吉川英治『鳴門秘帖』

 吉川英治が亡くなって、ことしで五十年になるという。吉川英明『父 吉川英治』(講談社文庫)が6月に新装復刊されてはじめて知った。
 吉川といえば、『宮本武蔵』や『新書太閤記』、『新・平家物語』、『私本太平記』、『三国志』などの大長篇小説をはじめ、数十年かけても読みつくせないほどの厖大な作品群が残されているものの、わたしは数えるほどしか読んだことがなかった(中学時代、わたしのクラスで「吉川版三国志」がちょっとブームになった。その頃いくらか読んだのである)。
 この夏、H先生が蔵書を整理されるというので、吉川や司馬遼太郎新田次郎(新田はことし生誕百年をむかえた)の文庫をたくさん下さった。そのなかに、吉川の出世作鳴門秘帖(一)(二)(三)』(講談社吉川英治文庫1975)もあったから、こないだ読みはじめ、いま第二巻まで読みおえたところ。やはり、めっぽう面白い!
 先月末のことであったか、某所で、この作品から「同字異訓」の例として、

やはり根は廓者(さともの)ではあったけれど…
お綱を廓(なか)へ売ろうとした。
お綱はふと廓(くるわ)の灯を仰いで、この中にも、…(『鳴門秘帖 二』pp.34-35)

を引いてきたついでに、作品自体も紹介したのだが、その場にいた人たちは、「ヨシカワ? 誰それ」といったふうで、まったくピンときていないらしかった。そこで、「ほらあの『宮本武蔵』の、『三国志』の…」、と云ってはみたが、ますます困惑させてしまった様子。
 しかし吉川作品が一世を風靡した時代には、この「枕のように厚い『鳴門秘帖』は争って読まれ、虚無僧姿の弦之丞は銀幕のヒーローとなった」(第一巻のあらすじ紹介)というし、少年たちの口からは『神州天馬侠』の書名が飛び出すし(篠田正浩『少年時代』1990)*1徳川夢声が『宮本武蔵』の全巻朗読に挑んだことさえあったのである。
 いまでは、残念ながら若年層にはあまり読まれなくなったのかもしれないが、いわゆる「読み巧者」はいつの時代にもいるもので、近年ではたとえば北上次郎目黒考二)氏が、

 天堂一角が最初は思わせぶりに登場するのに途中で退場し、悪の主役がお十夜孫兵衛に変更するのが構成上の唯一の疵ではあるものの、プロットの展開、背景の構想力、膨大な登場人物をあやつる作者の筆力、どれも群を抜いている。盛り込みすぎの感はあるが、それを見事にまとめているところに吉川英治の非凡な才能がある。
(『冒険小説論―近代ヒーロー像100年の変遷』双葉文庫2008←早川書房1993:447)

と書いている。ただし北上氏によると、『鳴門秘帖』は伝奇小説のオリジナリティにとぼしいといい、「物語の構築力、プロットの展開なら国枝史郎のほうが上位との印象は否めない」とも述べる。もっとも吉川作品は国枝作品とは違って、「人間描写の巧みさ」に重点がおかれている点に特徴があるのだそうだ*2
 それから小谷野敦氏は、

吉川英治の文章がいいのである。変幻自在で、ちょっと今こういう文章を書く作家は見当たらないくらいである。何といっても、大詰め、阿波へ渡るあたりが圧巻である。(『小谷野敦のカスタマーレビュー 2002〜2012』アルファベータ2012:178)

と評している。
 ほかに印象的なのは向井敏の文章で、『鳴門秘帖』を読んだ当時*3の昂奮を、『吉川英治全集』(全五十三巻、講談社)第三巻『鳴門秘帖』の巻末エセーで書いている。
 わたしは、これを直接読んだことはないのだが、すこし手をくわえたものが『贅沢な読書―何を選ぶか』(講談社現代新書1983)に収められているので、そこから引いておく。

 ちょうど太平洋戦争の末期、私などはまだ幼い中学生だった。戦時動員である車両製造工場に駆り出され、モミジのようなかわいい手でトロッコを押すのを手伝わされたりしていたのだが、その工場の一角にだだっぴろい空地があって、錆びた鉄材が野積みされていた。その一隅が私の読書の指定席。昼休みになるのを待ちかねて指定席に駆けつけ、鉄材にもたれて分厚い『鳴門秘帖』のページをひらく。(略)
 それから小一時間、いや、そのころは『鳴門秘帖』の影響をもろに受けて小半刻などと気取って言ったものだが、法月弦之丞や用賀世阿弥、見返りお綱や目明しの万吉らの運命に胸を騒がせる。ところが、あわやというところできまって始業のベルが鳴る。あと二分、あと一分、中腰になって活字を追いつづけたあげく、万斛のうらみをのんで読みさしのページに栞をはさむ。その瞬間、つよく鼻をうつ錆びた鉄の匂い。(p.41)

