続・小股談義、品切れ続出のちくま・ちくま学芸

■「小股談義」のつづき、というか。「小股の切れ上った〜」について、その後ある方にご教示いただいた。メールの文章をそのまま引用します。「(坂口安吾が―引用者)真杉静枝との対談『ロマン創造のために』(全集17巻所収)で話題にしています。中に稲垣足穂は(小股は―引用者)目尻を指すと言ったとの怪しい伝聞もあります。/太宰との対談でも話題にしてた気がするが、こちらは未確認」とのこと。どうも有難うございます。また、最近出た平山蘆江『東京おぼえ帳』(ウェッジ文庫)で見かけたので、ついでに引こう。「小股といふのを肉体の太股として考へるから判らないのだ、歩度と解説すればすぐに納得が行く筈、あの言葉は吉原から出た言葉で売出しの花魁が道中をするのに、まづ内八文字を踏みます、幾月か踏む中に売れ高が増してお職を張るほどになつたとする、即ちダンサーでいへばナンバーワンの席につくわけで、そこまでゆくと道中も外八文字となる、花魁も外八文字が踏めるほどになれば立居振舞がいとどもの慣れて、少しはかけ出しても、大またのあるき方をしても取乱した姿にはならない、これ即ち小またが切れ上つたといふ形容のあてはまる女つぷりになれたことで、小きざみのいそぎあしが、軽々として而も風情のあることと思へばまちがひはない」(「今昔言葉の泉」pp.333-34)。「『歩度』説」は別の何処かでも読んだが、一応。「肉体の太股として考へるから判らない」という、当時(1952年頃?)の証言もおもしろい。
■「ちくま文庫 ちくま学芸文庫 解説目録2009」を見て、ちょっとびっくり。ちくまの殿山泰司、「あなあきい伝」しか在庫がないのですね。「JAMJAM日記」は、この間までよく見かけたような気がする*1のだが……。水村美苗日本語が亡びるとき』の刊行後にひっぱりだこ(『ユリイカ』とか『中央公論』とか)の蓮實重彦先生の『反=日本語論』もなぜか品切れ(時流に乗って復刊、ということにならないのだろうか)、田中小実昌のエッセイ・コレクションも品切れ(最終巻の六巻だけ持ってない…)。都筑道夫恐怖短篇集成も、夢野久作全集や山田風太郎作品(明治もの、忍法帖短篇)の一部*2も、みんな品切れ。
それから、「漢文の話」(吉川幸次郎)が品切れ一覧表に入っているが(左p.41)、これは「ちくま文庫版」で、「ちくま学芸文庫版」(同内容…だとおもう)のほうは出たばかりでまだイキている(右p.204)。ちゃんと書いてもらわないと、このあたりはわかりにくい。たとえば、これは別の出版社の話になるが、岩波文庫の『菜根譚』は初めは青帯だったのに、いつの間にか赤帯にこっそり編入されている、なんてことがあったし。

*1:(店によっては)店頭にまだ辛うじて残っている、ということなのかな。「ニッポンひとり旅」だけ、持ってない。

*2:学芸の『婦人家庭百科辞典』とか『江藤淳コレクション』とかみたいに、分売不可にすれば、「一部品切れ」なんてことにはならないとおもうのだけれど、どうなのかな。