露伴と正木旲

 静嘉堂文庫美術館で、『日本における辞書の歩み―知の森への道をたどる―』という展覧会が開催されている(今月末まで)。
 「週刊新潮」7月7日号にもそれなりに大きな記事で紹介されていて(p.123)、いますぐにでも見に行きたいところなのだが、あいにく時間がない。旅費もない。
 さて、この展覧会については、「見もの・読みもの日記」でくわしい報告がなされているが、あれこれ想像をめぐらしていると、ますます行きたい気持ちがつのるばかり。
 宋版『広韻』も出ているらしい。ひとくちに宋版とはいっても、おおまかには「鉅宋本」と「大宋本」とに分けられ、韻目名や韻序、その分合規定などが異なっている。静嘉堂蔵本は後者に属するもの(前者には内閣文庫本や上海図書館本などがある)で、松方巌、島田翰などを経て静嘉堂文庫にたどり着いたようである。
 ちなみに、平澤一「古本屋列伝」(『書物航游』中公文庫1996所収)によると、「昭和四十七年の三都古典連合会」(十周年記念)に宋版『広韻』が出て、平澤氏の大学の先輩が「うちの館の『広韻』よりもよい」とため息交じりに呟いたというが(p.289)、果してどんな『広韻』だったのだろうか(比較的古くて個人の蔵儲にかかるものでは「崇蘭館旧蔵本」があるが、こちらは昭和四十五年の東京古典会に出品されたという。鉅宋本系統である)。
 そのほか『康煕字典』、『永楽大典』、棭斎の自筆書入本、石川雅望『雅言集覧』の自筆初稿本や、洋学辞書類も…。
 なお「見もの・読みもの日記」は、展示室の入口に置かれた『諸橋大漢和』にも触れていて、それには諸橋による訂正書入があったという。ブログ主は、諸橋が静嘉堂文庫長だったことを初めて知って「軽い衝撃を受け」たと書かれているが、原田種成『漢文のすゝめ―諸橋『大漢和』編纂秘話―』(新潮選書1992)をお読みになったら、もっと衝撃を受けられるかもしれない。

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 いわゆる「首なし事件」をはじめて知ったのは、『日録 20世紀 スペシャル12 怪盗・怪事件ファイル』(講談社)中の「正木ひろしと『首なし事件』の無法」(pp.9-11)によってであるが、当時は興味本位で記事を読んだにすぎなかった。
 このあいだ、小林勇の本を読みかえしていたら、その裁判の渦中にあったころの正木弁護士が出て来るのに気がついた。

岩波茂雄は―引用者)二月にはいわゆる首なし事件といわれた(ママ)埼玉県長倉におこった炭坑夫が警察署で怪死した事件を追及している正木旲弁護士を応援した。これは闇から闇に葬られようとしていたのを、正木氏が墓を掘り返し、被害者の首を斬って運び出し*1、東大の古畑(種基―引用者)教授に解剖してもらって実際の加害者は巡査であると起訴したのだ。その告訴が受理されたときに、岩波は朝早く正木氏のところへわずかばかりだが、この頃としては貴重な魚をたずさえて喜びをのべ、はげましにいった。
小林勇『惜櫟荘主人― 一つの岩波茂雄伝 ―』岩波書店1963:p.300)

 文中の二月というのは昭和十九年(1944)のこと。同月、正木は熱海にある岩波の「惜櫟荘(せきれきそう)」を訪れている。

 岩波書店主の岩波茂雄は、当初から、わたしを激励してくれていましたが、官憲の空気がしだいに険悪になってきたことを、いろいろな方面から伝聞したらしく、わたしの身辺を心配し、貴族議員であり、政界の長老である伊沢多喜男に一度会って意見を聞くようにといって、わたしを熱海の別荘に招きました。
 岩波氏の別荘には、当時、幸田露伴が滞在中で、わたしはその夜おそくまで、露伴先生の、中国史上の古い不正裁判の話を感銘深く聞きました。
正木ひろし『首なし事件の記録―挑戦する弁護士』講談社現代新書1973:pp.76-77)

 「中国史上の古い不正裁判」が具体的には何を指すのか気になるところだが、小林の『惜櫟荘主人』や『蝸牛庵訪問記』にも出てこないし、詳細は分らない*2
 さて『蝸牛庵訪問記』によれば(講談社文芸文庫版p.282)、同年二月には、露伴小林勇が一週間ほど熱海に滞在し、小林が帰ったあとも露伴はしばらく熱海にとどまった(その後、伊東の「和泉荘」へ赴いた)という。正木が露伴について記したのは多分この前後のことであろう。
 露伴が伊東へ移ったあと、正木は再び露伴のもとを訪れている。それついては、正木著には見えないが、塩谷賛『幸田露伴(下の二)』(中公文庫,1977)が記している。

弁護士の正木昊(ママ)(ひろし)氏が来て公表されないである鉱山事件を話して行った。それは戦後に正木自身が長尾事件という名をつけて雑誌に公表した話である。そういうふうにして一般に知られないことが露伴の耳へは伝わるのである。(p.258)

 これは三月に入ってからの出来事だというから、正木はおそらく、巡査部長が起訴されたことを露伴にも報告しにいったのではなかろうか。

惜櫟荘主人―一つの岩波茂雄伝 (1963年)

惜櫟荘主人―一つの岩波茂雄伝 (1963年)

蝸牛庵訪問記 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

蝸牛庵訪問記 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

幸田露伴〈下の2〉 (1977年) (中公文庫)

幸田露伴〈下の2〉 (1977年) (中公文庫)

*1:小林桂樹が正木に扮した小林正樹『首』(東宝1968)には、このエピソードも描かれているが、特に汽車内の展開などにかなりの脚色がなされている(脚本は橋本忍)。

*2:ちなみに、加害者の巡査部長が起訴されたのは同年三月末。正木著によれば、起訴決定の翌朝に、「岩波茂雄が、これを伝え聞いて、熱海から大だいやいせえびなどを、みずから下げて、わたしの家を訪ねてくれ」た(p.87)という。これは先に引いたように、『惜櫟荘主人』も記している。