雑観

 虹の色に対する把握のしかたの違いについて、ここにすこし書いたが、ショナ語、バサ語の話は、たぶん、黒田龍之助『はじめての言語学』(講談社現代新書2004)で読んだことなのであった(pp.76-77)。黒田先生によると、この話は、「グリースン(竹林滋、横山一郎・訳)『記述言語学』(大修館書店)の6〜7ページにあるので有名なの」だという(p.86)。グリースン著は未見。なお、鈴木光太郎『オオカミ少女はいなかった―心理学の神話をめぐる冒険』(新曜社2008)pp.61-93「3色の虹?―言語・文化相対仮説をめぐる問題」には、そのことが書かれていそうだったが、確認したら書かれていなかった。
 ついでに。黒田著pp.78-79には、イヌイット語が雪を細かく分類するという「俗説」が自戒をこめて紹介されているのだが、この話はどこで読んだのだっけ。宮岡伯人(おさひと)先生の本、だったか。確か、今井むつみ『ことばと思考』(岩波新書)も、その説を引用していたおぼえがある(間違っていたらすみません)。
 それはともかく、黒田龍之助『世界の言語入門』(講談社現代新書2008)に「イヌイット語」はなく、「エスキモー語」としてこれを収めている。その理由はこうだ。「イヌイットというのはカナダのエスキモーしか指さないので、グリーンランドからロシアのチュコト半島まで広がるこの民族を、このイヌイットだけで代表させるとしたら、それはそれで問題だ。(略)ある学者は、当人たちが『エスキモー』という名称にそれほど嫌悪感を抱いてもいないようだから、日本ではこれを使うのもやむをえないのではないかと提言する。わたしもこれに従う」(p.62)。もっとも、「エスキモー語は、一つの言語というより、互いに通じない六つの言語の総称と考えたほうがいいらしい」(同、「互いに通じない」に傍点)、とのこと。
 この本、「マオリ語」の項では「友人の管啓次郎さん」が出てきたり(p.198)、「ゾンカ語」の項では伊坂幸太郎氏の作品を引用したり(p.112)、「サーミ語」の項では映画「ククーシュカ」を紹介したり(p.90)と、いろいろ興味ふかい。

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 ところで、ごく最近観た“Room in Rome”(2010年。日本劇場未公開のスペイン映画)は、英語、スペイン語、ロシア語、と様々な言語の飛び交う映画であり、動画のみの登場だが、バスク語もあった。それを使用しているのがナイワ・ニムリで(エレナ・アナヤもおぼつかないバスク語を使う)、ググってみると、この人は母親がバスク人なのだった(父親はヨルダン人だという)。
 『世界の言語入門』はこのバスク語も立項していて、能格構文に魅力のある言語として紹介されている(pp.156-57)。能格構文というのは、「他動詞の主語が能格(ergative)に,目的語が主格(nominative)に置かれ」る(下宮忠雄「バスク語」、柴田武編『世界のことば小事典』大修館書店1993:335)というもの。たとえば「父(aita)は母(ama)を愛する」が、“Aita-k ama maite du.”(-kは能格語尾、duのd-は目的語3人称の標識だとか)となる。「maite du」は he loves の意味でも she loves の意味でも使えるらしく、「母は父を愛する」は“Ama-k aita maite du.”というふうになるという。わかったような、わからんような。
 ちなみに、下宮先生の記述によれば、バスク語は数詞が20進法であらわされるとの由。最近「マヤ暦」でなにかと話題のマヤ文明も20進法だったような。

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 本のオビがついていることに慣れてしまうと、どうもいけない。現行の文庫本にはほとんどオビがついているが、一括重版や季節ごとのフェア以外にはオビをつけない岩波文庫(新人物文庫、などもふつうオビがつかない)は、新刊でもたとえば、マリオ・バルガス=リョサ『密林の語り部』にオビをつける、というようなことがあったりする。しかし、それでも違和感はない。
 単行本でも、オビの有無が不統一だったりすると、慣れの問題ではあるのだが、なんとなく落ちつかない。たとえば今野真二先生の『文献日本語学』(港の人)はついていたのに、同じ清水理江氏装釘本の『漢語辞書論攷』(港の人)にはついていない、とか。ほかに、朝日新聞出版の「朝日おとなの学びなおし!」シリーズは、創刊5冊にはオビがついていたが、翌月刊行分(2012年2月)以降から、なぜかつかなくなった。

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 「注力」(ちゅうりょく)という語については、Nさんが「新聞用語」だとおっしゃっていたことがある。あるいはそうかもしれない。Office IME2007では一発変換できた。
 現行の国語辞典をいくつか確認してみると、『日本国語大辞典〔第二版〕』(小学館)、『新明解国語辞典〔第七版〕』(三省堂)には見当らず。さすがに、『三省堂国語辞典〔第六版〕』(三省堂)は採録

ちゅうりょく[注力](名・自サ)力を・そそぐ(入れる)こと。「会社の再建に―する」

 『明鏡国語辞典〔第二版〕』(大修館書店)にもあった。

ちゅう‐りょく【注力】〔名・自サ変〕目標を達成するために力をそそぐこと。「新規事業に―する」

 この語、そろそろ小説などからも拾えるようになってきている。

エンジニアのダンは、自分は発明に注力したいと考えている。
速水健朗『ラーメンと愛国』講談社現代新書2011:65)

片岡大尉が中心になって絵を描いた計画に注力しておけば、あるいは戦況をひっくり返すことができたかもしれない
(永瀬隼介『帝の毒薬』朝日新聞出版2012:326)

 後者の用例なんて、戦後間もないころが舞台であるはず、なのに。

はじめての言語学 (講談社現代新書)

はじめての言語学 (講談社現代新書)

世界の言語入門 (講談社現代新書)

世界の言語入門 (講談社現代新書)

世界のことば小事典

世界のことば小事典