東京での購書

 実はいま、ある用事のため東京にいる。本日午後に帰阪する予定なので、またしても、みちくさ市に立寄れず残念無念(外市にも行けなかった)。八月上旬にも東京に出る予定があるのだけれど、主だった古書市とは日程が重ならないので*1、それも残念。
 だが時間の許すかぎり、古本屋へ行っている。特にここ(S区)は、歩いて行ける範囲に新古書店が少なくとも四軒あり、新本屋も四軒ある。神保町へは電車一本で行けるし、なにかと便利なのだ。
七月某日
神保町まで行き、巌松堂の均一棚で、鄭振鐸著 安藤彦太郎ほか譯『書物を燒くの記』(岩波新書。書名をのみ知るばかりで、現物を見たのははじめて。また長島書店の均一棚で、齋藤緑雨『あられ酒』(岩波文庫*2江村北海『日本詩史』(岩波文庫馬場孤蝶『明治の東京』(現代教養文庫。アットワンダー二階で、小杉放庵『唐詩唐詩人 下卷』(角川文庫)。上巻のほうは三茶書房の均一棚で目にしていたので、急いで戻って、小杉放庵『唐詩唐詩人 上卷』(角川文庫)を確保。ついでに、というわけでもないが、鹽谷贊『露伴翁家語』(朝日新聞社も買う。谷沢永一渡部昇一でした。訂正します。(7.25記す)が『大人の読書』だったかで紹介していた本だ。音幻論のこと、新村出説を引いての「バカ」の語原話、『幻談』『雪たゝき』のこともちらほらと。また村山書店で、渡辺一夫『僕の手帖』(講談社学術文庫
七月某日
上野古書のまちで、山下武『古書を求めて』(青弓社品川力『本豪 落第横丁』(青英舎)。後者は以前、森洋介さんが教えてくださった本。「豪」字に傍点(ゴマ)のルビが附いているのが正式な書名で*3、背はタイトル縦書き、右傍にゴマ。表紙はタイトルが左横書きであるにも拘らず、右傍にゴマが附いているのはそのまま。1990年刊の新版タイトルには、「古書邂逅(めぐりあい)」という角書きがあるそうだが、今回入手した旧版にはない。但し、オビに「古書邂逅」の四字あり。
七月某日
近所のブックオフで、高島俊男『本と中国と日本人と』(ちくま文庫文豪ミステリ傑作選 三島由紀夫集』(河出文庫など。
七月某日
早稲田の古本屋街へ行く。照文堂で安藤昌益『統道真伝(上・下)』(岩波文庫。E.H.ノーマンの『クリオの顔』(岩波新書の安藤昌益伝は未読)や、原田泰『日本国の原則』を読んでいなければ、あまり興味が湧かなかっただろう。最近文庫化された『日本国の原則』、歴史に「if」を持ちこむのはアンフェアだと云われるかもしれないが、たとえば「(日本が)大慶油田を発見できていたら」(p.104)という前提のもとで論が展開されるくだりなどは興味ふかい。しかし、「コペルニクス天動説を解説・支持し」(p.30)とか『西国立志』(p.82)とか、明らかな誤りが見過ごされてしまったのはなぜだろう。それから、飯島書店で関口真大校注『摩訶止観(上・下)』(岩波文庫、均一棚で『辞典のはなし』(角川文庫)。後者はダブり。それにしても、『摩訶止観』の揃定価が数百円だなんて、さすがは学生街である。浅川書店では中井英夫『黒衣の短歌史』(潮新書)など。これも百円台なのに献呈署名入で、自作の歌も記してある。夏文彦宛。作家の夏文彦だろうか(余計なことながら、元代の学者に夏文彦〈カ・ブンゲン〉がいる)。確か「映画芸術」のバックナンバーで、追悼特集を読んだことがあるのだけれど、作品自体は未読だ。浅川の御主人は体調がおもわしくないようで、奥様のお話をお聞きする。さらに古書現世に行き、頭山統一『筑前玄洋社』(葦書房岩田豊雄『観覧席にて』(読売新書)岩田豊雄『劇場と書齋』(モダン日本社)など。たいへんお忙しそうだったので、向井さんには声をおかけせず、店を出てきてしまった(今にして後悔しきり)。夜、Kのブックオフアベラールとエロイーズ愛の往復書簡』(岩波文庫嵐山光三郎昭和出版残侠伝』(ちくま文庫

(附記)
そういえば、こちらの本屋で、話題のミシェル・レリス『幻のアフリカ』(平凡社ライブラリーをはじめて手にとって眺めてみた。河出書房新社版なら、古本屋で一万円くらいの値がついているのを見かけたことがある。

*1:五月末〜六月初もやはり東京にいたのだが、食中毒にやられて三日間ほど安静にしていなければならなかった。

*2:菊半裁サイズの初版は持っていたが、重版されていたことは知らなかった。

*3:文中にあるように「文豪」にかけた洒落であれば、「本」字に傍点を附すのが自然かとおもわれるが、むしろ「本郷」を意識したのだろうか。