論語ブーム(3)

 前回の記事で、『論語』は基本的に「断片」から成ると書いた。そして、簡潔であるがゆえに、解釈が困難な部分もあるのだとも。
 衞靈公篇には、「子曰、辭達而已矣(子曰く、辞は達して已む)」という章がある。これを「辞は達するのみ」と読下すものもあり、貝塚版などは「辞」字を「外交辞令」の義でとっているが(荻生徂徠や錢大キンらがこの解釈を採るという)、多くの書は単なる「ことば」の義とし、全体を「ことばは意味が通じさえすればそれでよい(へたな装飾はいらない)」、と解する。この解釈を採るのであれば、孔子のことばのほとんどが簡潔であるのも得心がゆく。
 しかしそのために、卑近な問題に結びつけようとする、いわば「ご都合主義」がはびこることにもなるのである。
 たとえば學而篇第一の「學而時習之」は、俗流の解釈では、「学ぶことの楽しさ」「折にふれて復習することの素晴らしさ」を説いたとされて、「學」の本義が問題にされることはあまりない。そして、時にはそれが、学生や社会人に対する訓戒めいたものとなる。『論語』利用は、本来はもっとずっと禁欲的なものであるべきではなかろうか(呉智英『読書家の新技術』朝日文庫pp.66-86は、「俗流教養主義者」による孔子像を激しく批判している)。

読書家の新技術 (朝日文庫)

読書家の新技術 (朝日文庫)

 さて、前回も紹介した呉氏の『現代人の論語』は、この章句について、浅野裕一先生の「學」=「クーデタの予行演習」のようなものとする説を紹介し、「この解釈が正しいかどうか、私に判断を下す力はない」としながらも、しかし「広く行なわれている誤読より、何十倍も説得力に富む解釈ではある」と述べており、さすがに俗流の解釈からはまぬかれている(pp.20-23)。
 「學而時習之」について、興味ふかい解釈を提示しているのが、小倉芳彦『古代中国を読む』(岩波新書)である。
古代中国を読む (岩波新書 青版 908)

古代中国を読む (岩波新書 青版 908)

 『論語』を読むことの、ほんとうの緊張感を味わいたいのなら、この本の第二章、「『論語』耽読」をまずは繙くべし。これは、一次資料たる『論語』に基きつつ、小倉先生自身が「孔子の人柄について」という〈未完の大著〉(本文の表現ママ)を書き了えるまでの挌闘の記録を辿り、心中の変化を披瀝したものである(ご本人は「原酒の一部蔵出し」と謙遜されている)。それは、「訓読で読んだとしても、それで読めたことにはならぬ」(p.19)という、つよい信念でつらぬかれている。
 原典に真っ向から挑み、二十年余という歳月を経た結果、小倉先生は次のような見解に達する。

 たとえば、学而篇第一章ならば、どう読むことになるか。
 かつてはこう読んだ。「学ビテ時ニ習フ」は、ふとした挙措動作の中に学んだことを発見する悦びとして。「有朋(とも)遠方ヨリ来ル」は、遠方から訪ねて来た人物に有朋(とも)を発見する楽しさとして。その二句を総括したのが、「人知ラザルモ慍(うら)ミズ」の末句であるとして。二十年余り前のこうした読み方が、相当な僻見、というより誤解に近いものであることは、今さら弁解するまでもないだろう。といって、これを、学問の尊さ、学問することのよろこびを語ったことばである、と訓戒を垂れる気分にも程遠い。また、この三句が全くバラバラな寄せ集めだと断定する神経も堪えがたい。
 この三つを立体的に関連させて読む方法はある。「学ビテ時ニ習フ」は、孔子の学園内での実習のよろこびを語るものとして。「有朋遠方ヨリ来ル」は、学園外からも人が訪ねてくれる場合の楽しさを語るものとして。「人知ラザルモ慍ミズ」は、為政者から認められない場合でも、それを天命と受け取って焦らぬ心構えを説いたものとして。宮崎市定氏も、これに近い見方をしている。
 三連の句をこう解釈すると、ここで孔子が言っているのは、学習することと仕官することとの関係についてだということになる。学園の内や外で学習することの価値を説きつつ、それが仕官(禄)に通じる道であることを否定もしないが、さりとて、禄にありつけなくても怨まず咎めず、といった心境を持続することを説く。これぞ、春秋時代末期の私学としての孔子学園の特徴である。(pp.63-65)

