前回スクラップブックについて書いたので。

 スクラップ術を説いた随一の書といえば、三國一朗『鋏と糊』(自由現代社,1981)であろう。
 これは、もともとみゆき書房が『ハサミとのり(私の切りぬき帖)』というタイトルで刊行したもの(1970刊)であるが、「東京オリンピック」と題する章が省かれている。また、みゆき書房版に掲げられた「祖父に」なる献詞も省いているという(自由現代社版「あとがき」)。自由現代社版は、のちにハヤカワ文庫NFに入った(1987刊)。
 この本は、たとえば谷沢永一氏が、「新聞スクラップの方法談義であるが、全巻に漲る隅に置けない思慮深さによって、最も地道な知的生活の秘伝書となっている」(開高健谷沢永一向井敏『書斎のポ・ト・フ』(潮文庫1984,p.237)と評したように、知的生活の実践書に数えられることもあった。
 私にとって『鋏と糊』は、「辞典編纂者たち」という文章とともに、新聞連載小説の面白い読み方を伝授してくれたことでも印象ぶかい一冊である。三國はそこで、宮田重雄が挿画を担当した獅子文六『但馬太郎治伝』を例に引きながら、「挿絵が一枚もない単行本は、何かつめたく、すべっとした、あるべきものを欠いた、裸のマネキン人形のような本だ」(自由現代社版pp.220-21)と書いていた。
 単行本の挿絵といえば、以前、読書の師匠Sさんが、町田康『告白』について、単行本に畑中純の挿絵を載せなかったのは非常に残念だ、と仰っていたことをおもい出す。そのあと話題は新聞連載時の『三四郎』のことに及んだのだが、素養のない私はついてゆけなかったので、残念なことであった。
 いま私がせっせと切りぬいている『読売新聞』の宮城谷昌光『草原の風』も、原田維夫の印象的な挿画――見てすぐに原田氏の作と分る版画*1――が、単行本化に際して省かれることはまず間違いない。
 さて『鋏と糊』は、たしかに切り抜き術、スクラップ術の要諦や方法論を説いたものだけれども、切り抜いた記事に対するモノマニアックな感情を熱く語るというわけでもないので、これを読むと、かえって「スクラップ熱」に火がつくというか、ちょっと自分もやってみようか、という気にさせられる。こういう実践書では、えてして著者は熱くなりがちだが、あまりに偏執的になってしまうと、読者は、どうしても、埋めがたい溝や距離を感じてしまうものだ。
 特に男心(?)をくすぐられるのは、自由現代社版・ハヤカワ文庫版の冒頭に置かれた、「P・PからP・Pへ―はじめての読者に―」なる一章。これは、「パブリック・ペーパー(公紙)からプライベート・ペーパー(私紙)へ」ということ(いずれも三國の造語)を意味する。つまり、記事を意識的な取捨選択のもと切り抜き、スクラップした時点で、それが個人の作品となり得る、ということである。
 このことは、本来の「随筆の骨法」に通ずるのかも知れない。たとえば石川淳は、それは「博く書をさがしてその抄をつくることにあつた」(「面貌について」『夷齋筆談』)と書いているではないか。ここでわざわざ『日本随筆大成』や『砂払』の例を引くまでもなかろう。
 さらにその抜書きが、公開を前提にしているとするならば、プライベート・ペーパーは、新聞等と位置づけは異なるが、再びパブリックなものとして還元される。スクラップ・ブックのようなひそかな楽しみを公開してしまうのは、どこか矛盾しているような気がしないでもないが、自分だけ楽しむのはもったいない、という気持ちがそうさせるものらしい。
 永井龍男の『わが切抜帖より』も、公開型スクラップ・ブックの例に挙げられるだろう。さらに永井は、「青梅雨」「一個」「冬の日」など、スクラップ記事に材を取った小説を書いてさえいるのだった。
 また、たとえ本人に公開する意思がなかったとしても、乱歩の『貼雑年譜』のように、後に一個の作品として公開される場合もある。

