にしているという。またその作者の比定については、「鄭還古というのは問題外」とし、牛僧孺か李復言のいずれかである、としながらも、「絶対的にどちらかとはきめにくいところがある」と速断を避けている。ただ、岩波文庫が間接的に拠った『玄怪録』の版本は牛僧孺を作者と看做しているので、それに従っているわけである。
 『杜子春』の作者を鄭還古と比定したのは、陸楫『古今説海』が最初であったはずで、そのことについては確か金関丈夫が書いていたはずだ…と探してみたら、あった。
新編 木馬と石牛 (岩波文庫)
 金関丈夫著 大林太良編『新編 木馬と石牛』(岩波文庫,1996)*6に収める、「杜子春系譜」(初出:『九州文学』1957.3,1962.8)がそれである。
 この論文は、『杜子春』の作者を「あくまで便宜的に」鄭還古としながら、いろいろの説を紹介する。しかし結局は「作者のことはどうでもいい」と書く。この論文のテーマは、あくまでも『杜子春』説話の系譜なのである。
 さて金関氏は、『杜子春』を李復言『續玄怪録』の一篇とする。これは『太平廣記』に従っているからで、牛僧孺『玄怪録』巻一の一篇、とするのが実は正しい。それはともかく、金関氏がその類型譚として注目しているのが、やはり『太平廣記』引くところの『河東記』「蕭洞玄」である。さらに、『大唐西域記』巻七「婆羅痆斯国」のエピソードも挙げている。
 金関氏は、この「婆羅痆斯国」を祖型と比定した上で、仲介者となるある説話を経由して(それをひとつと断定しないところに慎重な態度が窺える)、「蕭洞玄」と「杜子春」とに分化したとする。詳細は、この文章を実際にご覧いただくより他にないが、大まかに述べれば以上のようになる。さらにこの論文では、「追記」として、段成式『酉陽雜俎』續集四「顧玄績」を紹介している。金関氏は、この類話に気がつかなかったのを「はなはだ迂闊な話で、慙愧にたえない」ことであるとしながらも、「むしろ烈士池(『大唐西域記』にみえるエピソードのこと―引用者)の劃内に埋没させても大過ないだろう」と結論している*7
随筆集 団扇の画 (岩波文庫)
 ところで、柴田宵曲は、もっと早い段階から『酉陽雜俎』に着目していた。柴田宵曲小出昌洋編『随筆集 団扇の画』(岩波文庫,2000)に収める「杜子春」に、そのことが書かれている。これは初出が昭和三十(1955)年九月(雑誌『ももすもも』)だから、金関氏の論文の発表年から遡ること二年、ということになる。
 ここで宵曲は、「杜子春譚の一切を挙げて『西域記』に帰すべきものかどうか、われわれには断言は出来ない」と、金関氏よりもさらに慎重な態度をみせている(重点は、むしろその後の日本における類型譚に置かれてはいるが)。
 金関氏が「追記」を書くにあたって、あるいはこの文章を意識したのかもしれない、などと考えるとなんだか楽しい。可能性のないことではないと思う。

*1:【追記】つい一か月ほど前に、東雅夫編『妖怪文藝〈巻之二〉 響き交わす鬼』(小学館文庫)に収められた芥川龍之介『桃太郎』を読んだことをすっかり忘れていました(11.6記)。

*2:この作品に、芥川は「九鬼さん」として登場する。水上書くところの芥川(「芥川龍之介の死」)が、九鬼の描写を髣髴とさせるのには驚いた。

*3:岩波文庫の著者名は、「龍」ではなく「竜」で統一。

*4:唐代の伝奇小説をもとにした日本の小説には、この『杜子春』のほか、例えば森鷗外『魚玄機』があり、中島敦山月記』がある。

*5:陳應翔刻本『幽怪録』(玄朗の諱を避け、『玄怪録』ではなく『幽怪録』とする)と南宋尹家書籍舗刻本『續幽怪録』を校勘したもの。

*6:小谷野敦氏は、『もてない男恋愛論を超えて―』(ちくま新書)で、この文庫に収める「榻(しじ)のはしがき」を挙げている。わたしは、石田英一郎「隠された太陽―太平洋をめぐる天岩戸神話」(『桃太郎の母―ある文化史的研究―』講談社学術文庫)と関連しそうな「太陽を征服する伝説」が読みたさに買って置いたのだった。

*7:先に挙げた今村氏の訳注によれば、錢鍾書『管錐編』第二冊(中華書局,1978)というエッセイ集にも、この問題についての考証があって、やはり「婆羅痆斯国」に一連の説話の淵源をみているという。またこのエッセイは、「顧玄績」が「婆羅痆斯国」の誤伝であることにも触れているらしいが、それは『酉陽雜俎』續集四「貶誤」の考証に基づいているらしい。なお、「貶誤」のこの考証については、後に挙げる柴田宵曲の文章が言及している。