感銘を受けた「本の本」

 前回の記事、といっても、もう一か月近く前のエントリになるが、寺田寅彦について書いた。
 すると、ちょうどけさの「空想書店」(本よみうり堂)が、寅彦の随筆集を紹介していた(須藤靖氏)。せっかくなので、以前書いた記事にすこし手を加えたものを載せておこう。

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 寺田寅彦について、もうひとつおもい出すのが、永田鉄山が寺田の「国防と科学の根本義について」を読んで感銘を受けた、という話。山口昌男『「挫折」の昭和史(下)』(岩波現代文庫)p.145にある。『秘録 永田鉄山』からの引用なのだが、そこではさらに、岩波茂雄が永田を藤原咲平や寺田と引き合せて懇談させたというエピソードが紹介されていて、すこし意外の感をもったことがある。
 著者の山口氏は昭和初年度の永田について、彼の満洲観などを紹介しながら、石原莞爾よりも「すぐれた判断力を持っていたようである」と評する一方、「共に理智に長けすぎて、廻りの人物群とのコミュニケーションに欠けていたところにあった」、という共通点を挙げる。
 さて、石原の「判断の悪さ」を示すエピソードとして山口氏が挙げているのが、宇垣一成内閣を流産させたということ。その後成立した林銑十郎内閣(および林自身)に対する山口氏の評価は相当に手厳しく、返す刀で石原の責任を追及している。

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 そして林銑十郎といえば、私はある人物をおもい出す。その甥、白上謙一(生物学者)のことである。とは云え、もちろん、白上の生物学に関する著作を読んだとか影響を受けたとかいうわけではなくて、白上による読書論『ほんの話―青春に贈る挑発的読書論』(教養文庫)を読んで、たいへん感銘を受けたことがあるのだった*1
 およそ「本の本」、あるいは「読書論」とは、その著者が読むに値すると考えた本をいかにおもしろく紹介することが出来るか、という技術にかかっている*2といっても過言ではなかろう。ときにその紹介文のおもしろさは、対象とする本のおもしろさを凌駕する場合さえある。
 そういった「本の本」を、ここにいくらでも挙げていくことにはやぶさかでない積りだが(読んだものは限られているのだけれど)、あまたある読書論のなかでも、『ほんの話』ほど、あちこちで立ち止まっていろいろと考えさせられた本も、そうそう無い。
 というのはこの本、けっして晦渋な書きぶりではないのだが、咀嚼して読まなければ、著者の云わんとするところを見外してしまうことにもなりかねないからで、私自身、白上の意図を十分に汲みとれているかどうか、実は、はなはだ心もとない。だから何度も読むことになる。それは悪文だろうとある人はいうかもしれないが、そういうことではない。発表された場が「山梨大学学生新聞」であった、という制約も確かにあったのであろうが、ごく短い文にその意図が集約されていたり、突然に話題を変えることがあったりして、著者の筆に思考が追いつかないのだ(そう感じるのは私だけ?)。また、「ははぁん、たぶんこういうことなのだろうな」と考えて読んでいても、「私がいいたいのは、そうではなくて」と見事に内心を見透かされた恰好になり、それだから片言隻句も蔑ろにできない。なんとも説明しにくいが、とにかく万事そんな調子なのである。
 いやそれ以前にまず目を見張るのが、カバーする領域の広さであった。ギボン『ローマ帝国衰亡史』、『論語』、フレーザー『金枝篇』、マキャベリフィレンツェ史』、ウェーバー『プロ倫』、森銑三『おらんだ正月』など定番の(?)作品はもちろんのこと、白井喬二中里介山小栗虫太郎、果ては白土漫画まで説きおよぶ。そればかりでなく、帆足万里『東潜夫論』を推奨したり(「1848年の日本・アメリカ・ヨーロッパ」)、沈復『浮生六記(うき世のさが)』について「訳者の一人、松枝(茂夫―引用者)氏の麗筆に負う所大である」(「ほのぼのと心が温められる本のこと」)と評したり*3と、いささか地味な小品への目配りも見られて嬉しい。
 もう少しだけ具体例を述べておくと、「記憶のたしかさとあいまいさ」は後藤新平大川周明を切っ掛けにして、南方熊楠の超人的記憶力のこと、「女賭博師」シリーズ、『翁草』、『犯罪科学』『博奕仕方聞書』、と博引旁証の手並みで次から次に本や映画を紹介していく。そして「生活の体系からの逸脱としてのお化け」では、現代っ子の「ゆりうごかされるべき体系自体の欠如」を憂え、「確固たる理法の体系」を持てと読者を煽動する。それも「オバケのQ太郎」をマクラに説かれるのだから恐れ入る。
 雑な文章もある。しかし、それもまた魅力のひとつだったりする。たとえば「江戸趣味と東京文化」では、江戸趣味問題の裏側に、「新旧いろいろな階層の田舎者」のあいだに生ずる「微妙なアツレキ」を見る。それはいいとして、この文章、『半七捕物帖』『安吾捕物帖』を話の緒とするが、それらはすっかり置き去りにされたまま、柳田國男、齋藤緑雨の話題をへて、最後は『加賀なまり』で締めくくる。良くも悪くもこんな藝当は、なかなか出来るものでもない。ほかにも、藤田元春の金印偽作説*4や、橋本進吉神代文字批判(「消え失せた本について」)、さらに徳川夢声の『くらがり二十年』(最近、清流出版が復刊した)まで登場する(「つらい想い出のある本」)のだからすさまじい。
 書物そのものについての文章にも、印象に残るものがいくつも挙げられる。たとえば、「ある蔵書家」「ふたたび蔵書家について」。ここに描かれる人々の書物蒐集にかける情熱はまさに狂的なものである。「引用と『ブルームの日』」はいわば「引用のマジック」に言及し、著者自身の手の内を明かしたりもしている。また「読まなかった本について」では、(補注によれば菅村隆二による)寺田寅彦批判を「唯物論研究」という雑誌で読んで我が意を得たりと感じたと書いているし、「古本屋と『見えざる敵』」は古本屋の存在意義を説く。
 ただ、全体をとおして読んでみると、その大衆蔑視というか、エリート意識に鼻白む人もあろうかとおもう。それに、「『人間』の姿を理解するために」という章では、モース『日本その日その日』やシュリーマン『古代への情熱』が推薦されているので、たとえば小谷野先生の著作の愛読者がこれを読んだりしたら、ちょっと失望するかも知れない(私です)。が、その点を差し引いても、この小さな本は実にいろいろなヒントを提供してくれる。
 また、著者が再三強調しているように、この本は書物に関するだけのものではない。おもうに「予言の書」なのである。ここで「予言」というのは、一般的な意味でのそれではなくて、「誰でもが、まともに見、まともに考えさえすれば理解できる道理をのべる」(「予言者の言葉について」)こと、すなわち「現状を分析し、将来の正しい見通しをたてること」(「『プラウダ』にイズベスチァなく『イズベスチァ』にプラウダなし(?)」)にほかならない。
 だが、そういった気負いがあったせいか、たいへん残念なことがある。それは、これらの文章が「政治の季節」に書かれたものであった、という事実。ために、全体的にどことなく窮屈な印象や色褪せた感じを与えているのは否めない。しかも、日を追うごとに段々その悲愴さを増してくる。たとえば、「私の文章が回を重ねるにしたがってゆとりを失って行き、手負いのけもののような狂暴な目の光を感じさせるようになるのは、現実の重圧であろう」(「俗衆の内に射込む毒矢」)とかいった記述は、「本の本」にはあまり似つかわしくない。もっとも著者自身、さきに述べたように、これらの文章は単なる本についてのものではないと書いてはいるのだが、しかしこれだけ多くの本を読んできたのなら、もっと余裕をもって、自由で楽しい書物談義を繰り広げて欲しかった、とおもうのは私だけではないだろう。
 それを書かないうちに、著者は亡くなってしまった。

