「桐一葉」というと、これは季語としても有名で、加藤郁乎『江戸俳諧歳時記(下)』(平凡社ライブラリー)「桐一葉」の項に、

 『淮南子』ほかに出る「一葉落ちて天下の秋を知る」の一葉は梧桐(あおぎり)の葉。『滑稽雑談』に、「御傘云、一葉ちるに桐、柳、楸(ひさぎ)など附るは同意也、初秋に是らの木のは落初る故に也。△連歌新式の心を考るに、桐柳などの落る、紅葉且散、みな落葉にて秋也、木の葉ちる、に色を結ては秋也、朽葉に色を結ては冬也」とある。(pp.173-74)

と書いてあったので、ここで「き」の項を探ってみたが見当らず、ということがあった。それも道理で、上の記述を丹念に読めば、その間接引用が「一葉散る」の項にあるものだと気づくはずなのだった。
 さて、あらためて「一葉ちる〔に〕」を見てみると、ちょっと異同があって、これに続けて、

桐(きり)柳(やなぎ)楸(ひさぎ)柞(はゝそ)など付るは同意也 初秋に是らの木の葉落初る故なり 一葉衣も一葉とばかりも初秋也

とある。「柳散る」のほかにも、かつては「楸散る」や「柞散る」があったというのである。そのような「××散る」が、「桐」に限定されてしまって、「一葉散る」といえばただちに桐をさすようになり、やがて「桐一葉」という季語が生れたようだ。
 池田彌三郎の『日本故事物語(上)』(河出文庫)所収の記事も、やはり「桐一葉」で立項していて、「桐」と「梧桐」との相違にまで説きおよんでいる。

 われわれが普通に「きり」というのは、玄参科の桐のことで、あおぎりとは別のものである。あおぎりは、梧桐科の梧桐である。桐のほうは、六月時分に紫色のかなり目立った花をつけるが、梧桐のほうは、晩夏に白い目だたぬ花をつける。ところが葉は、梧桐のほうが大きくて目だつので、一葉散るという場合には、梧桐のほうが、その感を強く印象させるのである。(p.198)

 このような記述もありがたくて、『日本故事物語』は、私のバイブルのひとつとなっている。

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 池田彌三郎は、「桐一葉」を、坪内逍遥の作品の筋を追うところから始めている。また逍遥の「桐一葉」は、「いすかのはしの食い違い」(上巻pp.41-42)にも引用されている。
 池田が逍遥の作品にある程度親しんでいたらしいことは、叔父が逍遥の門下にあって劇を書いていたことの影響にもよるのだろう。
 叔父というのは池田大伍で、本名を銀次郎という。その兄が、彌三郎の父・金太郎(三代目)である*1

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 『日本故事物語』は、河出文庫版(池田の歿後、1983年に刊行されたもの)しか持っていない。が、これは決定版というべきもので、直接には昭和五十三年(1978)刊の普及版(河出書房新社)に拠っているが、間接的には昭和四十二年(1967)刊の『カラー版 日本故事物語』(河出書房新社)に拠っている。この著作の変遷は河出文庫版の解説(大島昭)に図示されている(下巻p.247)。
 昨年、上下二分冊で『日本故事物語』(河出書房新社)が復刊されていて、これは橋本治の解説が附してある。しかし内容にさほど変わりはなかったとおもう。

日本故事物語 上

日本故事物語 上

日本故事物語 下

日本故事物語 下

江戸俳諧歳時記〈下〉 (平凡社ライブラリー)

江戸俳諧歳時記〈下〉 (平凡社ライブラリー)

*1:簡単な系図が、『暮らしの中のことわざ』(旺文社文庫)所収「解説―『ことわざの境遇』」(井口樹生)に示してある(p.231)。井口樹生は、彌三郎の直弟子である。