憑物おとし

ロリータ (新潮文庫)
ウラジーミル・ナボコフ 若島正訳『ロリータ』(新潮文庫)を、やっとよみはじめる。今になって読み始めたのは、若島正『ロリータ、ロリータ、ロリータ』(作品社)が刊行されたことの影響にもよるのだけれど(ナボコフグレアム・グリーンに献本したサイン入オリンピア・プレス初版本には、なんと、約三億円の値がついたらしい)、『朝日新聞』(2007.10.26付)の沼野充義による評――「若島訳のほうが(大久保康雄訳よりも―引用者)はるかに正確だが、それは必ずしも美文になったというわけではない。言わばもともとぼかされていてなんとなくきれいに見えていた古ぼけた写真が、急にシャープになったかわり、変な細部も見えてきた、という印象なのである」――を読んだのも、新訳での再読のきっかけとなった(もっとも、『週刊ブックレビュー』に登場したときから気になってはいたが……)。
「ロリータ」といえば、そのシンボル的存在(?)でもあったナスターシャ・キンスキー、そしてロマン・ポランスキー、をついつい聯想してしまうが、ジェレミー・アイアンズがもう少しだけ早く生まれておれば、あるいはアイアンズ&キンスキー版『ロリータ』が観られたのではないか、と残念ではある(ここで強調しておくが←べつにせんでもいいが、私にはそのての嗜好は無い)。ドミニク・スウェインが相手では、アイアンズの動きもやや生硬にならざるを得ないだろう。しかし、そうなると、ルイ・マルの『ダメージ』(1992)をアイアンズ&ジュリエット・ビノシュという絶妙の組合せで観ることは不可能になっていた(はずだ)から、作品と役者の巡り合わせというのはつくづく縁だな、と思う。
もっとも、スウェインが「15歳」であるという設定は、スタンリー・キューブリック版『ロリータ』(1962)で起用されたスー・リオンが15歳であったことに始まるのだけれど、スウェインがスー・リオンのような女優人生を辿るのではなかろうかと、今からちょっと不安ではある(スーの名誉のために言っておくと、彼女は現在ロサンゼルスで平穏に暮らしている、らしい)。
それからポランスキーについては、八十年代〜九十年代を彼の雌伏期間と看做す論者が多いが、しかし『赤い航路』(1994)は相当な傑作だとおもう。初見時(1997年)は作品の素晴らしさにただ圧倒され、後のポランスキー夫人、エマニュエル・セイナー(セニエ)の眉毛の太さを気にする余裕はなかったのだった。
日本の酒 (岩波文庫) [ 坂口謹一郎 ]
坂口謹一郎――最相葉月の『星新一 一〇〇一話をつくった人』にもちょっと出て来る人物だ――の『日本の酒』(岩波文庫)、これはもと岩波新書に入っていた本だが(『世界の酒』も文庫化されるのか知ら)、この目次カットの幸田露伴筆になる巻物(「古い時代からの酒という字を一一七字写した長い巻物」)に見覚えがあるような気がしていたのだが、なんだっけ、と考えているうちに思いだした。ああそうか、あれは露伴じゃなくて、『酒字集古』だ!
この『酒字集古』は、惣郷正明『古書散歩―文明開化の跡をたどって』(朝日イブニングニュース社1979)pp.150-52 に紹介されている。「同じ字を(書体別に―引用者)最も多く集めたのは『酒字集古』(昭和三十三=一九五八)である。これは酒どころ灘の西宮酒造株式会社社長・伊藤保平参議院議員(当時)が、喜寿と勤続五十年を記念して、酒という字を中国の甲骨文をはじめ朝鮮、日本にわたり、古今の名筆七千二百七十二字を集めたもので、中村梧竹、幸田露伴中村不折らが参画した」(p.152)、とある。ここで出て来たよ露伴が。しかし、『酒字集古』が刊行された時点では露伴はすでに亡くなっているはずだから、露伴は例の巻物をいつ書いたのか、また、『酒字集古』に載せる「酒」字が蒐集され始めたのはいつのことなのか、ちょっと気になる。