『唐五代韻書集存』に失望

このところ、モーツァルトのピアノ・コンチェルトに「ハマって」おり、安い輸入盤(数百円のもの)を中心に買って聴いている。K.450(第十五番変ロ長調)の第二楽章には、クラリネット五重奏曲K.581の下降調メロディ(ソミレド)も使われていて美しい。「ジュピター」などに繰り返しあらわれる「ドレファミ」(いわゆる「ジュピター主題」で、高橋英夫は確か「下降を含んだ上昇」と呼んでいた)も美しいが、郷愁を誘う「ソミレド」も美しい。
K.482の第二十二番は、小林秀雄が好きだったということで知られる曲だが、デレク・ハンのピアノで聴くのもなかなかよろしい。他に、改めて聴いてみて良かったと思えたのが、K.415(第十三番ハ長調)、K.488(第二十三番イ長調)、K.503(第二十五番ハ長調)あたり。K.37(第一番ヘ長調)は初めて聴いたが、悪くない。

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ところで最近、周祖謨編『唐五代韻書集存』(中華書局)をやっと入手したのだが、特に上册所収の「王韻」(「完本王韻」も含む)の写真がひどく不鮮明なのは、一体どういうわけだ。
しまった、少なくとも高田時雄先生の「周祖謨『唐五代韻書集存』(1983年、北京、中華書局)は出來る限り寫眞によって 原姿が窺えるようにし、さらに詳しい考釋を加えたもので、本來ならスタンダードワークになり得るものであろうが、惜しむらくは用いられた寫眞が著しく鮮明さを缺く」(『敦煌韻書發見とその意義』PDFファイル)という文章を読んでから、買うかどうかを決めるべきだったのだ。
結局、「著しく鮮明さを缺」いているのは何故かというと、一九四〇年代に撮影された写真をそのまま使っているから、なのだそうだ(で、『敦煌書法叢刊』が欲しくなる。無理だが)。