今野えんすけ(1914-82)。その名の漢字表記が、「圓輔」であるべきか「圓助」であるべきか、未だによくわからない*1教養文庫(少なくとも手許の四冊)は「圓輔」だが、論文データベースでは「円助」ないし「圓助」も出て来る。但し、同じ論文でも、「圓輔」「圓助」両様で引っかかるのがあって、これらは現物を見ていないので何とも言えない。今野氏の歿後に刊行された*2柳田國男随行記』(秋山書店)は、奥付も表紙もみな「圓助」となっている。
 大塚英志『大学論―いかに教え、いかに学ぶか』(講談社現代新書)のpp.35-38に、この書への言及ならびに引用があるのだが、当然ながら「圓助」となっている。それでおもい出した話。

大学論──いかに教え、いかに学ぶか (講談社現代新書)

大学論──いかに教え、いかに学ぶか (講談社現代新書)

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 妙なことばかりおもい出す。「私の記憶が確かならば」というクリシエ、私も含めた一定の世代の人たちにとっては『料理の鉄人』の鹿賀丈史の決め台詞、ということになるのだろうが、由来はランボーの「地獄の季節」冒頭の訳文なのだろうか。かつての(数々の誤訳が指摘されつつも名訳の誉れ高い)小林秀雄訳は「若し俺の記憶が確かならば」。但し、最近の鈴木創士訳は「もし俺がちゃんと覚えているなら」。
 英語のイディオムにもあった。"If I remember correctly,…" というので、「新・刑事コロンボ 影なき殺人者」(1991)でも、「私の記憶が確かならば」と訳されていた。
 飯間先生は何と書いておられたのだっけ。

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 京極夏彦・多田克己・村上健司『妖怪馬鹿』(新潮OH!文庫)*3pp.321-28に、「存在しない妖怪」魔神ズー(水木先生の絵では、ブタとクマを足して二で割ったような妖怪)の話が出てくる。京極氏によれば、初出は中岡俊哉*4『世界の魔術・妖術』で、それを水木しげるが継承したのだという。さらにRPG等にも使われていたというのだが、そちらの方面には疎いのでまったく知らない。しかし、どこかで「ズウー」という表記のものを見た記憶があるのだが、と、もう何年も前からずっと思い出せずにいたところが、昨日、不意に「明治モンスターカード」という言葉が脳裡に浮かんできた。まったく突然であった。いわゆる「おまけ」のカードの類である。チョコをサンドしたクッキーについていた(「がついていた」、というべきか)。読んで字のごとく、モンスターの描かれたカードである。テレホンカードを摸していて、裏面にたしか「これはテレホンカードではありません」云々、という注意書きがあったはずだ。そのカードのなかに、「ズウー」も入っていたことをおもい出したのである。
 ほかに、「ドモボイ」や「サシ・ペレレ」など水木しげるの『世界の妖怪100話』(小学館)に登場する妖怪や、「ズウー」や「アシャンティ」など、水木しげる『妖怪世界編入門』(小学館)で紹介された妖怪たちもこのカードに入っていたから、製作者はかなりの水木しげるファンだったのかも知れない(図柄も似ていたと記憶する)。
 かれこれ二十四、五年前くらいの話になろうか。当時は、マイナーシールやマイナーカードをやたらと蒐めていた。「ビックリマン」「ドキドキ学園」「ガムラツイスト」あたりならまだ有名かもしれないが、「アリバイをくずせ」とか「こまったときのガムだのみ」とか、マイナーなのもたくさん持っていた。一枚二十円のカードダスというのも集めていた。小学四年生の頃には、「乱歩劇場」というシリーズが出て、ポプラ社版「少年探偵シリーズ」のファンだった私は激しく反応したのだが、こちらは販売機を見ただけで買えなかった(手持ちの小銭がなかったので)。そのあと、全く見かけなくなり、ひどく後悔したことをよくおぼえている。
 しかし、その「蒐集癖」がすぐ後の切手蒐集につながり、現在の蒐書にまでつながっていると、あるいは言えるのかもしれない。

完全復刻・妖怪馬鹿 (新潮文庫)

完全復刻・妖怪馬鹿 (新潮文庫)

(画像は新潮文庫版)

*1:これはたとえば白鳥庫吉が、自分の名を「庫吉」と「倉吉」とで書きわけていた、というようなものでもあったのだろうか。

*2:今野氏はその文章中に、折口信夫渋沢敬三も池田彌三郎も奇しくも六十七歳(満年齢)で亡くなった、自分もその歳になった、と書いているが、そう書き記した直後に亡くなるのである。因縁めいたものを感じてしまう。

*3:のち新潮文庫版で復刊。

*4:桃中軒雲右衛門の孫である。