過日、ある用事のため島根へ行って来たのだが、私にとっての出雲地方とは、『砂の器』*1、そして狐信仰、出雲蕎麦である。これは相当偏った見方であるが、島根・山陰といえば狐、という印象は、倉光清六『憑き物耳袋』(河出書房新社、復刊)、石塚尊俊氏、吉田禎吾『日本の憑きもの―社会人類学的考察』(中公新書)によって決定づけられたようなところがある。
- 作者: 倉光清六
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2008/08/13
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- 作者: 吉田禎吾
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- 作者: 小松和彦
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- 作者: 小泉八雲,平川祐弘
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- 作者: 山室信一,中野目徹
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そのような信仰はまだ一部で生きていて、ことによると、内山節氏が『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)で展開したような、「だまされなくなった」転機を1965年あたりだとする説はあやしくなるのではないか、それは内山氏が「日本をひとつのものとみてしまう『あやうさ』」(p.16)に自らとらわれた結果ではないか、と考えてみたりもしたのだが*2、そういえば、我が家でも「そういうこと」に関してはやかましく言われた時期があった。
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)
- 作者: 内山節
- 出版社/メーカー: 講談社
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幼いころから私が妖怪好きであったのは(一時期は、乱歩ではないが「妖怪博士」とまで呼ばれたのは)、ひとつには、そのような水神信仰など、「見えないものがいる」という直観、というか直感が育まれた結果によるのかもしれない。
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狐信仰の起原に関しては、ジャッカル=ダキニ、稲荷の習合で、アヌビス神もそこに関与している、とする松村潔『日本人はなぜ狐を信仰するのか』(講談社現代新書)の壮大な仮説が面白かったのだが、その信仰もやはり一枚岩のものではなくて、四国には狐信仰が存在しない、というのが定説である。それはさきの倉光清六や内山氏も言及するところだし、最近復刊された笠井新也『阿波の狸の話』(中公文庫)にも、「(阿波では)狸が狐の代理を勤めさせられている」(p.5)などとあるとおりである。
- 作者: 松村潔
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/02/17
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- 作者: 笠井新也
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今回は本殿までには足を踏み入れなかったが、城山(じょうざん)稲荷神社にも行って来た。行って来たというよりも、松江城散策の途中に偶然たどり着いた、というのが正確である。たどり着いてから、そこが城山稲荷神社であることを知ったのである。
そこは、車の往来のはげしい大通りから少しわきに逸れた、閑静な住宅街の一画であった。
私は、その土地の狐信仰の根強さよりも、八雲(ハーン)が素朴ですばらしいと褒めていた石狐がいまでもそのままの形で存在するということに、何とも言えない感慨をおぼえた。
石狐をじっと見ていたら、それまで晴れ渡っていた空が、にわかに雨模様を呈した(それも一時だった)のも、なんだか不思議なことであった。