辞書の辞書

 必要あって、辞書に関する様々の書物を読んでいるのだが、書誌の整理だけで手一杯となるせいか、誤脱がつきものなのは困ったことである。たとえば、杉浦克己『書誌学・古文書学=文字と表記の歴史入門=』(放送大学教育振興会1994)中の「辞書の歴史」――を引き合いに出すのは、(辞書史の解説はごく一部にとどまるので)すこし気がひけるのだが、典型的な例として挙げておくならば、編集部によるものか、ルビがちょっとひどい。「だいこうえきかいごくへん」の最初の「い」が抜けていたり、『平他字類抄』が「ひらたじるいしょう」*1となっていたりする。さらに、これはルビではないが、「谷川士清(ことすが)」が「谷川清士」となっていたりもする(p.135)。
 近代以降の辞書については、まずは惣郷正明朝倉治彦『辞書解題辞典』(東京堂出版1977,以下『解題』)を引くことにしているが、これとても再確認が必要だ(この本については誤脱というよりも、データ不足の不満をちょっとだけ記しておく)。
 たとえば、庄原謙吉編『漢語字類』(青山堂,明治二年)を『解題』でひいてみると、「いろは順に改変したものが、翌明三、『漢語便覧』として出ている」(p.96)とある。しかし、惣郷正明『日本語開化物語』(朝日選書1988)によると、さらにその校正増補版の『漢語字類』が明治九年に出たらしい(収録語数は五千語から九千語となったという)。だが、これは『解題』には出ていない*2
 ほかに、「薩摩辞書」との異名をもつ『改正増補 和訳英辞書』*3(明治二年)については、堀達之助の『英和対訳袖珍辞書』(文久二年)*4とその再版を増補した旨は述べてあるが(『解題』p.536)、長崎通詞の堀孝之(達之助の長男)の関わった増補版『大正増補 和訳英辞林』(明治四年。約三千語を加え、ウェブスター式発音符号を採用するなどした)に一言も触れない(別項にもない)のはどうしたことか。惣郷正明『辭書漫歩』(朝日イブニングニュース社1978)にはその辞書が出て来るが(pp.19-21)*5、p.19に「前田正」(「正」とあるべきところ。「まさたね」と訓むらしい*6)という誤植があるのが残念だ。惣郷氏の著作にも意外と誤植が目につくので、注意すべきである。たとえば前掲の『日本語開化物語』p.90に「『新令字解』(田嘯編)」とあるところ、編者名は「田嘯」でなければならない。
 このように、『解題』中のデータは完全なものではなく、つねに更新されるべき部分のあることに注意しなければならない(さる方は、あるところで「誤植やミスの宝庫」とまで言い切っておられる)。それは、この本の「はしがき」に「完璧を期すため、昭和四八年以降の辞書とともに今後の増補につとめたい」(p.2)とあることからわかるし、また、惣郷氏が自著『辞書とことば』(南雲堂)を紹介したくだりで、「学生時代、記者時代を通じて新古、様ざまの辞書を集め『辞書解題辞典』(東京堂)を朝倉治彦氏と共に編んだ時には四千冊であった。その後、この五年間に六千冊までふくらんだ」(「日本語学」第二巻第六号1983:117)、と書いていることからもわかる。その『解題』刊行後に入手した辞書の書誌をまとめたものはどこかにないかとおもっているのだが、たとえば今野真二『漢語辞書論攷』(港の人2011)を読んでいると(p.19)、惣郷蔵書の行方が気ががりだ。惣郷コレクションの散佚については、こちらにも書いてあった。一昨年、T先生の蔵書をいくらかお譲りいただいたときにも、某先生が、蔵書の行方という問題について、しばし思いをめぐらせておられたようだった。
 そういえば、『解題』では、かの大槻文彦言海』が漏れたのだった! 前掲『日本語開化物語』で惣郷氏は、「担当した旧刊辞書の中で『言海』を漏らしたのは大失態であ」り、「今も冷や汗をかいている」(p.102)と述べている。
 ついでに。『解題』の共著者、朝倉治彦氏の『書庫縦横』(出版ニュース社1987)巻末の「著者略歴」に、『解題』が見当らないのはいったいなぜなのか(共編著が省かれているわけでもないようだし)。