 呉氏の口吻をまねると、この見解が正しいかどうか、私に判断をくだす力はないけれども、しかし小倉先生が、

論語』の憑きものが落ちてしまったあとの私は、世間並みの常識人になってしまった気もする。そして、他人には――とくに研究者たらんとする人には――勧めはしないのだが、ああいう憑かれた時期が人生には一度くらいあってもいい、と思いそうになるのだ。(p.62)

と書き、また、

 こんな調子で、私の今の『論語』の読み方は、いまだに未練と動揺にみちている。かつてのような、思いつめた切迫感が消えたかわりに、迷いはいっそう深くなる。泰然として『論語』の解説などが書ける日が、はたしてめぐり来るであろうか。(p.70)

と書いていることには、いたく心を動かされる。なんと含蓄があり、そして篤実なことばであろうか。テキストに真摯に向きあった者でなければ、とてもこのようなことは書けないだろう。
 また、白川静孔子伝』(中公叢書)の次の一節もすばらしい。

 『論語』の原典批判は、むつかしいしごとである。『論語』は容易に講義しうるものではない。格言集でも扱うように講釈するならば知らず、古典としての『論語』をよむことの困難さは、以上の二、三例によっても、十分推測することができるはずである。(p.265)

 わたしなぞは、その「むつかしいしごと」をこなしてきた先学のお蔭で恩恵に与る立場にあるのだから、まったくありがたいことといわねばなるまい。

孔子伝 (中公叢書)

孔子伝 (中公叢書)

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 そういえば、呉智英『現代人の論語』(文藝春秋)に、次のような一節があることをおもい出した。

 子張と子夏の解釈の相違は、学而篇の第六章と第八章に対応している、と先学は説く。
 第六章には、こうある。
 「汎く衆を愛して仁に親しむ」
 第八章にはこうある。
 「己に如からざる者を友とすること無かれ」
 子張は孔子の思想から「汎く衆を愛する」ことを学び取り、子夏は同じ孔子の思想から「己に如からざる者を友とすること無き」を学び取ったのだ。一見矛盾するような思想のこの断片は、しかし、孔子という一個の思想家の中では少しの矛盾もなく統合されていた。思想家を思想家たらしめている〈人格力〉とでもいうべきものの作用である。(p.158)

