なぜか、「論語ブーム」だそうである。あの長山靖生さんも、『「論語」でまともな親になる―世渡りよりも人の道』(光文社新書)を出したので、ちびりちびりと読んでいる。
『論語』でまともな親になる 世渡りよりも人の道 (光文社新書)
- 作者: 長山靖生
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2009/12/16
- メディア: 新書
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さて『論語』であるが、長山氏が『論語』を読むのを習慣とするようになったのは、ここ七年くらいのことらしい。幼少の頃にも読んでいたとはいうが、身にしみて感じたことはなかったそうである。同じように、たとえば合山究先生も、若年の砌には「時おりひもといてはいたけれども、やはり何となく、古くさい、封建倫理を説いた書物というイメージがあっ」た(「『論語』の読み方と解釈」p.12、加地伸行編『論語の世界』中公文庫)、と書いている。
- 作者: 加地伸行
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1992/04
- メディア: 文庫
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それよりも、『列子』や『韓非子』などのほうが、まだおもしろく読めた。朱熹の択んだ「四書」のうちであれば、これは拾い読みしかしていないが、『孟子』がいちばん分りやすかった。あとは古色蒼然こけむした観があって、なんとなく敬して遠ざけていた。
しかし『論語』のおもしろさは、あるとき、不意に分るようなものだ、とおもっている。このわたしでさえ、そのような体験があるからだ。たとえば、「由之行詐也(由の詐りを行ふや)」、という文句が(まあ身勝手ではあるが)まるで自分に向けての言葉であるように感じたり、ただただ訓戒をたれるだけではなくて、「我無能焉(我能くすることなし)」と附加えておくのを忘れないようなお茶目なところというか人間くささ*2を好もしく感じたりする瞬間があったし、あるいはまた、再読時に「古者、言之不出、恥躬之不逮也(古者、言をこれ出さざるは、躬の逮ばざるを恥ぢてなり)」(里仁第四)とか、「躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣(躬自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかる)」(衞靈公第十五)とかいったありきたりな(と感じていた)一節が、不意に心を捉えてやまないことがあるのだ。
昨秋、ある方がわたしに、おすすめの邦訳論語は何かと訊かれたことがあった。しかし、わたしがよく繙くのは金谷治の『論語』(岩波文庫)くらいで、これを他のものと比較して読むというようなことはあまりなかったし、文庫に入っている邦訳しか読んでいないから*3、くわしいことまでは答えられなかった。ただ、金谷版は簡にして要をえており読みやすい、ということと、貝塚茂樹*4訳注『論語』(中公文庫)の訳には独自の解釈が多い、ということだけは、お伝えしておいた。
- 作者: 金谷治訳注
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1999/11/16
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- 作者: 孔子,貝塚茂樹
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1973/07/10
- メディア: 文庫
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貝塚版も時々読むが、というか、実をいうとわたしがはじめて触れた『論語』は貝塚版なのだが、これをそのまま暗誦すると、ちょっと困るかもしれない。冒頭の有名な一節、「子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方來、不亦樂乎」(學而第一)からして、「子曰く、学んで時(ここ)に習う、亦説(よろこ)ばしからずや。有朋(とも)、遠きより方(なら)び来たる、亦楽しからずや」(p.8)と読下しており、「遠方」を「遠きより方ぶ」と解するのは兪樾の説に基いているからまだよいとしても*5、「時」を「とき」ではなく、「ここ」と訓んで助字と解することなどは独特で(いちおう根拠は示されているが)、はじめてこれに接する人は、読み慣れた(あるいは耳慣れた)論語とはずいぶん異なっていることにきっと面くらうだろう。
しかし貝塚版は、たとえば「子曰、古之學者爲己、今之學者爲人(子曰く、古の學者は己の爲にし、今の學者は人の爲にす)」(憲問第十四)という章について「現在の学者にとって、すこし耳が痛い教訓ではある」(p.408)と書いていたり、子貢の「君子之過也、如日月之蝕焉(君子の過ちや、日月の蝕するが如し)」(子張第十九)という発言に対して、「子貢が君子を日食月食にたとえた比喩は、さすがに巧妙である。その巧妙さはむしろ師の孔子をしのぐかもしれない」(p.552)と評していたりして、ちょっとにくめないところもある。
