鴎外生誕百五十年

 本年もよろしくお願い申し上げます。

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 昨年は「マーラー・イヤー」(グスタフ・マーラー歿後百年)だと騒いでいたのに、今年は、「鷗外・イヤー」、すなわち森鷗外生誕百五十年*1に当る*2。この一月には別冊太陽の鷗外特集号が出るらしいし、二月にはベルリンのフンボルト大(旧称ベルリン大)で記念式典が開催されるらしいし、色々の催しが目白押しだ。
 私もそれに備えて(?)、昨秋あたりから、鷗外作品を古本市などで見つけては買うようにしていた。
 たとえば、永井荷風監修/森於菟・小堀杏奴編集『鷗外小説全集』(寶文館,本巻八巻、別巻三巻)1,500円をN書店で購ったり、『北条霞亭』(ちくま文庫)800円を神保町で買ったりした。前者は、岩波書店刊の新書版全集と同じ判型で、木下杢太郎の「森先生の人と業と」という、これ以外だとおそらく杢太郎全集でしか読めない文章も収めてあり貴重だが、あくまで「小説全集」なのであって、「翻訳もの」は別巻に『即興詩人』*3を、またいわゆる「三史伝」も別巻に『澀江抽齋』を収めるのみ。
 鷗外作品にはじめて触れたのは中学生のころ、新潮文庫版の『山椒大夫高瀬舟』だったと記憶するが、『舞姫*4を国語の教科書で読まされたり、これも中学生のときに『阿部一族』(まあ、「肥後つながり」なのである)をテレビで見て(深作欣二監督作品!)いたく感動して原作で読んだり、すこし飛ぶが大学学部生のころ(中国文学専攻だった)に『魚玄機』を授業で教わって読んだり、奥本大三郎『虫の宇宙誌』(集英社文庫)の「ボン・グウ―鷗外の「田楽豆腐」」に感銘を受けて『田楽豆腐』を読んだり、橋川文三「乃木伝説の思想」を読んで『興津彌五右衛門の遺書』を読んだりと、折にふれて目をとおしてきた。
 しかしよく読むようになったのは、なんといっても、松本清張の鷗外関連作品に親しんでからのことである。具体的な作品名でいうと、『或る『小倉日記』伝』、『鷗外の婢』、『両像・森鷗外』(この作品は清張の歿後に刊行された)である。清張自身は、「途上」(『半生の記』)で、芥川龍之介菊池寛(特に後者のほう)の影響を多分に受けた、と書いているのだけれども、しばしば材に取った文学者は鷗外であった(『文豪』という作品集にも鷗外のことがちらちらと出て来る)。たしかに「歴史もの」であれば、清張は菊池や芥川ではなく鷗外の作品を高く評価している。ただ、その鷗外の偉大さが足枷となってしまっていることも指摘している。

その席(某誌の計らいで東大史料編纂所の人たちと語り合った席上―引用者)で、鷗外が歴史小説の一つのピークであったことが、今の歴史小説を不毛なものにしているのではないか、という人があった。私も同感である。鷗外の偉さが一つの型になってしまった。(『随筆 黒い手帖』中公文庫旧版:235)

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 ところで、人によってはこれしか認めないぞという「三史伝」は、恥ずかしながら『澀江抽齋』しか読んだことがなかった。
 今になってようやく、(富士川英郎『読書清遊』*5中村真一郎頼山陽とその時代』*6に触発されたことにも因るのだが)『伊沢蘭軒(上・下)』(ちくま文庫)を少しずつ読み進めており、やっと上巻の200pに至ったばかりである。もっともこの文庫版には、同じ語(「款語」だったか「歓晤」だったか)に二度注を施したり、「遠城背に連続す」の「黛」字が抜けていたり(83p、その三行後の冒頭に植字されている)と、すこし不備はあるのだが、たとえば蘭軒が寺町の竹苞楼(なお健在!)を訪れて玉篇の古鈔本を見せてもらうくだり(102p)など、おもしろく読んでいる。

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 「三史伝」でさえ低く評価するのが、たとえば三浦雅士氏で*7、三浦氏は丸谷才一鹿島茂三浦雅士『文学全集を立ちあげる』(文春文庫)のなかで「鷗外の史伝ものというのは、結局、江戸に対するシンパシーなんですね」「江戸帰りみたいな要素が色濃くある」「明らかに江戸と地続き」(173-74p)、と評している。しかし、その「江戸と地続き」であるという点を逆にたかく評価しているようなのが丸谷・鹿島の両氏で、これはそんな三者三様の「かけ合い」がたのしい本である。
 なお丸谷氏は、石川淳も好んでいた『諸国物語』を絶讃している。
 私は鷗外の翻訳ものではゲーテの『ファウスト』が好きで、二度読んだ。ついでにいうと、この鷗外訳で、かの有名なせりふ――「時よとまれ、君は美しいから」(たくさんの訳が出ているが、手塚治虫が有名にしたのではないか)は、「まあ、待て、お前は実に美しいから」、となっている(ちくま文庫版119p)。

森鴎外全集〈7〉伊沢蘭軒 上 (ちくま文庫)

森鴎外全集〈7〉伊沢蘭軒 上 (ちくま文庫)

森鴎外全集〈8〉伊沢蘭軒 下 (ちくま文庫)

森鴎外全集〈8〉伊沢蘭軒 下 (ちくま文庫)

文学全集を立ちあげる (文春文庫)

文学全集を立ちあげる (文春文庫)

森鴎外全集 <11> ファウスト (ちくま文庫)

森鴎外全集 <11> ファウスト (ちくま文庫)

黒い手帖 (中公文庫)

黒い手帖 (中公文庫)

或る「小倉日記」伝 傑作短編集1 (新潮文庫)

或る「小倉日記」伝 傑作短編集1 (新潮文庫)

*1:ドビュッシーやO・ヘンリーと同い年である。

*2:ロレンス・ダレル檀一雄武田泰淳、森敦、新田次郎今井正新藤兼人木下恵介谷口千吉武智鉄二福田恆存佐野周二清川虹子、シミキン、ジーン・ケリー、ペリー・コモ、ジョン・ケージ、ギュンター・ヴァント、サー・ゲオルグショルティクルト・ザンデルリンクなどの生誕百年に当る年でもあるらしい。「ええっ、この人たちが同い年だったの」、という軽い驚きがある。また、明治天皇崩御後百年(つまり大正百年)、中華民国成立百年でもあった。

*3:一昨年末、安野光雅氏が口語訳の即興詩人を出されたが、安野氏がその本で強調して仰っているのは、「鷗外の文語訳でぜひ読みなおしてほしい」、ということで、これは、『週刊ブックレビュー 20周年記念ブックガイド1991-2011』(NHKサービスセンター)のなかでも繰り返されていた(p.36。昨年3月19日放送分の特集梗概)。

*4:最近だと、小谷野先生の新書、小川洋子氏の文庫、大岡玲氏の『本に訊け!』(光文社)が取上げていたのが記憶にあたらしい。

*5:「『伊沢蘭軒』のこと」という文章が収めてあり、富士川氏は鷗外の史伝中で『蘭軒』を最もおもしろい、と評している。

*6:たとえば中公文庫版上巻24-25pで中村は、鷗外の推定の「正しさ」に言及している。

*7:岡本太郎だったか(定かでない。ちなみに岡本も昨年生誕百年を迎えた)、対談か鼎談か(それも定かでない)で、史伝を書き始めた鷗外の方向性をするどく批判していた記憶がある。