ほんの話―青春に贈る挑発的読書論 (1980年) (現代教養文庫)

ほんの話―青春に贈る挑発的読書論 (1980年) (現代教養文庫)

「挫折」の昭和史 (下) (岩波現代文庫―学術)

「挫折」の昭和史 (下) (岩波現代文庫―学術)

浮生六記―うき世のさが (1948年) (岩波文庫)

浮生六記―うき世のさが (1948年) (岩波文庫)

*1:この本にも、伯父の林銑十郎についての記述が幾つか見うけられる。

*2:「いかにおもしろそうに見せるか」ということとは、ちょっと違う。そもそも著者自身が、その本を本当におもしろく読んでいなければならないのであるから。

*3:訳者には、松枝とともに佐藤春夫の名が記されているが、「佐藤はしばしば名前を貸したので、松枝の訳であろう。のち松枝訳として出た」(小谷野敦編著『翻訳家列伝101』新書館p.188)。事実、『浮生六記』の「はしがき」で佐藤は、自分は「ゲラと原文とを對照一讀して二三の愚見を開陳し校正の筆を執つたばかり」だと書き、「名は共譯でも實は松枝の勞によつて完成したのである」、と明らかにしている。

*4:もう一度確かめてみなければなるまいが、三浦佑之『金印偽造事件―「漢委奴國王」のまぼろし』(幻冬舎新書)には、確か紹介されていなかったとおもう。言及されていたこと、ご教示いただきました。コメント欄参看。