また、語釈の点でも、諸書よりも懇切なところがある。たとえば「子之所愼、齊戰疾」(述而第七)という章句の「齊」字について、「ある異本に斎に作っている。斉は斎字のかわりに斉字をかりて書いたもので、意味は斎戒の斎である。」(p.187)と注する。金谷版はこれを「『経典釈文』では、ある本には「斎」とあるという。斎は本字。」(p.94)とし、また宇野哲人の『論語新釈』(講談社学術文庫)*6では、「斎と同じで、祭をする時に精神を統一して神明に交わるのである。ものいみ。」(p.189)とする。「齊」「齋」が別字であるむねを明記する貝塚版が最も親切なこと、言うまでもない。しかしまあ貝塚版は、いずれにせよ、個性の強い本ではある。
- 作者: 宇野哲人
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1980/01/08
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論語関連書では、吉川幸次郎の『「論語」の話』(ちくま学芸文庫)が読みやすかった。同じ著者に『中国の知恵』(新潮文庫)というのもあったが、これは現在品切。しかし古本屋でけっこう見かける。
- 作者: 吉川幸次郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/01/09
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個人的には、白川静『孔子伝』(中公叢書)がおすすめで(呉氏はずっと以前から強くすすめていた)、これも文庫に入っているが、『論語』をひととおり読んでからのほうが、おもしろく読めた。
また、学術文庫や中公文庫で、加地伸行先生の本が多数出ているが、中身を見ていないので、なんともいえない。
貝塚茂樹『孔子』(岩波新書)もそれなりにおもしろく読んだが、漢字論、ソクラテス、果てはキリストにまで説きおよぶ和辻哲郎『孔子』(角川文庫、岩波文庫など)*7は、薄いながらも読みごたえのある本であった。圧巻は、『史記』孔子世家の信憑性を検証したくだりである。孔子世家は『論語』を多く引用しながらも、「子貢色作」(子貢色作す)という一文(中華書局の標点本でいうと、『史記』第六巻のp.1930)を挿入したことによって、「この場面とおよそ関係のない予一貫之の問答をここに列ねることになった」のだ、「これによっても世家の論語利用がいかなる程度のものであるかはわかるであろう」(角川文庫改版,p.45)、と激しい調子で批判している。
- 作者: 和辻哲郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1988/12/16
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「弟子」は、基本的には『論語』そのものに基いているが、十一章で子路が老人に会って問答をする場面などは「微子篇第十八」をトレースしつつ潤色も多少施している。子路の壮絶な最期の描写は『左氏傳』哀公十五年に拠っており、また孔子が、子路が醢(ししびしお)にされたというのを伝え聞いて、醢を食えなくなった、という記述は、城山三郎・平岩外四『人生に二度読む本』(講談社文庫)のなかで平岩氏が「ブラックユーモア」と評していたけれども、『孔子家語』巻之十「曲禮子夏問」の二十一章(わたしは藤原正の訳文しか読んでいないが)を典拠にしているとおぼしい*8。そも孔子と子路の出会いの場面からして、『孔子家語』巻之五「子路初見」を参考にしたと考えられる。
- 作者: 平岩外四,城山三郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/11/13
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本屋に、出原隆俊先生の『異説・日本近代文学』が出ていたので拝読。奥付を見てアレッ。「あとがき」を見てアレアレッ。
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そういえば、読売新聞社会部『東京ことば』(読売新聞社1988)p.71の写真キャプションが「斉藤秀夫」となっていることに、最近気づいた。一体誰のことかとおもえば、斎賀秀夫先生であった。
*1:この一文について、長山氏は「弁解の余地がない」(p.237)と述べ、一海知義先生も「封建的な思想の持主として、こういう側面もあった」(『論語語論』藤原書店,p.118)、と書いている。ちなみに一海氏は、「女子」の部分は語調の面から「小人」に合せて二字語になっているとする。義は「女性」に同じである。
*2:人間くささといえば、子罕篇第九の冒頭、「子罕言、利與命與仁(子罕=まれ=に言ふ、利と命と仁と)」を挙げるに如くはなかろう。「罕言」は「めったに言わない」と訳出されるばあいが多い。そのように訳すると聞こえはいいが、孔子でさえ「利」を「まれには言う」のである。
*3:そもそも、中国文学を専攻したからといって、『論語』をよく読んでいるとは限らない。特にわたしはふまじめな学生であった。
*5:それでもふつうは、「朋有り、遠方より来る」とか「朋遠方より来る有り」とか教わるはずである。また、「有朋」を「友朋」と同義に解するのは武内義雄などの説。「山縣有朋」の名はここから採られている。ついでに言うと、「秋山好古」の名も多分、述而篇から採られている。