論語ブーム(1)

 なぜか、「論語ブーム」だそうである。あの長山靖生さんも、『「論語」でまともな親になる―世渡りよりも人の道』(光文社新書)を出したので、ちびりちびりと読んでいる。

『論語』でまともな親になる 世渡りよりも人の道 (光文社新書)

『論語』でまともな親になる 世渡りよりも人の道 (光文社新書)

 中身はちゃんと見てないが、江上剛『四十にして惑わず―サラリーマン「論語」小説』(光文社文庫)とかいうのも出ていた。
 さて『論語』であるが、長山氏が『論語』を読むのを習慣とするようになったのは、ここ七年くらいのことらしい。幼少の頃にも読んでいたとはいうが、身にしみて感じたことはなかったそうである。同じように、たとえば合山究先生も、若年の砌には「時おりひもといてはいたけれども、やはり何となく、古くさい、封建倫理を説いた書物というイメージがあっ」た(「『論語』の読み方と解釈」p.12、加地伸行編『論語の世界』中公文庫)、と書いている。
論語の世界 (中公文庫)

論語の世界 (中公文庫)

 御多分にもれずわたしも、最近でこそ折にふれて『論語』を読みかえすのだが、高校生の時分はまったくおもしろいとおもえなかった。それどころか某高校教師が、微子篇第十八の悪名高い一節「唯女子與小人爲難養也(唯だ女子と小人とは養い難しと爲す)」を引き、「これは男尊女卑の思想である」云々と力説するものだから、ますます印象が悪くなる一方だった*1
 それよりも、『列子』や『韓非子』などのほうが、まだおもしろく読めた。朱熹の択んだ「四書」のうちであれば、これは拾い読みしかしていないが、『孟子』がいちばん分りやすかった。あとは古色蒼然こけむした観があって、なんとなく敬して遠ざけていた。
 しかし『論語』のおもしろさは、あるとき、不意に分るようなものだ、とおもっている。このわたしでさえ、そのような体験があるからだ。たとえば、「由之行詐也(由の詐りを行ふや)」、という文句が(まあ身勝手ではあるが)まるで自分に向けての言葉であるように感じたり、ただただ訓戒をたれるだけではなくて、「我無能焉(我能くすることなし)」と附加えておくのを忘れないようなお茶目なところというか人間くささ*2を好もしく感じたりする瞬間があったし、あるいはまた、再読時に「古者、言之不出、恥躬之不逮也(古者、言をこれ出さざるは、躬の逮ばざるを恥ぢてなり)」(里仁第四)とか、「躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣(躬自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかる)」(衞靈公第十五)とかいったありきたりな(と感じていた)一節が、不意に心を捉えてやまないことがあるのだ。
 昨秋、ある方がわたしに、おすすめの邦訳論語は何かと訊かれたことがあった。しかし、わたしがよく繙くのは金谷治の『論語』(岩波文庫)くらいで、これを他のものと比較して読むというようなことはあまりなかったし、文庫に入っている邦訳しか読んでいないから*3、くわしいことまでは答えられなかった。ただ、金谷版は簡にして要をえており読みやすい、ということと、貝塚茂樹*4訳注『論語』(中公文庫)の訳には独自の解釈が多い、ということだけは、お伝えしておいた。
論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (中公文庫)

論語 (中公文庫)

 金谷版は、まさに「述べて作らず」を旨としているのであって、『論語』に過剰な期待を寄せる人や、これを実用的に読もうとする人は、味気ないと感じるかもしれない。だが、余計な解釈を施さない点はむしろ好もしい。わが身に引きつけて附会の説を開陳する書なども昔からあるが、それはどうもいただけない。
 貝塚版も時々読むが、というか、実をいうとわたしがはじめて触れた『論語』は貝塚版なのだが、これをそのまま暗誦すると、ちょっと困るかもしれない。冒頭の有名な一節、「子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方來、不亦樂乎」(學而第一)からして、「子曰く、学んで時(ここ)に習う、亦説(よろこ)ばしからずや。有朋(とも)、遠きより方(なら)び来たる、亦楽しからずや」(p.8)と読下しており、「遠方」を「遠きより方ぶ」と解するのは兪樾の説に基いているからまだよいとしても*5、「時」を「とき」ではなく、「ここ」と訓んで助字と解することなどは独特で(いちおう根拠は示されているが)、はじめてこれに接する人は、読み慣れた(あるいは耳慣れた)論語とはずいぶん異なっていることにきっと面くらうだろう。
 しかし貝塚版は、たとえば「子曰、古之學者爲己、今之學者爲人(子曰く、古の學者は己の爲にし、今の學者は人の爲にす)」(憲問第十四)という章について「現在の学者にとって、すこし耳が痛い教訓ではある」(p.408)と書いていたり、子貢の「君子之過也、如日月之蝕焉(君子の過ちや、日月の蝕するが如し)」(子張第十九)という発言に対して、「子貢が君子を日食月食にたとえた比喩は、さすがに巧妙である。その巧妙さはむしろ師の孔子をしのぐかもしれない」(p.552)と評していたりして、ちょっとにくめないところもある。
 また、語釈の点でも、諸書よりも懇切なところがある。たとえば「子之所愼、齊戰疾」(述而第七)という章句の「齊」字について、「ある異本に斎に作っている。斉は斎字のかわりに斉字をかりて書いたもので、意味は斎戒の斎である。」(p.187)と注する。金谷版はこれを「『経典釈文』では、ある本には「斎」とあるという。斎は本字。」(p.94)とし、また宇野哲人の『論語新釈』(講談社学術文庫*6では、「斎と同じで、祭をする時に精神を統一して神明に交わるのである。ものいみ。」(p.189)とする。「齊」「齋」が別字であるむねを明記する貝塚版が最も親切なこと、言うまでもない。しかしまあ貝塚版は、いずれにせよ、個性の強い本ではある。
論語新釈 (講談社学術文庫)

