蝸牛忌

 今日は蝸牛忌*1なので(奇しくも、谷崎潤一郎の忌日がおなじ)、寺田透編『露伴随筆集(上)(下)』(岩波文庫,1993)が「お供本」だった。この本は、高島俊男先生が『本と中国と日本人と』(ちくま文庫)で「それはそれはひどいもの」と(編纂方針を)手厳しく批判しているのだが(pp.92-94)、そこで逐一指摘された註の誤りや不正確な箇所は、私の所有する第3刷(2004)では、おおむね訂正されている*2。上巻解説に、「再版への解説者附記」を載せており、日附が「1994.10.18」となっているから、第2刷刊行時に改められたのだろう。
 その解説者附記に、「先秦中国の史書史実に明るいらしい東都浪人子恠なる人物の岩波書店編集部宛の指弾嗤笑を交えた示教の投書により、いくつもの註の追加訂正の可能性が与えられた」(p.498)とあるのが、妙に気になるのだが、それはさておき。

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 かつて、野田宇太郎の編輯にかかる「藝林間歩」(東京出版)という雑誌があった。木下杢太郎の同名随筆集を意識した誌名だと考えられる。それが証拠に、第一号には杢太郎の追悼記事が五篇載っているそうである(平澤一『書物航游』中公文庫,p.284)。その昭和二十二年七・八月號(第二卷第六號。通卷第十五號)は、露伴の「誕辰第八十年」「執筆六拾周年」を記念した特集号となるはずであった。しかし、刊行を目前にして露伴が亡くなってしまったので、「祝賀記念號」ではなく、急遽「記念號」として出すことになったようだ。ただ、内容は露伴の文業を讃えるものばかりなので、野田は「あへて、追悼としなかつた」、と編輯後記に書いている。ついでに内容を掲げておこう。

幸田露伴「畫題としての詩仙」
新村出 「露伴翁を頌す」
青木正兒「京都帝大繁官時代の露伴先生」
阿部次郎「幸田先生」
岡崎義惠「露伴の運命觀」
小宮豐隆「幸田先生」
齋藤茂吉「幸田露伴先生(歌)」
佐藤春夫「たゞに仰ぎて(詩)」
佐々木茂索「伊東の先生」
山崎達男「隣人としての露伴先生」
萱沼明 「露伴先生の眼」
幸田文 「雜記」
土橋利彦「曠野集の評釋について」
自撰年譜(鹽谷贊「露伴先生自傳補註」も含む)

 このうち「曠野集の評釋について」「露伴先生自傳補註」は、鹽谷贊名義で刊行された『露伴翁家語』(朝日新聞社)でも読んだ(後者は若干手が加えられている)。「畫題としての詩仙」は、記念号がはじめて活字化したもので、それまでの全集や単行本からは漏れていたようである。後年、石川淳編『露伴随筆』(全五巻、岩波書店)にも収められた。

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 来月、ちくま文庫の「文豪怪談傑作選」に、幸田露伴集の『怪談』が加わる。表題作は、随筆集の上巻に収める「怪談」なのか?
 多分、「魔法修行者」「幻談」「観画談」などの短篇も収められるのだろう。
 ウィンパー『アルプス登攀記』の怪異(ブロッケン現象?)に始まる「幻談」は、単なる怪異譚ではなく、「釣道楽」露伴翁の面目躍如たるものがある。以下の挿話は、先に挙げた青木正兒「京都帝大繁官時代の露伴先生」からの引用。

有川君*3は時折先生(幸田露伴―引用者)のお伴をして釣に出かけたやうで、或る時疏水で二人が悠々綸を垂れてゐたところを番人に見付かつて、無鑑札の廉を以て罰金を取られ、はふはふの體で引き揚げたとか、是は有川君から聞いた話である。(p.20)

*1:露伴忌」とも。六十三年前の今日、露伴幸田成行は亡くなった。槌田満文『名作365日』(講談社学術文庫)七月三十日の條は、幸田文『父―その死』を挙げている。

*2:たとえば、「談『賓録』」→「『談賓録』」(上巻p.171)、「今文苑に英華の者すこぶる多きを見るも」→「今『文苑英華』に見ゆる者すこぶる多きも」(P.205)など。

*3:有川武彦。青木と中学以来の同窓で、龍谷大教授であったという。昭和十四年歿。