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 小林桂樹が亡くなった。
 これで、「社長シリーズ」の主要メンバー*2は全員他界してしまった。
 出世作となった『ホープさん』か、シリアスな『首』でも観ようとおもう。
 御冥福をお祈りします。

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 話題になっているポプラ社の「百年文庫」。セット販売のみならず、分売もするらしい。
 ちょうど、「紀伊國屋書店スタッフが読んだ ポプラ社『百年文庫』」という小冊子をもらってきた。
 ラインナップは次のとおり。
(小冊子には誤字がいくつかあるので、気づいたものを訂正して示しました。)
1. 「憧」 太宰治『女生徒』、ラディゲ『ドニイズ』、久坂葉子『幾度目かの最期』
2. 「絆」 海音寺潮五郎『善助と万助』、コナン・ドイル『五十年後』、山本周五郎『山椿』
3. 「畳」 林芙美子『馬乃文章』、獅子文六『ある結婚式』、山川方夫『軍国歌謡集』
4. 「秋」 志賀直哉『流行感冒』、正岡容『置土産』、里見紝秋日和
5. 「音」 幸田文『台所のおと』、川口松太郎『深川の鈴』、高浜虚子斑鳩物語』
6. 「心」 ドストエフスキー『正直な泥棒』、芥川龍之介『秋』、プレヴォー『田舎』
7. 「闇」 コンラッド『進歩の前哨基地』、大岡昇平『暗号手』、フロベール『聖ジュリアン伝』
8. 「罪」 ツヴァイク『第三の鳩の物語』、魯迅『小さな出来事』、トルストイ『神父セルギイ』
9. 「夜」 カポーティ『夜の樹』、吉行淳之介『曲った背中』、アンダスン『悲しきホルン吹きたち』
10.「季」 円地文子『白梅の女』、島村利正仙酔島』、井上靖『玉碗記』
11.「穴」 カフカ『断食芸人』、長谷川四郎『鶴』、ゴーリキイ『二十六人とひとり』
12.「釣」 井伏鱒二『自宅』、幸田露伴『幻談』、上林暁『二閑人交游図』
13.「響」 ヴァーグナーベートーヴェンまいり』、ホフマン『クレスペル顧問官』、ダウスン『エゴイストの回想』
14.「本」 島木健作『煙』、ユザンヌ『シジスモンの遺産』、佐藤春夫『帰去来』
15.「庭」 梅崎春生『庭の眺め』、スタインベック『白いウズラ』、岡本かの子『金魚撩乱』
16.「妖」 坂口安吾『夜長姫と耳男』、檀一雄『光る道』、谷崎潤一郎『秘密』
17.「異」 江戸川乱歩『人でなしの恋』、ビアス『人間と蛇』、ポー『ウィリアム・ウィルスン』
18.「森」 モンゴメリー『ロイド老嬢』、ジョルジュ・サンド『花のささやき』、タゴール『カブリワラ』
19.「里」 小山清『朴歯の下駄』、藤原審爾『罪な女』、広津柳浪『今戸心中』
20.「掟」 戸川幸夫『爪王』、ジャック・ロンドン『焚火』、バルザック『海辺の悲劇』
21.「命」 シュトルム『レナ・ヴィース』、オー・ヘンリ『最後の一葉』、ヴァッサーマン『お守り』
22.「涯」 ギャスケル『異父兄弟』、パヴェーゼ流刑地』、中山義秀『碑』
23.「鍵」 H・G・ウェルズ『塀についたドア』、シュニッツラー『わかれ』、ホーフマンスタール『第六七二夜の物語』
24.「川」 織田作之助『螢』、日影丈吉吉備津の釜』、室生犀星『津の国人』
25.「雪」 加能作次郎『母』、耕治人『東北の女』、由起しげ子『女中ッ子』
26.「窓」 遠藤周作シラノ・ド・ベルジュラック』、ピランデルロ『よしの家のあかり』『訪問』、神西清『恢復期』
27.「店」 石坂洋次郎『婦人靴』、椎名麟三『黄昏の回想』、和田芳恵『雪女』
28.「岸」 中勘助『島守』、寺田寅彦『団栗』ほか、永井荷風『雨瀟瀟』
29.「湖」 フィッツジェラルド『冬の夢』、木々高太郎新月』、小沼丹『白孔雀のいるホテル』
30.「影」 ロレンス『菊の香り』、内田百輭『とおぼえ』、永井龍男『冬の日』
