讀書百遍、意自ら見る

◆こないだ某所にて100円で拾った、安岡章太郎編『現代作家と文章』(三省堂新書,1969)をパラパラとやっていて、気になったのが、「読書百遍、意自ら通ず」という表現(p.144)である。これは、谷崎潤一郎の『文章読本』における表現を承けてのものなのだが(中公文庫改版でいうと、p.45に見える。ちなみに谷崎は、「読書百遍、意自ら通ず」を「古の諺」と表現している)、日本において、「其義自見」が「其意自見」という表現(ないしは近似の表現)に変わった(というか、そうとも言われるようになった)のは、一体いつ頃のことなのだろうか。
語義説明の常套句「――の意」も、本来は(つまり「字義」――これは決して「字意」とはいわない――を重視するならば)、「――の義」とせねばならないような気がするのだが*1
話はかわるが、この『現代作家と文章』には、重大な誤植がある。123頁に、「杉浦民平『文章を書く苦痛について』」、とあるのだ。正しくは、「杉浦明平」(音に引かれた誤植である)。それを「重大な誤植」と言っておいたのは、これが人名の誤植であるということにくわえて、当該箇所に引用された杉浦氏の「文章を書く苦痛について」という文章が、この本に収められているからである。
この本にはほかに、中野重治「私の書き方」、椎名麟三「矛盾を生き得る文章」、富士正晴「行たとこばったり」、吉行淳之介「乾いた、透明な文章を」、野坂昭如「なじかは知らねど、長々し」、島尾敏雄「削ることが文章をつくる」、小島信夫「一つのセンテンスと次のセンテンス」、長谷川四郎「“物”を書くこと」、木下順二「志賀的文体と芥川的文体」、小野十三郎「詩の文体」などが収められてあり、たいへん豪華な執筆陣となっている。
◆小池和夫『異体字の世界―旧字・俗字・略字の漢字百科』(河出文庫)は、河出文庫らしからぬ本。カバーデザインが府川充男氏によるものであることを、見逃してはならないだろう。
陸軍幼年学校の『用字便覧』(p.58〜)はこのほど「近デジ」で読めるようになった、と某所に書いてあった。『当用漢字表』(p.46〜)『漢字整理案』(p.56〜)『標準漢字表』(p.70〜)なども、「国施情」でみられる。

天台宗」の「台」は、「灯台」の「台」とは違って、昔からこれです。(p.134)

というのでおもい出したが、小池氏は、「井上ひさし『東京セブンローズ』の文字について」(『漢字問題と文字コード太田出版所収,1999)で、『東京セブンローズ』に「天臺宗」という漢字の誤りがあることを指摘していた(pp.332-33)。文庫版(二分冊となったが)で当該箇所を確認してみたが、やはり、「…天臺宗ではクヮショー、…」(『東京セブンローズ(下)』文春文庫,p.371)と、その儘であった。

*1:広辞苑』にみられる「〜の一」等のような「一」は読み方がわからぬ、といくぶん皮肉めいた調子で書いていたのは、柳瀬尚紀氏だったか。