 「己に如からざる者を友とすること無かれ」も、孔子らしくない一節としてよく引かれる。
 これは、たとえば「子曰、君子病無能焉、不病人之不己知也(子の曰わく、君子は能なきことを病=うれ=う。人の己を知らざることを病えず。)」と、「子曰、君子疾没世而名不稱焉(子の曰わく、君子は世を没=お=えて名の称せられざることを疾=にく=む。)」(ともに衞靈公第十五)との二章間に生ずる矛盾をいかに処理するか、ということにも関わってくる。ここでは何れも金谷版の読下しを採ったが、この解釈であれば、問題はあまり生じない。「今の名声のために気を配るのはよくないが、いつかは真価を認められるようにと自分を磨く」(p.217)という解釈が可能だからだ。つまり、生きているうちは名声のことは考えず、自ら亡き後の名声を考えよ、ということで、ほとんど矛盾なく解釈することが出来る。
 しかし貝塚版は、「君子は世を没わるまで名の称せられざるを疾=や=む。」と訓ずるのである。そうすると、「君子は他人が自分を認めないことは憂えないが、死ぬまでに名を知られないことを気に病むのである」という自家撞著をいかに解決するか、という難問に逢着するのである。貝塚版はこれについて、「一見矛盾するが、終局的に道義・学問は世に知られずにはおかれないという手放しの楽天論的にだけ理解するのは、孔子の本旨ではあるまい。孔子の学問は実践的であり、積極的であるからである」(p.444)、と説く。宇野版も、読下しは貝塚版と同断であるが、その「矛盾」をどう解決するかというと、「君子は学んで己の人格を完成することを務めて、もとより名を求める心はない。しかし名は実を表すものであるから、終身己の名が人から称美されないのは己に善を為す実がないのである。故に君子はこれを悪んで己の修養につとめる。」(p.479)、とする。
 孔子を聖人君子と崇める立場であれば、なんとかその矛盾を解消しようとあれこれ理由をつけるが、孔子もひとりの人間である、という立場からすると、流浪の生活を余儀なくされた身の不遇をかこっている、すなわち屈折した心情のあらわれである、と解するようである。どちらに与すべきかは自由だとおもうけれども。
 さて、「己に如からざる者を友とすること無かれ」の話にもどるが、これは、「自分よりも劣ったものを友だちにはするな」(金谷版)とか、「己に及ばない者と交わってえらがるようなことがあってはならぬ」(宇野版)とか、「自分に及ばないものと友だちにならないこと」(貝塚版)とかいったふうに、ほぼ字義どおりに訳されるのだが、こういう章句が、「為政者の立場からの利己的・独断的な発想」(小倉前掲p.70)に利用されてはたまらない。
 これについて小倉先生は、さきの「『論語』耽読」で、王船山の『俟解(しかい)』における解釈を紹介している。王は、「「己レニ如カラザル者ヲ友トスルコト無カレ」を、己に勝る者を友とせよという意味に取ると、友はめったにいなくなる。常人は、「己レニ如カザル者」を友にして威張りたがり、己に勝る者を嫌って友にしたがらない。孔子はそれを切に戒めたのだ。(略)己れの偏りと反対の気質の人を友とせよということが、「己レニ如カラザル者ヲ友トスルコト無カレ」の意味なのだ。だから、賢さの点で己れに及ばぬ者でも、皆己れに勝る者となる。」(p.69)と解しているという。後半の見解がどれだけ妥当なものなのかは分らない。しかし、「己に勝る者を嫌って友にしたがらない」ことを戒めたのだ、という説は、たしかに、なるほどとおもわせる。我田引水の俗流解釈はもとより指弾されるべきだが、しかしこのような「柔軟さをもち、かつ謙虚」(p.70)な見解があったことも決して忘れられてはならない、とおもうのである。

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 それにしても、白川静孔子伝』(中公叢書)は、読むたびにあらたな発見がある。この本に導かれるままに、わたしはフレーザー『金枝篇』(岩波文庫版)の一部を読んだし*1、原典批判の困難も学んだ。『史記』に対するきびしい批判は、和辻哲郎の『孔子』にも通ずるものである。
 わたしは、当初これを読んだとき、あまりのむつかしさについに投げ出しそうになった。といって、飛ばし読みはすすめられない。
 たとえば述而篇の一章についても、次のようにことばをかえて繰返されることによって、白川先生の言わんとすることが次第に明確になって来るのであるから。

 哲人は、新しい思想の宣布者ではない。むしろ伝統のもつ意味を追究し、発見し、そこから今このようにあることの根拠を問う。探究者であり、求道者であることをその本質とする。ソクラテスデルフォイの神託の意味を追究してやまなかったように、孔子は「述べて作らず、信じて古を好む」〔述而〕人であった。ソクラテスは問うことの意味にその生命をさえかけたが、孔子は問うことによってイデアの世界を見出している。デルフォイの神託は、ただ問うことのみを命じた。そこに答えは予定されていなかった。しかし孔子は、過去の聖王の時代に、よるべき伝統をもっている。孔子に先だつ周王朝のかがやかしい文化とその創造者とを、孔子は夢に見ることができた。*2(p.10)

