馮馮翼翼

 淮南王・劉安編『淮南子』天文訓巻三には天地開闢の神話が説かれており、そこに「天墜未形馮馮翼翼洞洞灟灟」という箇所がある。これについて高誘*1は、「馮翼洞灟无形之貌」と解する(四部叢刊初編本の『淮南鴻烈解』を参照)。
 しかし、金谷治淮南子の思想―老荘的世界』(講談社学術文庫1992)によると、「(高誘の註釈は―引用者)その前の『天地未形』ということばに引かれ、また道家的な無を根本とする宇宙論に誤られたのである。(中略)老子の哲学で合理的に理解しようとした結果のことであろう」(p.154,参照したテクストが違うため相違点あり)ということになり、高誘の解釈を斥ける。
 つづけて金谷氏は、「馮翼」の解釈について「天地のもとになる何かがあってそのありさまの安定しない落ちつかない状態を示すものであろう」(同前)、と述べる。なお『楚辞』の屈原「天問」にも「馮翼惟像」という句がみえるのだが、それに対する集注(朱子)も、「氤氳浮動之貌」となっている(橋本循訳注『訳註 楚辞』岩波文庫1935:154参照)。
 ただし「馮馮翼翼」には、これとは別の義もある。
 たとえば胡樸安『中国訓詁学史』(臺灣商務印書館1939)が、『詩経』大雅巻阿篇に「有馮有翼」なる句がみえることについて、『經籍籑詁』を参照しつつ「傳云。道可馮依以爲輔翼。不如訓爲馮馮翼翼満盛之貌爲善也」(p.182)、と説く(文中の「傳」とは王引之の『經傳釋詞』のこと)。ここでは、巻阿篇で「馮」字が「輔翼」(たすける)という義で用いられていることを述べているのだが、「馮馮翼翼」を「満盛之貌」の義で解していることに注意したい。
 いま簡単にオンライン(在線)辞典で検索をかけると(『漢語大詞典』を出してくるのが面倒なので!)、「馮馮翼翼」はやはり多義的な熟語として扱われており、天文訓の用例は「渾沌貌;空濛貌」と解されている。
 ちなみに『經籍籑詁』は、『淮南子』の「馮馮翼翼洞洞灟灟」に対する註釈として(誰の注かは記さずに)「馮翼洞灟無形之貌」を挙げており(卷ニ十五「下平聲 十蒸」補遺)、その一方で巻阿篇の「有馮有翼」を「翼」字項で「翼助也」の義として引いている(卷一〇二「入聲 十三職」)。『經籍籑詁』を工具書として使う場合、こういう点が少々厄介である。

淮南子の思想 老荘的世界 (講談社学術文庫)

淮南子の思想 老荘的世界 (講談社学術文庫)

*1:高誘による註釈書は『淮南鴻烈解』と呼ばれ、許慎による註釈書は『淮南輭瑶詁』と呼ばれた。四部叢刊初編に入った北宋鈔本の『淮南子』は善本として名高いが、全ての巻を許慎の註釈と見なしている。しかるに島田翰は、全二十一篇のうち、繆称、斉俗、道応、詮言、兵略、人間、泰族、要略の八篇が許慎注、それ以外は高誘注と断じており、これが定説となっているようだ。ただし『四庫全書總目提要』は、全てを高誘注として処理している(巻一百十七 子部二十七、雜家類一)。正確にいうと『提要』は、正史の經籍志類が「許氏高氏二註並列」と見做していることにも言及するが、それらの解釈を斥け、「愼註散佚」(愼=許慎)と述べ、「傳刻者誤以誘註題愼名也」(誘=高誘)と明言している(私蔵本、王雲五主編『合印四庫全書總目提要及四庫未收書目禁燬書目 三』商務印書館版、を参照)。ちなみに『淮南子』という書名は、『隋書』經籍志の記述に始まるものである。