ポール・ペリオの無断(?)引用

東洋学の創始者たち (1976年)

東洋学の創始者たち (1976年)

石田(幹―幹之助。引用者) (略)先生(白鳥庫吉―引用者)方や桑原隲蔵さんや何かの日本文で発表された研究がありますね、それを彼(ペリオ―引用者)が知らんふりして、じつは日本語が読めるんですが、自説のようにして発表したことがあまりいい感じを持たれなかったんじゃないかと思いますね。だから先生の前では、ペリオのことはあまりほめて言うことは禁物だったんです。(略)
植村(清二―引用者) 桑原さんもペリオについて同じようなことを言っておられますね……。
石田(幹) 藤田剣峰(豊八、一八六九〜一九二九)さんの説か何かを知らん顔して、自分の説のように引いていましたのを不都合だといっておられました。他人ごとならず憤慨しておられましたね。
榎(一雄―引用者) 何か日本の学者が言い出して何年か経つと必ず西洋の学者が同じようなことを言い出す……。
植村 なかなか皮肉に辛辣に言っておられましたね。
吉川幸次郎編『東洋学の創始者たち』講談社1976、pp.40-41

桑原(武夫―引用者) 父(隲蔵―引用者)の話の受け売りで、ちょっとまだ不確かな点もありますが、日本の学者が自説を日本語で書いたものを、フランスあたりの学者が利用している。ペリオ(P.Pelliot)なんかでもそういうことがあったように聞きましたが。たとえば石橋五郎という地理学の教授がありましたね。あの先生がお書きになったものをだれかが無断で使っている。そういうことがあると、だいぶん不愉快な顔をして話したことを覚えております。
田村(実造―引用者) ペリオを名ざして(ママ)おられましたな。
桑原 ペリオのごときは、と。もちろん、ペリオはたいへんに業績をあげた人ですけれども、心底では日本なんかどう扱ってもよいと、ばかにして、ことわりなく利用していると、おこっておりましたね。そういう意味の学問的な一種のナショナリズムというものがあったように思いますね。(同前、p.253)

なおペリオ氏のこの論文(「支那皇帝の征伐」Les Conquêtes de l'Empereur de la Chine, T'oung Pao, XX, 1921―引用者)には、石田(幹之助―引用者)博士が既に言っていることを自分の創見の如く書いている所があって、博士は何回かこれについて不満を漏らしていた。これは白鳥(庫吉―引用者)博士や石浜純太郎氏の所説をペリオが自説のように書いたこととともに、ペリオ氏のために惜しむところであるが、実はペリオ氏は日本語が満足に読めなかったのであって、これら日本人学者の所説を果してどの程度理解していたか疑われる(榎一雄石田幹之助博士略伝」『石田幹之助著作集4 東洋文庫の生れるまで』六興出版1986、p.387

ちなみに『石田幹之助著作集4』には、「支那学者ペリオ」なる架空鼎談(初出:『セルパン』昭和七年六月号)がおさめてある(pp.305-10)。
■誤植?

堯・舜・禹の三帝に就いても、白鳥倉吉博士が同樣な三才思想に配して之が抹殺説を出されたのは學界で有名な話であるが(長澤規矩也支那學術文藝史』三省堂1938、p.5)

この本には、いたるところに誤字があり、前所有者が逐一訂正してくれているので(ex. p.101「王〓」→「王莽」、p.194「徐照」→「徐璣」、p.212「世僕」→「世傑」)、その点でたいへん有用なのだけれど、「白鳥倉吉」はうっかり見逃したのかとおもっていた(朱引があるのに…)。
しかし、「倉吉」と書かれたものもあるみたいですね。

名を庫吉と命ぜられたが、先生晩年数歳の間、官辺の発表に係る文件に倉吉と書かれたものを見受けるが、先生は終生我が名は庫吉であると云つて決して之を改められなかつた。蓋し出生届出の際村吏の軽卒によつて誤つて戸籍簿に登録せられたのに由来する。(石田幹之助白鳥庫吉先生小伝―その略歴と学業―」)

白鳥庫吉の伝記は、津田左右吉も書いているそうだが、まだ読んだことはない。「(白鳥―引用者)先生の正式の伝記は先生第一の高足、津田左右吉博士が先生の歿後『北亜細亜学報』の第二号に詳しく書いてをられる」(石田幹之助「白鳥先生の追憶」)とあるのと、「白鳥先生のご伝記は、津田左右吉博士がかつて『東洋学報』第二十九巻、三、四号、昭和十九年一月(『白鳥博士記念論文集』)に書いておられ」る(吉川幸次郎編『東洋学の創始者たち』p.18)とあるのと、これらは別のもの?
■『日国』第二版、「セイウチ」の項に挙げてある新村出『外来語の話』は、まだ読んでいないが*1、セイウチがロシア語sivuchに由来するものなのではないか、というヒントを与えたのは石田幹之助だそうだ(『石田幹之助著作集4』、p.206)。新村はそのことに触れているのだろうか。これは、テレビのクイズ番組に、「海象」は「セイウチ」と読む、というのが出て来て、それでおもい出した話。
それにしても不満なのは、テレビ番組では「海馬」の正解が大概「タツノオトシゴ」であって、「セイウチ」を認めないこと。それに、「魚虎」は「シャチ」ではなくて「ハリセンボン」なのだそうだ。では何か、シャチは「鯱」が正しいとでも言いたいのだろうか。いやこれは例として挙げたにすぎないので、ほかにも不満はたくさんある。
■『石田幹之助著作集1 大川端の思ひ出』所収、「どうも気になる言葉」「『藝』・『芸』紛乱」「もう一度『芸』と『藝』と」等といった小品も大好きである。学者(ないし評論家)が、どんな言葉にコダワリ(悪い意味ではなくて)を見せるのか。そんなことを知るのは、別に役には立たないけれども愉しい。それは正誤にかかわらないことでも同様で、たとえば福田和也が「決して」「けっして」と書かず、つねに「けして」と書くのはなぜか? とか。

*1:講談社文芸文庫版『南蛮更紗』などもそうだが、買おうかどうしようか考えているうちいつか品切に……