出雲といえば

 過日、ある用事のため島根へ行って来たのだが、私にとっての出雲地方とは、『砂の器*1、そして狐信仰、出雲蕎麦である。これは相当偏った見方であるが、島根・山陰といえば狐、という印象は、倉光清六『憑き物耳袋』(河出書房新社、復刊)、石塚尊俊氏、吉田禎吾『日本の憑きもの―社会人類学的考察』(中公新書)によって決定づけられたようなところがある。

憑き物耳袋

憑き物耳袋

日本の憑きもの―社会人類学的考察 (中公新書)

日本の憑きもの―社会人類学的考察 (中公新書)

 狐憑き、いや憑き物一般には、望ましいものと望ましくないものとがある、と書いたのは吉田氏であり、また「憑き」の概念を拡大した小松和彦氏(『憑霊信仰論』)であり、古くは小泉八雲ラフカディオ・ハーン)も、その両義性について、出雲の松平家や「妖狐」を例にあげて言及していた(「狐」"Kitsune",『神々の国の首都』所収)。
憑霊信仰論 妖怪研究への試み (講談社学術文庫)

憑霊信仰論 妖怪研究への試み (講談社学術文庫)

神々の国の首都 (講談社学術文庫)

神々の国の首都 (講談社学術文庫)

 もっとも、狐憑きの“真相”に関しては、「みな一種神経迷乱の疾たること明かになりぬ」(阪谷素「狐説の疑」「明六雑誌」第20号,『明六雑誌(中)』岩波文庫、p.191)とか、「人が強烈な威光暗示にかかった」から(角田義治『怪し火・ばかされ探訪―民俗奇話考』創樹社、p.205)だとか、「社会的に形成された精神異常――これは心的分離=mental dissociation(精神過程が意識から分離すること)を伴う――の一種」(吉田前掲、p.15)であるとか、味気ない説明がなされるわけだが、そのような分析的な見解以前に、現代にもそういう現象がある、という話を聞くのは、たいへん興味ふかいことである。
明六雑誌〈中〉 (岩波文庫)

明六雑誌〈中〉 (岩波文庫)

 十月下旬、たまたま民俗学のT先生に色々とお話を伺う機会があったのだが、そのおりに、憑き物信仰のフィールドワークを行っているある女性研究者が島根へ行った、という話も出た。彼女はもと「シャーマン」であって、たまに神憑り的な言動を起すことで有名だったらしい。
 そのような信仰はまだ一部で生きていて、ことによると、内山節氏が『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)で展開したような、「だまされなくなった」転機を1965年あたりだとする説はあやしくなるのではないか、それは内山氏が「日本をひとつのものとみてしまう『あやうさ』」(p.16)に自らとらわれた結果ではないか、と考えてみたりもしたのだが*2、そういえば、我が家でも「そういうこと」に関してはやかましく言われた時期があった。
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

 私は無宗教で、あえていうなら、白川静氏の仰る「自然教」徒かもしれない。しかも祖霊を尊ぶ家風は脈々と受け継がれている。そのことをお話しすると、T先生は、それは立派な宗教だと仰ったのだが、ともあれ、「水神様」に盛塩をし、「まいまいちゃん(仏前)」には手を合せる家庭で育った。それから、稲荷はあまり拝まないほうがいい、とも言われた。キツネの霊はよいほうに作用すればいいが、バチがあたると大変な災厄がもたらされる、と、そういう話であった。土地柄だと言われたら、なるほどそうなのかもしれない。
 幼いころから私が妖怪好きであったのは(一時期は、乱歩ではないが「妖怪博士」とまで呼ばれたのは)、ひとつには、そのような水神信仰など、「見えないものがいる」という直観、というか直感が育まれた結果によるのかもしれない。

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 狐信仰の起原に関しては、ジャッカル=ダキニ、稲荷の習合で、アヌビス神もそこに関与している、とする松村潔『日本人はなぜ狐を信仰するのか』(講談社現代新書)の壮大な仮説が面白かったのだが、その信仰もやはり一枚岩のものではなくて、四国には狐信仰が存在しない、というのが定説である。それはさきの倉光清六や内山氏も言及するところだし、最近復刊された笠井新也『阿波の狸の話』(中公文庫)にも、「(阿波では)狸が狐の代理を勤めさせられている」(p.5)などとあるとおりである。

日本人はなぜ狐を信仰するのか (講談社現代新書)

日本人はなぜ狐を信仰するのか (講談社現代新書)

阿波の狸の話 (中公文庫)

阿波の狸の話 (中公文庫)

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 今回は本殿までには足を踏み入れなかったが、城山(じょうざん)稲荷神社にも行って来た。行って来たというよりも、松江城散策の途中に偶然たどり着いた、というのが正確である。たどり着いてから、そこが城山稲荷神社であることを知ったのである。
 そこは、車の往来のはげしい大通りから少しわきに逸れた、閑静な住宅街の一画であった。
 私は、その土地の狐信仰の根強さよりも、八雲(ハーン)が素朴ですばらしいと褒めていた石狐がいまでもそのままの形で存在するということに、何とも言えない感慨をおぼえた。
 石狐をじっと見ていたら、それまで晴れ渡っていた空が、にわかに雨模様を呈した(それも一時だった)のも、なんだか不思議なことであった。

*1:亀嵩では下車しなかった。

*2:キツネの例ではないが、朝倉喬司『都市伝説と犯罪―津山三十人殺しから秋葉原通り魔事件まで』(現代書館)では、昭和五十四年(1979)の「タヌキ憑き」事件(熊本)の実例が報告されている(p.44〜)。