当ブログでは、あいもかわらず、どうでもいいことばかり書きつらねていく所存ですが、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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辰野隆が、『凡愚春秋』(角川新書1957)に、
雑誌『随筆』は、昭和二十七年七月に初号、翌年の六月に当分休業号を出して、今日までそのままになっていたのである。林髞*1、徳川夢声、それに私を加えた三人の同人の一人夢声老が金婚だか、ダイヤモンド婚だか、いずれかの婚を祝うために、夫人携帯で世界漫遊と洒落こんだので、鼎が一脚を失って「随筆」が「不随筆」となって、夢翁の呑ン癖がいつ再発するか見当がつかぬのと同じような状態で、一年あまり休刊したのである。(略)夢声老が帰朝してから、三人が会えば異口同音に「またそろそろ始めますかな」なんていってはいたが、そのそろそろが文義通りに徐行しているうちに、また半年がたってしまった。あとの半年や寝て暮そうか、と考えていたところへ、運よく、産経社が『随筆』をあのまま中気にしておく手はない、といったかどうか知らないが、此方の三人がなんとなくそういわれているような気が自ら動いて、引きうけよう。任かせよう。ということになったのである。(「毒にも薬にもならない話」pp.150-51)
と書いているのだが、年末の「大丸のふる本市」(今回は三度も行った。年末に一体何してるんだろう)で入手した、辰野隆・林髞・徳川夢声『隨筆寄席』(日本出版協同1954)を見てみると、第一回鼎談の記事の初出が「昭和二十七年一月号」となっている。
濱田研吾氏作成の「徳川夢声著書目録」(『徳川夢声の小説と漫談これ一冊で』清流出版所収)によれば、日本出版協同の『随筆寄席』は第二巻まで出たようである。その舞台を「随筆サンケイ」に移した後は、春歩堂から計四冊(第四巻は昭和三十五年八月刊)出ており、第五〜八巻は「出版予告はあるが現物未確認」(p.297)、とある。この座談会じたいはいつまで続いたのであろうか。
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映画談義も楽しいが、邦画の話題は殆ど出てこない。専ら仏映画である。なかに、
徳川 最近林先生は映画の方御覧になりますか。
林 あまり見ませんが、試写会の時間がどうもぼくの都合が悪いんで――「パリの空の下セーヌは流れる」面白かつたですよ。
辰野 医学生が心臓の治療をするでしよう。ほんとうの、人間の?
林 そう思います。ほんとうの人間の心臓と思いますね。
辰野 犬じやないかと思つたが…。
林 あれをさきにとつて、あとからはめこんだと思いますね。特別にやつたとは思いませんね。
辰野 兎に角、手術の場面は面白いですね。(pp.161-162)
とあるのが印象に残ったが、このタネ明しは、後に夢声の『悲觀樂觀』*2(文藝春秋1955)の中でなされている。
デュ*3 あなたは「??セーヌ???」を見たか?
(傍のだれかが「ホラ、『巴里の空の下セーヌは流れる』つてアレです。」と教える。)
夢聲 あア、あれ見ました見ました。(見たと申しても、江東樂天地でオケツの方を二卷ほど見たばかりだが、しめしめ、これで話の絲口がつかめたり矣。)
夢聲 あれは實に素晴らしい映畫でしたな……
デュ ……
夢聲 殊に、素晴らしかつたのは、心臟の手術をする場面です。あの手術は本當に人間の心臟だつたのですか、一説によるとチンパンジーの心臟だろうなんていいますが。
デュ 人間の心臟です。勿論、あれは映畫のために撮つたのでなく、學術の參考に撮つたものであつたが、それを一部利用してあの場面をつくつたのです。(「巨匠會見記」pp.207-08)
『悲觀樂觀』所収の文章のうちでは、とりわけ「泥鰌の蓮根」が素晴らしく、これは日本映画ファン必読の文章であろう。
機会があれば紹介したい。
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年末から正月にかけては、珍しく来客があって(従妹・従弟・妹などが来た)、いつもよりニギヤカで愉快な時間を過した。昼夜逆転生活を送っている*4のは私だけなので、夜なかにはひとりでコソコソと起きだして、本を濫読していた。このところ、『春秋左氏伝』の現代語訳や『列子』、『平家物語』を部分再読するなど、妙に、「古典づいていた」のだが、堀江敏幸氏の『回送電車2』が文庫入りしたのを切っ掛けに、獅子文六の『悦ちゃん』『娘と私』を再読して大感動したり(『娘と私』は文六作品、いや日本文学の一大金字塔だと改めて実感する)、福岡隆『活字にならなかった話』(これも大丸で買った)を読んだりもした。それから、昨年末のMさんとのちょっとした会話によって、拾い読みしかしてなかった渡部晋太郎『国語国字の根本問題』にいっそうの興味をおぼえ、アタマから読んでいるところ。
新刊では、河合栄治郎の評伝(中公新書)を読みたくおもっているが、これは本屋でパラパラと見ただけ。
筒井清忠『日本型「教養」の運命―歴史社会学的考察』(岩波現代文庫)は、文庫化されてはじめて手にとったが、これもなかなか面白かった。この本に、
昭和一三年刊の『学生と読書』でも「必読書目」リストが掲載された。(p.85)
とあり、たまたまその河合榮治郎編『學生と讀書』(日本評論社)を持っていたので、現物を確認したがリストが見当らない。よくよく見ると、序文後の「附記」に、
舊版には第三部として「讀書の資料」及附録として「統計にもあらはれた現代學生の讀書傾向」が掲載されてゐたが、出版界の事情の變化から却つて讀者を混亂させることを虞れ、著作權者側の諒解をえて、割愛することにした。――昭和二十一年五月――編輯部
と書いてある。してみると、その「讀書の資料」にリストが掲載されていたのであろうか。私の所有する版は、「昭和二十三年二月二十日 第二十二刷」であった。
まさか、平泉澄や筧克彦などの著作がリストにあがっていたとはおもえないが、敗戦の影響もあったのかな、と考えてみたり。
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