『関の彌太ッぺ』

晴れて暑し。まるで夏日。
午から大学。夕方帰る。
朝、山下耕作『関の彌太ッぺ』(1963,東映)を観た。すでに七、八回ほど映画化された、長谷川伸原作の時代劇ロマン。やはり大傑作だ。この山下版、というか、中村錦之助萬屋錦之介)=彌太郎版『関の彌太ッぺ』を映画版の最高傑作と評する人もおおい。
木村功(森介)の「変節」が分りにくいのが脚本上の瑕瑾であるとする意見をどこかで読んだが、冒頭部で、「護摩の灰」大坂志郎(堺の和吉)を有無を言わせず叩き斬るあたりは森介の激しやすさを雄辯に語っており、問題とするに足らないのではないかと思う。
また、お小夜役として十朱幸代を抜擢したのは素晴らしいことだと思うが、脇を固める月形龍之介鳳八千代、夏川静江らの熱演も見逃してはならないだろう。
もっとも印象的なのはラスト。安部徹(助五郎)らとの果し合い場へと向かう彌太郎。いよいよ死を覚悟する段になって、菅笠を脱ぎ捨て、それでもなおずんずん歩いてゆく。このシーンが素晴らしい。その背中に男は惚れてしまう。
以下は、川本三郎『時代劇ここにあり』(平凡社)からの引用。


時代劇ここにあり
時代劇には「やっちゃいけねえ」ことが必ずある。それを守ることが大事になる。いまのように何をやっても許される時代とは違う。一線を越えてはならない約束事がある。それを禁欲的に守るストイシズムが時代劇の核にある。
弥太っぺのモラルとは「自分は汚れた人間である」と自覚し続けることであり、汚れた人間だからこそ「決してかたぎには迷惑をかけねえ」と禁欲し続けることである。
だから彼は、かたぎに迷惑をかけた弟分の森介を斬った。そして、最後、お小夜に「もしや旅人さんはあのときの……」と正体を気づかれながらも決して自分が恩人だなどとは名乗らず、日蔭者らしく黙って去ってゆく。しかも行く手に待っているのは、飯岡の助五郎一家との果し合い――死、であると知りながら。(pp.28-29)