シキを語る

史記を語る (岩波文庫)
■「シキを語る」、といっても、岩波文庫には河東碧梧桐*1『子規を語る』・宮崎市定史記を語る』の二種が入っていて、私はその後者を文庫ではなく新書(岩波新書の黄版)で読んでいる。宮崎市定を読めとすすめて下さったのはA先生で、最初に読んだのが『中国文明論集』(岩波文庫)、その明晰な文章に心打たれ、次に読んだのが『科挙』(中公新書)、そしてその次が『史記を語る』であった。
史記を語る』もたいへん面白くて、これまで二度、三度と味読している。
とは云え、疑点がないではない。
司馬遷項羽本紀を立てたのは、始皇帝本紀や高祖本紀に対抗させるための弁証法的思惟の所為である(「義帝本紀」が無いことには解釈を施していたかどうか)、という解釈にはまだしも首肯出来るとしても(但しその「弁証法的」というのは“階級闘争”だの“マルクス史観”だのといった時流に阿る解釈では決してない、ということは本文中に断ってある*2)、それを発展させて呂后本紀は四段弁証法の「承」に当るのだ、と断じてしまうのは勇み足のようでもあるし*3、それと連動して、周の殷討伐、いわゆる「武王伝説」と、周の東遷とが同一の出来事ではなかったか(つまり同一の歴史的事件が分裂して恰も別々の事件であったかのように見えるのではないか)とするのは、本人も言うように「推論」であろうし、そのレベルに止めておけば面白いのだけれど、やはりちょっと言いすぎではないか、という気はする。
それでも、特に世家・列伝を説いた章は抜群に面白かったし、晋世家について述べたくだりで重耳の放浪伝説は“事後予言”によって物語化されたものだと結論するあたりなどは、類型論にも発展させ得るものではないかと面白く読んだ記憶がある。また、司馬遷を歴史に対峙する客観的な超越者と位置づけることは、たとえば後に武田泰淳のデビュー作『司馬遷』を読む上でも大いに参考となったものであった。
ところで、この『史記を語る』が書かれた契機は、北山茂夫(宮崎の教え子でもある)とのやりとりにもあったのではないか、と考えている。北山は1977年10月9日、京都に居た宮崎に、次のような手紙を送っている。「(論文「史記李斯列伝を読む」は―引用者)史記司馬遷の本質に迫る通路を有効に拓かれ、そこに展望をのべられた六〇頁のところ、古くまた新しい評論、たとえば評判の高い武田泰淳の「司馬遷」その他を眼色(ママ―引用者)なからしむるものです。実にみごとな御解明というほかありません(「結語」の提言は重い。)史学史よりもさきに新書として「史記」をまず書かれたら、という気がいたします。論語の新研究」につぐ、そして史学なるがゆえにいっそう関心の深い作品になりましょうね」(『向南山書簡集・中』みすず書房、p.257)。
史記を語る』が生れるのは、その約一年半後のことである。
松岡正剛白川静―漢字の世界観』(平凡社新書)を、さっそく買って読んだのだが。
『桂東雑記Ⅰ』からの引用、「それで私は内藤先生の聲咳(せいがい)に接することはできなかったけれども」(p.262)では、さすがにまずかろう。

*1:碧梧桐は、子規が「野球」の呼称を発案したというデマを流したひとで(とはちょっと言いすぎだが)、私もそれをずっと信じていたのである。最近ではコンビニに売ってある雑学本さえそんなことは書かなくなった。子規は随筆四部作の一『松蘿玉液』(恐ろしいことに、子規がこれを書いたのは二十八、九の頃で、私とさして変わらない)に、「ベースボールいまだかつて訳語あらず、今ここに掲げたる訳語はわれの創意に係る。訳語妥当ならざるは自らこれを知るといへども匆卒の際改竄するに由なし」(岩波文庫版、p.42)と書いていて、確かにそのなかには「野球」が出て来ないのである(「打者」とか「走者」とかは有って、これらは現在でも使われる)。競技名としての「野球」の発案者が「中馬庚」である、という定説については以下を参照のこと――「子規の“野球”は明治二十三年親友に宛てた手紙の中に用いた戯れの自称であってベースボールの訳語ではなかった。(略)明治二十七年、東大史学科生の中馬庚(ちゅうまかのえ)が母校一高の、『校友会雑誌号外』に、ベースボール部史を書くに当たり、「ろんてにす部を庭球とし我部を野球とせば大に義に適せり」と表紙に「一高野球部史」と副題をつけ、翌二十八年二月発行したのが最初」(惣郷正明『辭書漫歩』朝日イブニングニュース社、pp.250-51)。「はじめ「打球おにごっこ」「球抛(たまなげ)」などと訳されていたベースボールに「野球」の語を最初に定着させたのは、第一高等学校校友会野球部編『野球部史』(明治28年)の編者中馬庚(ちゅうまんかなえ)であった」(槌田満文『明治大正の新語・流行語』角川選書、p.154)。

*2:まさにその「弁証法」が字形解釈に応用されたことがあり、白川静先生は『漢字百話』だったかで批判を行っている。

*3:史記』に項羽や呂太后が本紀で別立てされることについて、暦を用いて最もエレガントな解釈を行ったのは、平勢隆郎『史記の「正統」』(講談社学術文庫)であるが、学界での評価がどうなっているのかは寡聞にして知らない。