研究会後、某先生から紅葉全集を頂いた。昼食後、Tさん・Oさんと阪神古書籍即売会にゆく。
大矢透編纂 上田萬年監修『音圖及手習詞歌考』(大日本圖書株式會社)2000円と、渡部晋太郎『国語国字の根本問題』(新風書房)2000円を購う。単価が高いので(相場よりは安いと思うのだが)、今日は二冊だけ。
目録を見るのが面倒くさいので、取りあえず憶えているものだけ幾つか記しておくと、村井弦斎『女道楽』が7000円、押川春浪『新造軍艦』(大正版,小杉放庵の序が附いていた)が2500円、小杉放庵『唐詩及唐詩人』が2500円、蘇峰徳富猪一郎『讀書九十年』(但し一部破損)が2500円で出ていた。
話は変るが、きのう懇親会席上で、SさんやKさん、T先生と久しぶりにお会いした。Kさんとお話ししていたとき、どういう話の流れだったか、山田五十鈴の娘は誰だっけ、という話題になった。「彼女も女優として活躍していたけど藝能界を干された、しかも母親より早く亡くなったんだけどね」とKさんは仰った。私は誰のことなのだか全く分からなかったのだけれども、『文藝春秋』二月号を眺めていて、偶々、それが分かった。
瑳峨三智子――。
彼女は、p.165 に出て来る。そうだったのか。母親の山田五十鈴は美人女優として有名だが、瑳峨三智子は、どちらかというと、むしろ個性的な顔立ちの女優というカテゴリに入るのではないか(と私は思うのだが)。確か夭折したはずだ、とWikipedia を見てみると、享年五十七とあった。生前、奇行で知られていたということは、Kさんの話で初めて知った。
二月号の『文藝春秋』は、創刊八十五周年記念特集として、「写真とエピソードで綴る 芥川賞作家とその時代」や、「昭和の美女」、それから「日本の親子100人」*1などの特集を組んでおり、また、坪内祐三「『非凡の人』菊池寛の新しさ――創刊85周年に寄せて」という文章を載せている。
瑳峨三智子が出て来るのは、特集「昭和の美女」(巻頭カラーグラビア+「読者投票による『昭和の美女』ベスト50」(識者による回答も含む)+聞き手・川本三郎「吉永小百合『二人の高峰さんに憧れて』」+斎藤充功「『永遠の処女』原節子を追って」)である(山川静夫の回答に出て来る)。
因みに「昭和の美女」のアンケート結果は以下のとおり。まず一位は吉永小百合、二位以下は、順に原節子、山本富士子、夏目雅子、高峰三枝子、高峰秀子、若尾文子、岸惠子、森光子、田中絹代……と続く。順当なというか、いたって普通の結果である。それだから、たとえば阿刀田高が「折原啓子」の名を挙げたり(p.159)、玉置宏が「奈良光枝」の名を挙げたりする(p.160)のが嬉しい。これらは客観的にそうだと認められる美女を択んだというよりも、「わが青春の」美女を択んだという感じがする。この基準で回答を募ったとすれば、「ベスト50」の顔ぶれも、かなり異なったものとなったのではないか。
ついでに、私の個人的趣向で昭和の美人女優を二十人えらんでおくとすれば(十人に絞れなかった)、淡島千景、香川京子、逢初夢子、司葉子、宮城野由美子、八千草薫、高峰秀子、霧立のぼる、酒井和歌子、栗原小巻、桂木洋子、川崎弘子、千葉早智子、夏目雅子、桑野通子、若山セツ子、伏見直江、山口淑子(李香蘭)、水戸光子、三條美紀という感じになろうか*2。エキゾチックな容姿の人と、純和風美人とが混在しているが、それはまあ致し方あるまい。
また、特定の作品と結びつけて判断するならば、『女の中にいる他人』の新珠三千代、『怪談累が淵』の北沢典子、『夫婦』の杉葉子、『眠狂四郎無頼控 魔性の肌』の鰐淵晴子、など色々挙げることができる。ただ以上に挙げた人たちは、イメージ最優先でえらんだわけでもない。例えば新珠三千代。竹中労『芸能人別帳』(ちくま文庫)を読んで、彼女に対するイメージはずい分変わってしまったのだが(そうやって影響されやすい私も私なのだが)、『女の中にいる他人』の新珠はゾッとするほど美しかったわけだし、やはりここに加えるに越したことはない、と思ったのである。
もっとも、『文藝春秋』の特集は、対象を女優に限っているのではなくて、あくまで「昭和の美女」なのであるから、作家や歴史上の人物も出ては来る。しかしやはり、中心を占めているのは、銀幕を彩る女優であるように見受けられる。結果としてそうなるのも当然ではあろう。
ところで。かつて文藝春秋は、『週刊文春』誌上で、映画好きの識者249人に対して邦画/洋画女優から「私だけのアイドル」を択んでほしいという趣旨のもとアンケートを行ったことがある。その結果は、文藝春秋編『大アンケートによる女優ベスト150――わが青春のアイドル』(文春文庫ビジュアル版,1990)に纏められている。回答者の持ち点は各三十点で、これをどのように振り分けても良かったから(つまり何人挙げてもよいわけである)、例えば得票数十七の高峰秀子が二位(得点は191点)なのに得票数二十三の原節子が四位(得点は165点)になっていたり、得票数四の三宅邦子が十八位(得点は78点)なのに得票数五の田中裕子が七十五位(得点は23点)となっていたりするという不満は残るものの、ベスト10は久我美子、高峰秀子、吉永小百合、原節子、桂木洋子、芦川いづみ、桑野通子、若山セツ子、有田紀子、桑野みゆき、となっていて、「映画好き」が択んだということがよく分かる顔ぶれなのである。
久しぶりでこの文庫を披いてみると、冒頭に赤瀬川準・長部日出雄・山川静夫による鼎談「邦画女優編座談会」が収録されており、ここに瑳峨三智子が登場することに気がついた。
赤瀬川 (山田五十鈴の―引用者)娘さんは何という名前でしたっけ? ええと……。
山川 嵯(ママ)峨三智子です。
赤瀬川 そうそう。彼女は、女優としてはかなり若いときに消えてるでしょう。
山川 ですが、とても綺麗でした。
赤瀬川 ほんとは、一時のぼくの隠し……。(笑)
山川 あっ、やっぱりそうですか。
赤瀬川 ぼくは気移りしてしょうがないんだけど、彼女はずっと引っかかって残ってます。
山川 やっぱりそうですね。山田さんの若い頃、ぼく知らないでしょう。だから嵯(ママ)峨三智子がダブってくるんですね。きっとああいう顔じゃなかったかな、というふうに。あの人はほんとに惜しい女優でした。一時復帰するような話も、チラホラ聞きましたけどね。(pp.29-30)
たしかに読んだはずなのだが、すっかり忘れていた。こんなこともあるから、本はなかなか棄てられないのである。
山川静夫は、今回の『文藝春秋』でも瑳峨三智子の名を挙げていたわけだが、それは、母の偉大な名のもとに忘れ去られようとしている一女優をどうしても救っておきたかったからなのだろう。