31.「灯」 夏目漱石『琴のそら音』、ラフカディオ・ハーン『きみ子』、正岡子規『熊手と提灯』ほか
32.「黒」 ホーソーン『牧師の黒のベール』、夢野久作『けむりを吐かぬ煙突』、サド『ファクスランジュ』
33.「月」 ルナアル『フィリップ一家の家風』、リルケ『老人』、プラトーノフ『帰還』
34.「恋」 伊藤左千夫『隣の嫁』、江見水蔭『炭焼の煙』、吉川英治『春の雁』
35.「灰」 中島敦『かめれおん日記』、石川淳『明月珠』、島尾敏雄アスファルトと蜘蛛の子ら』
36.「賭」 スティーヴンスン『マークハイム』、エインズワース『メアリ・スチュークリ』、マーク・トウェイン『百万ポンド紙幣』
37.「駅」 ヨーゼフ・ロート『駅長ファルメライアー』、戸板康二グリーン車の子供』、プーシキン『駅長』
38.「日」 尾崎一雄『華燭の日』『痩せた雄雞』、高見順『草のいのちを』、ラム『年金生活者』『古陶器』
39.「幻」 川端康成『白い満月』、ヴァージニア・ウルフ『壁の染み』、尾崎翠『途上にて』
40.「瞳」 ラニアン『ブロードウェイの天使』、チェーホフ『子供たち』、モーパッサン『悲恋』
41.「女」 芝木好子『洲崎パラダイス』、西條八十『黒縮緬の女』、平林たい子『行く雲』
42.「夢」 ポルガー『すみれの君』、三島由紀夫『雨のなかの噴水』、ヘミングウェイ『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』
43.「家」 フィリップ『帰宅』ほか、坪田譲治『甚七南画風景』、シュティフター『みかげ石』
44.「汝」 吉屋信子『もう一人の私』、山本有三『チョコレート』、石川達三『自由詩人』
45.「地」 ヴェルガ『羊飼イエーリ』、キロガ『流されて』、武田泰淳『動物』
46.「宵」 樋口一葉『十三夜』、国木田独歩『置土産』、森鷗外うたかたの記
47.「群」 オーウェル『象を射つ』、武田麟太郎『日本三文オペラ』、モームマッキントッシュ
48.「波」 菊池寛俊寛』、八木義徳『劉廣福』、シェンキェヴィチ『燈台守』
49.「膳」 矢田津世子『茶粥の記』『万年青』、藤沢桓夫『茶人』、上司小剣『鱧の皮』
50.「都」 ギッシング『くすり指』、H・S・ホワイトヘッド『お茶の葉』、ウォートン『ローマ熱』
51.「星」 アンデルセン『ひとり者のナイトキャップ』、ビョルンソン『父親』、ラーゲルレーヴ『ともしび』
52.「婚」 久米正雄『求婚者の話』、ジョイス『下宿屋』、ラードナー『アリバイ・アイク』
53.「街」 谷譲次『感傷の靴』、子母澤寛『チコのはなし』、富士正晴『一夜の宿・恋の傍杖』
54.「巡」 ノヴァーリスアトランティス物語』、ベッケル『枯葉』、ゴーチエ『ポンペイ夜話』
55.「空」 北原武夫『聖家族』、ジョージ・ムーア『懐郷』、藤枝静男『悲しいだけ』
56.「祈」 久生十蘭『春雪』、チャペック『城の人々』、アルツィヴァーシェフ『死』
57.「城」 ムシル『ポルトガルの女』、A・フランス『ユダヤの太守』、ゲーテ『ノヴェレ』
58.「顔」 ディケンズ『追いつめられて』、ボードレール『気前のよい賭事師』、メリメ『イールのヴィーナス』
59.「客」 吉田健一『海坊主』、牧野信一『天狗洞食客記』、小島信夫『馬』
60.「肌」 丹羽文雄『交叉点』、舟橋聖一『ツンバ売りのお鈴』、古山高麗雄『金色の鼻』
61.「俤」 水上瀧太郎『山の手の子』、ネルヴァル『オクタヴィ』、鈴木三重吉『千鳥』
62.「嘘」 宮澤賢治『革トランク』、与謝野晶子『嘘』、エロシェンコ『ある孤独な魂』
63.「巴」 ゾラ『引き立て役』、深尾須磨子『さぼてんの花』、ミュッセ『ミミ・パンソン』
64.「劇」 クライスト『拾い子』、リラダン『断頭台の秘密』、フーフ『歌手』
65.「宿」 尾崎士郎『鳴沢先生』、長田幹彦『零落』、近松秋江『惜春の譜』
66.「崖」 ドライサー『亡き妻フィービー』、ノディエ『青靴下のジャン=フランソワ』、ガルシン『紅い花』
