二十年ほど前の愛読書+YTお気に入り

 色々と銷沈することがあって、すっかり気が滅入ってしまい、仕方なく本を整理していると、村松一弥*1責任編集『学習漫画 中国からきた よくわかることわざ事典』(集英社)が出てきたのだった。
 小学生のころ、何度も何度も読んで、漢字や漢文に対する憧憬を抱かせてくれた本である。子供むけとは云え、これがなかなか侮れないのである。
 特に、出典の項がかなり充実している。たとえば、「一網打尽」の「出典」の項にはこうある。「ことばは、元の時代の歴史家トクトたちが、宋の歴史をまとめた『宋史』の「范純仁伝」。まんがは、明の時代の歴史家馮〔王+奇〕と陳邦瞻が、宋の歴史的事件をまとめた『宋史紀事本末』の二十九巻」(p.20)。
 また、「蝸牛角上の争い」の「出典」項であれば、「ことばは、唐の時代の詩人白居易の詩や文章をまとめた『白氏文集』の「対酒」。まんがは、戦国時代の思想家壮(ママ)子が、自分の自由な考えをまとめた『荘子』の「則陽」」(p.50)、となっている。つまり、言葉の出典と、それがもとにしている寓話とを逐一分けて示してくれているのである。
 後者の場合でいうと、『荘子』則陽篇第二十五には、「蝸牛角上争」はそのままのかたちで現れない、ということである。すなわち当該章句をみると、「有國於蝸之左角者、曰觸氏、有國於蝸之右角者、曰蠻氏、時相與爭地而戰」のごとくなっている。岩波文庫*2の註釈(金谷治)にはただ、「『蝸牛角上の争い』『蝸角の争い』ということばの出典となるところ」(p.293)、とあるのみである。
 一方、その「起承二句」が、「『和漢朗詠集』巻下・雑*3・無常の部に引かれている」*4白居易(樂天)の「對酒」には、一句めに「蝸牛角上爭何事」と出て来る。一般に、「蝸牛角上」と熟したものはこれが初出とされる。

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 他に、よく印象に残っていたのは、「渾沌の死」*5(pp.106-07)、「先んずれば人を制す」*6(pp.124-25)、「四面楚歌」*7(pp.132-35)、「折箭のいましめ」(pp.142-43)、「天知る地知る我知る人知る」(pp.172-73)、「鳴かず飛ばず」(pp.204-07)、「覆水盆に返らず」(pp.220-21)、「閉戸先生」(p.233)、「孟母断機のいましめ」(p.241)、「病 膏肓に入る」(pp.244-45)あたりだろうか。絵とともに当時の記憶も蘇った。懐かしい。
 将来自分に子供が出来たら、ぜひ読ませてやりたい本である。復刊してくれないかな。

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*1:村松梢風村松暎、村松喬、村松友視などの村松一族と関係があるのだろうか?

*2:底本には続古逸叢書の『宋刊南華真経』を用いている。

*3:「上巻の春夏秋冬の「四季」に対して、下巻は「雑」である。永享本ならびに私注は「風」の前に大字で「雑」と標する」(川口久雄 志田延義校注『日本古典文学大系73 和漢朗詠集梁塵秘抄岩波書店,p.149)という。下巻の下位分類として「雑」があるのではない。ちなみに、書下しは「蝸牛(くわぎう)の角の上に何事(なんごと)をか爭ふ 石火の光の中(うち)に此の身を寄せたり」(同前,p.254)となっている。底本は「伝藤原行成筆粘葉装二冊本倭漢朗詠集」。

*4:石川忠久編『漢詩鑑賞事典』講談社学術文庫,p.505。

*5:「渾沌七竅に死す」「渾沌七竅を穿つ」等としても知られる。

*6:いささか尾籠な余談だが、宝島社の文庫本(漢字の誤読集)に、ある優等生が、漢文の授業中にこれを堂々と「せんずればすなわち人を制す」と読んだ、という笑い話があった。

*7:そうだ、これをきっかけにして司馬や長與の『項羽と劉邦』も読んだのだっけ。