 孔子はみずからの学を、「述べて作らず」〔述而〕といったが、孔子においては、作るという意識、創作者という意識はなかったのかも知れない。しかし創造という意識がはたらくとき、そこにはかえって真の創造がないという、逆説的な見方もありうる。たとえば伝統が、形式としてあたえられるとき、それはすでに伝統ではないのと同様である。伝統は追体験によって個に内在するものとなるとき、はじめて伝統となる。そしてそれは、個のはたらきによって人格化され、具体化され、「述べ」られる。述べられるものは、すでに創造なのである。(p.63)

 孔子自身は、みずからを「述べて作らざる」ものと規定する。孔子は、そのような伝統の価値体系である「文」の、祖述者たることに甘んじようとする。しかし実は、このように無主体的な主体の自覚のうちにこそ、創造の秘密があったのである。伝統は運動をもつものでなければならない。運動は、原点への回帰を通じて、その歴史的可能性を確かめる。その回帰と創造の限りない運動の上に、伝統は生きてゆくのである。(p.107)

 さて、この著作のはじめのほうに、次のような一節がある。

 体制の理論とされる儒教も、その出発点においては、やはり反体制の理論であった。そのことは、孔子の行動がよく示しているところである。しかし反体制の理論は、その目的とする社会が実現したとき、ただちに体制の理論に転化する。それが弁証法的運動というものであろう。儒教的な思惟になお生命があるとすれば、それはまたやがて、新しい反体制の理論を生み出してくるかもしれない。(p.16)

 呉氏の『封建主義者かく語りき』(双葉文庫、もと『封建主義、その論理と情熱』)や、『インテリ大戦争―知的俗物どもへの宣戦布告』(JICC出版局JICC出版局・宝島ブックス)の「序・知の戦闘宣言」などは、この文句に触発された部分があるいはあったのではなかろうか、と考えている。

封建主義者かく語りき (双葉文庫)

封建主義者かく語りき (双葉文庫)

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 以上の『論語』に関する記事は、実をいうと、二年くらい前に書いたものです。
 最近に至って(昨年夏頃から)、なぜか上海、じゃなかった、なぜか「論語ブーム」だというので*3、『論語』が雑誌やテレビでも紹介されるようになったこともあり、せっかくの機会だからと、長山氏の新著の話を書き加えたり誤字や表現を訂正したりして、ブログに掲載してみたのです。『論語』のおもしろさがすこしでも伝わればそれでよかったのですが、いざ読み返してみると、全然だめですね。力不足です。何がいいたいのか、サッパリ分りません。しかも、妙にアツくなっていたりして、ちょっと恥ずかしい……。
 今となっては、別の章句を引いておけばよかった、と感じたところとか、宮崎市定論語の学而第一」(『中国に学ぶ』中公文庫所収)や、吉川幸次郎訳の『論語』などを読んで、すこし考えの変わったところとか、色々あるのですが、あまり手を加えることなく掲載しました。
 わたし自身は、これからも、折にふれて『論語』を読み返すでしょう。そして時々、こっそりとその章句をつぶやいて、きっと自らを戒めることになるのだろうとおもいます。
 それから、一連の記事でふれた呉智英さんですが、今年二冊の著書を出されるようです。三年ぶりのことなので、そちらもたいへん楽しみです。

中国に学ぶ (中公文庫BIBLIO)

中国に学ぶ (中公文庫BIBLIO)

(写真は改版)

*1:「類感」「感染」という思考的分類法にかぶれたりもした。

*2:この見解に対する呉氏の評は、『読書家の新技術』p.85を参照。

*3:もっとも、ブームは「作られる」ものなのですが。