味合う

 このあいだ『忍ぶ川』のことを書いた。その新潮文庫版が、「新潮文庫20世紀の100冊」に選ばれたということも書いた。これらの「解説」は、すべて関川夏央氏が担当しており、「20世紀の100冊」の特別カバー*1に印刷されていた。
 この解説は、のち関川夏央新潮文庫 20世紀の100冊』(新潮新書)としてまとめられ、特別カバーのかけられた文庫を探さなくても、全部読めるようになった。
 そこに収められた『忍ぶ川』の解説を読んでいると、「内容解説」のところに、「心の中を清冽な水が流れるような甘美な感情を、読者に味わわせる」(p.133)、とあった。
 その「味わわせる」というのでおもい出したが、これを口に出す場合はともかく*2、文字で書く場合も「味あわせる」とする人、甚だしきは「味合わせる」とする人があって、ちょっと気になることがある(気にくわない、というのではなくて、興味深い、ということである)。この伝でゆくと、「味わわない」も、「味あわない」と表記することがありうるわけだ。
 以前、桑原武夫『わたしの読書遍歴』(潮文庫)を読んでいると、

偉大な作品を十分に楽しみ、味わって読みながら、つまり感覚と感動においては十分に味わいながら、知的あるいは学問的に味あわないという人もありうる。(「日本で読む西洋文学」p.99)

という箇所にぶつかって、もしや桑原も「味あわない/味あわされる」の使用者か、とおもったことがあった。
 しかし、この文章の初出は、岩波書店編『古典の讀みかた』(岩波文庫創刊二十五年記念)で、まずタイトルからして、「日本でむ西洋文學」、と若干違っている。
 そして、その該当箇所をみてみると、

偉大な作品を十分に樂しみ、味わって讀みながら、つまり感覺と感動においては十分に味わいながら、知的あるいは學問的に味わわないという人もありる。(p.85)

となっているので、つくづく、用例採集のむつかしさをおもい知らされたものであった。
 ちなみに、『日本国語大辞典【第二版】』(小学館)は「あじあう【味】」を立項、「『あじわう(味)』に同じ」とし、「彰考館本寝覚記」(鎌倉末)や「俳諧・口真似草」(1656)から、「あぢあふ」という用例を拾っている。
 小型の国語辞典をみてみると、『三省堂国語辞典【第六版】』(2008刊)が、「あじあう」を俗語あつかいの空見出しで立てている(第五版までは無し)。『新明解国語辞典』は、どの時点から採録したのかわからないが、すでに第三版(1981刊)が「あじあう」を採録し、「『味わう』の、誤れる回帰形」と書いている。
 もっとも、「味あう」という表記は、「味わわされる」「味わわない」など、むしろ「わ」が連続するときに目立って見られるようにおもう。

新潮文庫20世紀の100冊 (新潮新書)

新潮文庫20世紀の100冊 (新潮新書)

*1:ミレニアム記念特別文庫『百年目』にも、同じカバーがかけられていた。

*2:というか、「あじわわせる」と明確に発音するひとのほうがむしろ珍しいだろう。たいがい「アジアワセル」、ぞんざいに発音する場合には、「アジアアセル」などとなるはずだ。