    • -

 牧野恭仁雄『子供の名前が危ない』(ベスト新書)を読んだ。ベスト新書は、谷沢永一『運を引き寄せる十の心得』などもそうだったが、すぐに品切となるようなので、とりあえず買っておいたのだが、一気に読みおえてしまった。著者の牧野氏は、『漢検ジャーナル』Vol.5(今月13日に発行)にも登場していて(p.10)、(同書の名は近著として挙がっていないのだが)その内容の一部と同じことを語っている。「無意識」とか「欠乏感」とかいったキーワードでひとくくりにしてしまうことなど、やや疑問符のつく箇所もあったのだが、なかなか面白くは読んだ。いわゆる「キラキラネーム(またはDQNネーム)」の見本市、という観点から読んでも面白い。
 p.66に、「ミノル」「シゲル」「ユタカ」といった、「収穫に関する字」を使った男児名がランキング上位にあらわれた時代(昭和時代の前半三十年)への言及があり、そのランキングを見ていてちょっと面白かったのが、昭和二十三年から昭和二十六年まで「稔=ミノル」が消えていて、そのかわりに、しばらく上位に出て来なかった「実=ミノル」がひょいと躍り出ていること。これは「稔」字が当用漢字に入らなかったために使えなくなったからで(昭和二十六年五月の「人名用漢字別表」92字に入ったので、それ以降は使えるようになった)、それでも、どうしても「ミノル」と名づけたかった親たちの苦心(?)のほどがしのばれる。 そういえば、第三次吉田内閣(昭和二十六年)の農林大臣・広川弘禅に肖って「弘」という名を子につけたがった農家の話をどこかで読んだことがあり(円満字二郎氏の本であったか)、このばあい訓みは「ヒロシ」でも、かかる類も、「収穫に関する」縁起字と見なすことが出来るかもしれない*7
 ただ同書のなかで、自身の名について、「恭仁雄」を「くにお」と読ませることを「まちがった読み方の名前」(p.119)と断じているのはいかがなものか*8、と書こうとしていたら、某先生が某所ですでにお書きになっていた。
 「恭」は鍾韻三等字で、「ク」はいわゆる呉音。漢音が「キョウ」(「クヰヨウ」)*9。腫韻三等字「奉」の呉音「ブ」(「奉行」etc.):漢音「ホウ」(「奉仕」etc.)、という対応例を考えるとわかりやすい*10。そういえば、内藤湖南が住んでいた「恭仁山荘」も「くにやまそう」だった。
 それから、「まちがった名乗り」、というのも、実は定義が難しい。たとえば、荒木良造編『名乗辞典』(東京堂出版1958,架蔵本は1966年6版)の「まえがき」では、「定行(サダキ)」「誠白(マサシ)」など「訓よみの一部が略され」たもの(同辞典では、「名乗の落し子」と表現されている)も、名乗りとして認めている(p.2)。

辞書解題辞典 (1977年)

辞書解題辞典 (1977年)

日本語開化物語 (朝日選書)

日本語開化物語 (朝日選書)

子供の名前が危ない (ベスト新書)

子供の名前が危ない (ベスト新書)

名乗辞典

名乗辞典

*1:この書名は「平声」とそれ以外、という意味なのだから、「ひらた」ではおかしいだろう。

*2:なおこの『日本語開化物語』では、『解題』刊行以後に惣郷氏が入手されたもののうち、「異色のもの」のみが紹介されていること(pp.104-05)を付けくわえておく。

*3:谷沢永一『書物耽溺』(講談社2002)には、この辞書を「世に薩摩字引と言い習わすようになった」(p.66)とあるが、そのような呼称はそこで見たきりである。また谷沢著によると、初版の『和訳英辞書』は「合計二万七千両の純益とな」った(同前)という。

*4:この辞書については、こちら(http://d.hatena.ne.jp/ya022978/20111105/1320426337)にツイッター上での面白い発言が引用されている。

*5:惣郷正明『辞書風物誌』朝日新聞社1973のp.38やp.231、同『古書散歩―文明開化の跡をたどって』朝日イブニングニュース社p.53、『日本語開化物語』のp.22にも書名が出ている。

*6:「穀」字は、荒木良造『名乗辞典』(東京堂出版1958,架蔵本は1966年6版)には「ヨシ」「ヨリ」のみ採録、「タネ」は無し(p.88)。

*7:なおこの「弘」字も、「稔」字と同様に当用漢字入りをはたせず、後の「人名用漢字別表」に入った。

*8:牧野氏は、「漢字には音、訓、名乗り、の読み方がありますが、どれにも該当しない読み方の名前はまちがった読み方であり」(p.28)と書いている。すなわち「恭ク」を「まちがった音」と捉えているようなのだ。

*9:ごく一部の漢音資料では、「クウ」という音形をとる場合もある。これは系統としては呉音ではなく漢音と見なされ、音声上から拗介音の弱化現象を反映したものと解釈される(沼本克明氏)。

*10:もっとも、「奉」字の漢音が「キョウ」等と並行して「ヒョウ」の如くならないのは、唐代長安音(北方音)の声母(頭子音)の「軽唇音化」に伴い拗介音を脱し、その状態を反映しているためなのであって、これはまた別の問題である。