明解系国語辞書のこと

 めったに引かない『三省堂国語辞典〔初版〕』を、ひさしぶりで開いてみたので、飯間浩明先生の「『三省堂国語辞典』のすすめ」(現在の記事名は「国語辞典入門」)や、柴田武監修・武藤康史編『明解物語』(三省堂2001)の「「明解」系国語辞書六十年小史」(武藤康史)を再読している。
 明解系国語辞書というと、わたしには、赤瀬川原平夏石鈴子が有名にした「新解さん」こと『新明解国語辞典』よりも、『三省堂国語辞典』や、それらの前身ともいうべき金田一京助監修『明解国語辞典〔改訂版〕』(昭和二十七年改訂,昭和四十三年改訂133版(刷)*1)のほうがしっくり来た。後者は母がくれたもので、はじめは、見出し語が「表音式」になっていることや、鼻濁音が半濁音表記になっていることに違和感をおぼえた。しかし、中学・高校時代の六年間は、『岩波国語辞典〔第四版〕』とともに、この『明解』改訂版を愛用していた。さらに途中から、『三省堂国語辞典〔第四版〕』や『岩国〔第五版〕』が加わった。
 わたしが高校生になったころ、「新明解ブーム」の影響もあってのことであろうか、『明解国語辞典〔初版〕』(昭和十八年刊)の復刻版が武藤氏の解説つきで刊行された。この解説は、ここで一部を読むことができるが、これに手を加えたものが、武藤康史『国語辞典の名語釈』(三省堂*2に収録されている(「『明解国語辞典』復刻版に寄せて」と改題,pp.119-164)。ともあれ、わたしはこの解説によって、見坊豪紀(ひでとし)の偉業を知ったのである。
 さて、武藤氏の「「明解」系国語辞書六十年小史」であるが、やはり何度読んでも面白い。ただし、注意すべき点が幾つかある(武藤氏の著作の愛読者であれば特に問題はないが)。これから読もうとする人の参考に供することになれば嬉しい。
 まず、「昭和七年に福岡県立小倉中学に入学した大西巨人も」(p.15)とあるのは、「昭和五年」の誤り。後に出た武藤康史『旧制中学入試問題集』(ちくま文庫)では、「この年(昭和五年―引用者)、角川源義富山県立神通中に、中村真一郎福永武彦は開成中に、島尾敏雄兵庫県立第一神戸商業学校に、大西巨人は福岡県立小倉中に入学した」(p.131)となっているし、同『国語辞典の名語釈』(ちくま学芸文庫)の文庫版附録「国語辞典年表」でも訂正されている(p.229,附表p.8)。
 次に、『三省堂国語辞典〔初版〕』の編集会議席上で山田忠雄が「矢来」=「遣らい」説を述べた、とあるくだり。武藤氏は、「これは古く『言海』にも載っていた語源解である」(p.82)と書いているが*3、この件については山田俊雄『詞苑間歩』(三省堂)が、おそらくは武藤氏による同様の記述(1997年刊『クイズ新明解国語辞典』における記述)に対して、多少嫌みをまじえながら、「『倭訓栞』や『俚言集覧』などにも」「ほぼ同じ説が記してある」と指摘していること(1998年の記述)を、武藤康史『国語辞典で腕だめし』(ちくま文庫2002,『クイズ新明解国語辞典』正続の合冊文庫版)が追記している(p.207)。
 なお余計なことながら、武藤氏は山田俊雄についてこう書いている。

断定を避け、迂回を重ねる著者(山田俊雄―引用者)の筆法を好きになったり嫌いになったりしつつ、私はこの三十年くらいを生きて来た。常に気になる存在。扈従したくもあり、打倒したくもある。最初に意識したのがこの本(『日本語と辞書』―同)だったろうか。(『中公新書の森―2000点のヴィリジアン』中央公論新社*4p.101)

 この書きぶりは、武藤氏の森銑三(作品)に対する感懐をおもい起こさせる。すなわち――「森銑三は私の父であり、母である。好きになり、嫌いになり、また好きになった。今はそれ以上申すまい」(『活字中毒養成ギプス』角川文庫p.213)。
 ちなみに、「「明解」系国語辞書六十年小史」には、「谷沢永一『巻末御免』(PHP研究所、平成元年刊)の「閻魔の辞典」の章は多くの国語辞書を駆使するが、特に『三省堂国語辞典』をよく生かす」(p.145)ともあるが、その「閻魔の辞典」は、『Voice』連載コラムではないため、最近出た『〔完本〕巻末御免』(PHP研究所)には残念ながら収録されていない。

明解物語

明解物語

国語辞典の名語釈

国語辞典の名語釈

明解国語辞典

明解国語辞典

旧制中学入試問題集 (ちくま文庫)

旧制中学入試問題集 (ちくま文庫)

国語辞典で腕だめし (ちくま文庫)

国語辞典で腕だめし (ちくま文庫)

*1:山田忠雄『三代の辞書―国語辞書百年小史』(三省堂)―退屈男氏に頂いたもの―のp.13、欄外註に「四十二年三月百三十六版」とあるのはなぜか?

*2:この本の書評が、山村修『〈狐〉が選んだ入門書』(ちくま新書)pp.14-21に載っている。

*3:日本国語大辞典〔第二版〕』(小学館)は、当該説について、『大言海』や大島正健の記述を引く。

*4:非売品の小冊子。まもなく講談社学術文庫が2000点を突破するというので、書店では、ぼちぼちフェアがやっているが、このような記念冊子は出るのだろうか。