論語新釈 (講談社学術文庫)

 じゃあ金谷版がよいか、というと、「一説には『春秋左氏伝』の著者とされる孔子と同時代の…」(p.73)というケアレスミスもあったりするので、難しい……。やっぱり、いくつか備えておくべきか。(誤解を招く書き方でしたので、訂正します。)

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 論語関連書では、吉川幸次郎の『「論語」の話』(ちくま学芸文庫)が読みやすかった。同じ著者に『中国の知恵』(新潮文庫)というのもあったが、これは現在品切。しかし古本屋でけっこう見かける。

「論語」の話 (ちくま学芸文庫)

「論語」の話 (ちくま学芸文庫)

 最近のものでは、呉智英『現代人の論語』(文藝春秋)。文庫に入っている。呉氏は、『インテリ大戦争』などで、昔から、『論語』の面白さを紹介している。
 個人的には、白川静孔子伝』(中公叢書)がおすすめで(呉氏はずっと以前から強くすすめていた)、これも文庫に入っているが、『論語』をひととおり読んでからのほうが、おもしろく読めた。
 また、学術文庫や中公文庫で、加地伸行先生の本が多数出ているが、中身を見ていないので、なんともいえない。
 貝塚茂樹孔子』(岩波新書)もそれなりにおもしろく読んだが、漢字論、ソクラテス、果てはキリストにまで説きおよぶ和辻哲郎孔子』(角川文庫、岩波文庫など)*7は、薄いながらも読みごたえのある本であった。圧巻は、『史記孔子世家の信憑性を検証したくだりである。孔子世家は『論語』を多く引用しながらも、「子貢色作」(子貢色作す)という一文(中華書局の標点本でいうと、『史記』第六巻のp.1930)を挿入したことによって、「この場面とおよそ関係のない予一貫之の問答をここに列ねることになった」のだ、「これによっても世家の論語利用がいかなる程度のものであるかはわかるであろう」(角川文庫改版,p.45)、と激しい調子で批判している。
孔子 (岩波文庫)

孔子 (岩波文庫)

 ところで長山氏は、中島敦の「弟子」を読み、「何度も泣いた」(p.248)という。わたしは、中島敦の作品は「文字禍」「名人伝」「牛人」「悟浄出世」「悟浄歎異」あたりが好きだが、「弟子」もなかなかの佳品だとおもう。少くとも、谷崎潤一郎の「麒麟」よりは好きである。
 「弟子」は、基本的には『論語』そのものに基いているが、十一章で子路が老人に会って問答をする場面などは「微子篇第十八」をトレースしつつ潤色も多少施している。子路の壮絶な最期の描写は『左氏傳』哀公十五年に拠っており、また孔子が、子路が醢(ししびしお)にされたというのを伝え聞いて、醢を食えなくなった、という記述は、城山三郎平岩外四『人生に二度読む本』(講談社文庫)のなかで平岩氏が「ブラックユーモア」と評していたけれども、『孔子家語』巻之十「曲禮子夏問」の二十一章(わたしは藤原正の訳文しか読んでいないが)を典拠にしているとおぼしい*8。そも孔子子路の出会いの場面からして、『孔子家語』巻之五「子路初見」を参考にしたと考えられる。
人生に二度読む本 (講談社文庫)

人生に二度読む本 (講談社文庫)

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 本屋に、出原隆俊先生の『異説・日本近代文学』が出ていたので拝読。奥付を見てアレッ。「あとがき」を見てアレアレッ。

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 そういえば、読売新聞社会部『東京ことば』(読売新聞社1988)p.71の写真キャプションが「斉藤秀夫」となっていることに、最近気づいた。一体誰のことかとおもえば、斎賀秀夫先生であった。

*1:この一文について、長山氏は「弁解の余地がない」(p.237)と述べ、一海知義先生も「封建的な思想の持主として、こういう側面もあった」(『論語語論』藤原書店,p.118)、と書いている。ちなみに一海氏は、「女子」の部分は語調の面から「小人」に合せて二字語になっているとする。義は「女性」に同じである。

*2:人間くささといえば、子罕篇第九の冒頭、「子罕言、利與命與仁(子罕=まれ=に言ふ、利と命と仁と)」を挙げるに如くはなかろう。「罕言」は「めったに言わない」と訳出されるばあいが多い。そのように訳すると聞こえはいいが、孔子でさえ「利」を「まれには言う」のである。

*3:そもそも、中国文学を専攻したからといって、『論語』をよく読んでいるとは限らない。特にわたしはふまじめな学生であった。

*4:湯川秀樹の兄。

*5:それでもふつうは、「朋有り、遠方より来る」とか「朋遠方より来る有り」とか教わるはずである。また、「有朋」を「友朋」と同義に解するのは武内義雄などの説。「山縣有朋」の名はここから採られている。ついでに言うと、「秋山好古」の名も多分、述而篇から採られている。

*6:これは図版が多数でわかりよい。ただし、解釈は多く朱熹の新注に拠る。

*7:和辻は、小林勇の慫慂によってこれを書いたらしい。

*8:子路が「醢」にされた話は、『禮記』檀弓上にも見える。