阿部真之助の本

 一月の用事をほぼ終えつつあるので、ひさしぶりで古本市にゆくと、欲しい本がたくさん出ていて困った。それでも、状態のよい長澤孝三編 長澤規矩也監修『漢文学者総覧』(汲古書院)を二千円で買えたし、カルピス文化叢書の一冊、矢野仁一『古中国と新中国』も二百円で買えたし、たいへん満足している。太田正雄、つまり木下杢太郎の遺稿集『葱南雜稿』も二千円で出ていたのだが、こちらは買わなかった(とはいえ、『漢文学者総覧』が二千円なら買うのである)。『葱南雜稿』には、「安南語の系譜」だったか、確かそんな題名の章があって、以前から気になっている。しかし、時間が限られたなかでの探書ということもあって、またしても一読がかなわなかった。それに、ネット古書肆に時々数百円で出ることがあるから今回も見送ったわけだが、おなじ店が出していた太田正雄『日本切支丹史鈔』五百円は、買っておいたほうがよかったかもしれない、とすこし後悔している。
 で、その『日本切支丹史鈔』の埋め合わせというか、代わりに買ったのが、阿部真之助の著作二冊である。『毒舌ざんげ―わたしの時評―』(毎日新聞社)、および『新世と新人』(三省堂)。(阿部の略歴はこちらを参照)
 実はこのところ、浮世ばなれした生活というか、1930年代の記事や写真を相手に奮闘している最中でもあり、「春秋園事件」だの「陸軍第十六師団」だの、色々なことをリサーチしなければならないので、それだから余計に、阿部の本をおもしろく読んだ。
 以前読んだ、阿部の『恐妻一代男』(文藝春秋新社)は、小説や半生記、例の「光文事件」(東京日日新聞―現毎日新聞―の誤報事件)の回想記などを収め、いわば阿部のバラエティ・ブックのような体をなしていて、これはこれで面白く読んだのであるが、『新世と新人』に収められた人物評*1もすこぶる面白い。特に、「當世畸人列傳」。井伏鱒二泉鏡花内田百輭高田保田中貢太郎村松梢風木村毅長谷川春子、河野通勢などなど、様々な人物を俎に上せるが、なにもしゃちほこばったスタイルのものではなくて、肩の力を抜いたユーモアたっぷりの筆致で描かれるから、それがまた微笑を誘う。たとえば木村毅なら――、「彼にもし腹中からガスを發散する奇癖さへなかつたら、畸人とするに當らない、平凡な作家といふに過ぎないであらう。(略)運動界で知られてゐる木村雷象*2も、雷の如く、象の如き發砲家なることによつて、彼と血を同じうする一族たることを物語つてゐる」(pp.265-66)、といった具合だ。
 なお、「ブラリひょうたん」でもお馴染みの高田保について、阿部は何度も書いている。『恐妻一代男』には「毎日時代の保ちやん」が、『毒舌ざんげ』には「保ちゃんの告別式」「高田保吉田茂」が収められている。高田の人物評といえば、徳川夢声の『いろは交友録』にもあり、そちらではズボラな面も強調されているが、阿部の文章を読むと、義理がたい人物だったことがわかる。

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 「恐妻」という概念そのものに関しては、『恐妻一代男』などよりも、阿部の歿後に出た、阿部幸男・阿部玄治『恐妻―知られざる阿部真之助』(冬樹社)のほうがよほどくわしい。特に第三章、「恐妻とその歴史」。これについては、書きたいこともいろいろあるが、またの機会に譲ろう。
 「恐妻家」「ふたたび恐妻家」も参照のこと。

*1:『恐妻一代男』にも「人間菊池寛」などの人物評が収めてある。

*2:原文ママ。おそらく誤植で、「象雷(しょうらい)」のことだろう。