67.「花」 森茉莉『薔薇くひ姫』、片山廣子『バラの花5つ』、城夏子『つらつら椿』
68.「白」 梶井基次郎『冬の蠅』、中谷孝雄『春の絵巻』、北條民雄いのちの初夜
69.「水」 伊藤整『生物祭』、横光利一『春は馬車に乗って』、福永武彦『廢市』
70.「野」 ツルゲーネフ『ベージンの野』、ドーデー『星』、シラー『誇りを汚された犯罪者』
71.「娘」 ハイゼ『片意地娘』、W・アーヴィング『幽霊花婿』、スタンダール『ほれぐすり』
72.「蕾」 小川国夫『心臓』、龍胆寺雄『蟹』、プルースト『乙女の告白』
73.「子」 壺井栄『大根の葉』、二葉亭四迷『出産』、葉山嘉樹『子を護る』
74.「船」 近藤啓太郎『赤いパンツ』、徳田秋声『夜航船』、野上弥生子海神丸
75.「鏡」 マンスフィールド『見知らぬ人』、野溝七生子『ヌマ叔母さん』、ヘッセ『アヤメ』
76.「壁」 カミュ『ヨナ』、安部公房『魔法のチョーク』、サヴィニオ『「人生」という名の家』
77.「青」 堀辰雄『麦藁帽子』、ウンセット『少女』、デレッダ『コロンバ』
78.「贖」 有島武郎『骨』、島崎藤村『藁草履』、ジッド『放蕩息子の帰宅』
79.「隣」 小林多喜二『駄菓子屋』、十和田操『判任官の子』、宮本百合子『三月の第四日曜日』
80.「冥」 メルヴィル『バイオリン弾き』、トラクール『夢の国』、H・ジェイムズ『懐かしの街角』
81.「夕」 鷹野つぎ『悲しき配分』、中里恒子『家の中』、正宗白鳥『入江のほとり』
82.「惚」 齋藤緑雨『油地獄』、田村俊子『春の晩』、尾崎紅葉『恋山賤』
83.「村」 きだみのる『蓄音器和尚始末』、葛西善蔵『馬糞石』、杉浦明平『泥芝居』
84.「幽」 ワイルド『カンタヴィルの幽霊』、サキ『ガブリエル・アーネスト』、ウォルポール『ラント夫人』
85.「紅」 若杉鳥子『帰郷』、素木しづ『三十三の死』、大田洋子『残醜点々』
86.「灼」 ヴィーヒエルト『母』、キプリング『メアリ・ポストゲイト』、原民喜『夏の花』
87.「風」 徳冨蘆花『漁師の娘』、宮本常一土佐源氏』、若山牧水『みなかみ紀行』
88.「逃」 田村泰次郎『男鹿』、ゴーゴリ『幌馬車』、ハーディ『三人の見知らぬ客』
89.「昏」 北條誠『舞扇』、久保万太郎『きのうの今日』、佐多稲子『レストラン洛陽』
90.「怪」 五味康祐『喪神』、岡本綺堂『兜』、泉鏡花『眉かくしの霊』
91.「朴」 木山捷平『耳かき抄』、新美南吉『嘘』、中村地平『南方郵信』
92.「泪」 深沢七郎『おくま嘘歌』、島尾ミホ『洗骨』、色川武大『連笑』
93.「転」 コリンズ『黒い小屋』、アラルコン『割符帳』、リール『救いの十四聖者』
94.「銀」 堀田善衛『鶴のいた庭』、小山いと子『石段』、川崎長太郎『兄の立場』
95.「架」 火野葦平『傳説』、ルゴーネス『火の雨』、吉村昭『少女架刑』
96.「純」 武者小路実篤『馬鹿一』、高村光太郎『山の雪』、宇野千代八重山の雪』
97.「惜」 宇野浩二『枯木のある風景』、松永延造『ラ氏の笛』、洲之内徹『赤まんま忌』
98.「雲」 トーマス・マン『幸福への意志』、ローデンバック『肖像の一生』、ヤコブセン『フェーンス夫人』
99.「道」 今東光『清貧の賦』、北村透谷『星夜』、田宮虎彦『霧の中』
100.「朝」田山花袋『朝』、李孝石『そばの花の咲く頃』、伊藤永之介『鶯』

 まさに壮観。ただし、「51巻以降のラインナップは変更になる可能性があります」との由。

*1:原田氏が手掛けたものとしてただちにおもいつくのは、新潮文庫版『李陵・山月記』、旧版の海音寺潮五郎孫子』(講談社)、旺文社文庫の中国文学関係の本の表紙など。名前を知らない方でも、その作品を一度は目にしたことがあるのではないか、とおもう。

*2:もちろん、途中出演の小沢昭一黒沢年男などは健在であるけれども。