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 講談社の専属のように見なされていた新進作家の吉川が、「大阪毎日新聞」夕刊に『鳴門秘帖』を連載することになったのは、当時の社会部長・阿部眞之助*4の肝いりによる。といっても、松本昭「『鳴門秘帖』茶話」(文庫版第三巻に収める)や大村彦次郎『時代小説盛衰史』(筑摩書房2005:126-31)によれば、阿部ははじめ白井喬二に連載の依頼をする積りで、『サンデー毎日』の編集長・石割松太郎にかけあったが果せず、やむなく学芸部長の千葉亀雄にはかって有望な作家を講談社から聞きつけ、不見転で吉川に依頼したのだという*5
 それは大正十五年、吉川が作家活動をはじめてからまだ三年めのことである。もちろんかなりの重圧があったようで、吉川もいったんは辞退したそうだが、知友の伊上凡骨(彫刻家・木版画家で、吉川の『馬に狐を乗せ物語』のモデル)が「阿波のことを書けよ、あそこは面白いや」と云ったのに力を得て、「おっかなびっくり」引きうけたという。とはいえ、まったくの暗中摸索の状態からはじめたわけではなく、司馬江漢『春波楼筆記』中にみえる、蜂須賀重喜に関する百字ほどの記述が吉川の念頭にあり、それをヒントに構想をふくらませたという。
 そのことに関しては、磯貝勝太郎歴史小説の種本』(日本古書通信社1976)が豆本ながらくわしく述べている。それによると、重喜が幕員の著作では暗君とされているにも拘らず、江漢は名君であるように書いており(もっともそれは漠然とした記述にすぎないが)、不審の念を抱いた吉川は、「『蜂須賀家系譜』『寛政重修諸家譜』『蜂須賀家記』などにより重喜の素質を調べ」、さらに「『藩祖録』をたどり、阿波の藩風、士風などを調べると、島原の乱前後の残党が多く阿波に隠れこんだ事実やその後の密貿易のことから、財力、武力などが分明した。そこで、現地踏査*6により口碑の類まで調べ上げた結果、皇道主義の公卿が豊臣以来の反幕思想をもつ蜂須賀家と結んで、幕府はこれに隠密対策を採るという三角対峙のテーマを着想した」(pp.33-34)、という。〔磯貝氏も、『鳴門秘帖』を「読む者の手に汗を握らせしめる波瀾重畳、構想雄大をきわめた作品」(p.36)だと絶讃している*7。〕
 なお江漢の文章は、有朋堂文庫の『名家随筆 下巻』や吉川弘文館の『日本随筆大成』(旧版にも新版にも入っている)で読むことができ、吉川はどうも前者を参照したようである。

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 小谷野氏は、前掲書で1977年放送(NHK)の田村正和主演の『鳴門秘帖』を「楽しく観た」が「ちょっと配役に難がある」、と書いている。わたしはこのドラマは未見だけれど、手許にいま、衣笠貞之助によるセルフリメイク版『鳴門秘帖』(1957大映)のDVDがある。主演は長谷川一夫(DVDのパッケージに「法月弦之」、とあるのが悲しい)、原作にない戌亥竜太郎(弦之丞のライバル?)役に扮するのが市川雷蔵(!)、見返りお綱が淡島千景(!!)、お米が山本富士子、阿波侯重喜が中村伸郎甲賀世阿弥が石黒達也、ほかに清水将夫滝沢修、杉山昌三九、信欣三などが出演しており、まさにオールスターキャストといった状況を呈しているが、果して内容はどうだろうか。年内には観ておきたいものだ。
 ちなみに松本昭「『鳴門秘帖』茶話」に見える話だが、悪役・旅川周馬のモデルは直木三十五であるという。小谷野前掲によれば、NHKのドラマ版の周馬は角野卓造が演じたとの由。

鳴門秘帖(一) (吉川英治歴史時代文庫)

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小谷野敦のカスタマーレビュー2002‐2012

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贅沢な読書―何を選ぶか (講談社現代新書 (689))

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時代小説盛衰史

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鳴門秘帖 FYK-164-ON [DVD]

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*1:原作の柏原兵三『長い道』は中公文庫版で読んだが、それが出て来たかどうかまではおぼえていない。確認しようとしたが、所在がわからない。藤子不二雄Aのマンガは未読。

*2:北上氏は、吉川のオリジナリティあふれる伝奇小説は『貝殻一平』だ、とつけくわえている。

*3:子供の間で人気があったのは「少年倶楽部」に連載された『神州天馬侠』で、『鳴門秘帖』はもっぱら大人たちの間で読まれたというから(松本昭「『鳴門秘帖』茶話」)、以下の記述で向井少年はかなり早熟だったことがうかがい知れる。ちなみに戸川幸夫は、旧制中学時代に「『怪獣派』(『暴れ大怪獣』という作者未詳の小説―引用者)と『天馬侠派』とに分れて、どっちが面白いかということで言い争ったりしたものだった」、と回想している(『神州天馬侠 二』吉川英治歴史時代文庫1989所収「吉川先生と私」)。

*4:阿部と吉川との交友は長くつづいたらしく、たとえば『恐妻一代男』(文藝春秋新社1955)の「平凡な野良犬の一生」で阿部は、吉川英治菊池寛と並べて「棋友」として紹介している。

*5:しかも当時、学芸部長だった薄田泣菫が病臥していた偶然も重なって、社会部長の阿部が連載小説のことにまで容喙できた、という裏の事情もあったらしい。

*6:吉川が徳島へ調査旅行した折に、古本屋荒らしだと誤解されたというエピソードが、松本前掲に見える。

*7:また磯貝氏は、重喜を再評価した作品として、海音寺潮五郎の史伝「阿波騒動」(『列藩騒動録』)も紹介している。ただし海音寺作品は、『阿淡夢物語』や『泡夢物語』など小説の類を粉本としたそうである。