足立巻一『やちまた』

 先日、本居春庭『詞通路』三冊を入手したので、灯下なぐさみに繰っている。美濃判、薄鼠色の表紙で、巻頭に「蘇維南」の朱印が、巻末にはそれぞれ「平林蔵書」の朱印が押されているが、旧蔵者についてそれ以上のことはわからない。所々に朱で書入れがある。
 わざわざオリジナル和本で見ようとしなくても、早稲田大学が手持ちの本よりもずっと状態のよいものをネット上に公開してくれているから、そちらで見ればすむ話なのかもしれないが、ことに和本のばあい、手許に置いて捲ることにはまた格別の味わいがある。
 それで、『詞通路』をつらつら眺めていると、足立巻一『やちまた(上・下)』(河出書房新社)を再読する必要を感じたので、今はどこへ行くにも『やちまた』を携え、じっくり読みかえしているところである。現在、上巻の半分強、第七章まで読みおえた。少くともあと一週間はこれにかかりきりだろう。初読は駆け足だったから、こうしてゆっくり読むと、あらたな発見があちこちにあるし、脇役たちも魅力的にみえてくる。たとえば著者と同級の「腸」。たとえば古本屋の「政吉さん」。
 さて足立は同書で、「春庭はことばをやちまたとたとえたけれども、ことばの探究の道すじもまた微妙で多岐をきわめている」(上巻p.137)という感懐のもと、その「探究の道すじ」を、現在―過去のせわしない往還のなかで描いている。たとえば、沢真風の旧邸址をたずね歩くくだりや、春庭の妻壱岐の幻影を追いもとめるくだりは、現在と過去とが二重写しになっていて、とりわけ印象にも残りやすいが、著者にとってはそういった作品上の効果をもたらすということ以上に、「探究の道すじ」の過程を描くにあたってきっと缺くべからざる要素であったのだろうし、事実うるさくは感じられず、むしろ心地よい。
 ところでこの『やちまた』、私は昭和五十年六月刊の再版本(ついでに言うと献呈署名本)を持っているのだが、再版では「少からぬ補正をおこなった」(下巻p.440)そうだから、引用などに際しては初版よりも再版以降(ないしは朝日文芸文庫版)に拠るべきであろう。えてして初版本というのはありがたがられるが、こういうことがあるから再版も侮れない*1。それにこの再版本には、初版の刊行以降にかかれた書評をまとめた小冊子も附いている(十二頁。評者は尾崎知光、読売新聞、富士正晴週刊読売、戸井田道三、朝日新聞田辺聖子、松永伍一、佐藤忠男週刊朝日、大久保正、吉川幸次郎)。

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 『やちまた』読了後の「お供本」は、これまた足立巻一の『虹滅記』(朝日新聞社,現:朝日新聞出版)――、と決めている(実は読みさしのままの本なのであった)。それというのも、この間部分再読した高島俊男『寝言も本のはなし』(大和書房)に、高島先生が次のように書いておられたからである。

『虹滅記』は著者の祖父足立敬亭の伝記である。長崎の人。安政四年生れ。世事には幼児のごとく無能な漢学者で、むすこと妻に先立たれ、孫巻一の手を引いて乞食し、大正十年、長崎の風呂屋でお湯につかっていて、九歳の著者の目の前で頓死した。六十四歳。著者は長じて祖父の数奇な生涯を追跡しはじめる。戦後の日本人が書いた伝記文学の最高傑作である。すくなくともわたしはそう信ずる。(「とびきりおもしろい日本人の伝記十冊」p.30,太字は引用者)

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 『やちまた』には、富士川游『日本医学史』がなん箇所かに出てくる。その富士川游の子・富士川英郎の文庫版随筆集が、このほど高橋英夫の編で出た。『読書清遊―富士川英郎随筆選』(講談社文芸文庫)がそれである。冒頭が「父富士川游のこと」、最後を飾るのが「夕陽無限好」(李商隠の五言絶句《楽遊(游)原》*2が典拠)で、文章の配置といい、取捨選択といい、絶妙の選集となっている。
 なお富士川英郎の随筆集で私が持っているのは、いつぞやの古本市で購った『讀書輭適』(小沢書店)だけであるが、その随筆集からは一篇も採られていない。

やちまた (上巻)

やちまた (上巻)

やちまた (下巻)

やちまた (下巻)

やちまた (1974年)

やちまた (1974年)

虹滅記 (1982年)

虹滅記 (1982年)

寝言も本のはなし

寝言も本のはなし

*1:たとえば富士川英郎は「江戸漢詩文とわたし」に、次のように書いている。「この書(『江戸後期の詩人たち』のこと―引用者)、殊にその初刷のものは、なかに引用されている詩の訓み方に、いろいろの誤りや、適正でないものがあったりして、欠陥のかなり多いものであったが(「筑摩叢書」本の最近の版、即ち昭和六十年五月三十日発行の「初刷第三刷」本では、その誤りを概ね正すことができた)、それにも拘らず、この書はその刊行の当時、予想外に多くの人たちから好意を以て迎えられた」(『読書清遊』講談社文芸文庫,p.30)。これも同様の例である。

*2:一本は「登楽遊原」に作り、また一本は「楽遊」に作る。李商隠には、これとは別に「楽游原」と題する七言絶句がある。最近の川合康三選訳『李商隠詩選』(岩波文庫)は、当該詩題を「楽遊」とする(p.44)。