「てんせつ」はどこへ?

 「綴」字に「セツ」という慣用音を認める字書類は、最近は(大型辞書を除いて)殆ど無いのではないか――。東儀弘先生校閲『國語單語集』(鐵道文庫1940)を眺めていて、ふと、おもった。
 同書には次の如くある。

〔點綴〕(てんてい・てんせつ)點を打つたやうにつづりあはせること。(p.162)

 「凡例」によれば、「解釋には、新村博士の「辭苑」を参考とし、口語體を用ひて、簡明平易を旨とし、更に現代的意義や類語をも附加して」云々、とあるから、あるいは、『辭苑』の読みや語釈によったものであろうか。
 そこで、同じ新村出による『言苑〔戦後第三版〕』(博友社1951)を見てみると、たしかに「てんてい」「てんせつ」とも見出し語に立てており、「てんせつ」の項に、「(正しくは「てんてい」)點を打ったやうにあちこちを綴り合はすこと」、とある*1
 また、大正年間から昭和初年度にかけて増補された漢和辞典榮田猛猪ほか編『大字典〔普及版〕』(講談社1965)は、「綴」字に「テイ、セイ(漢音)」「テ、セ(呉音)」「テツ、セツ、テチ、セチ」のほか「〔慣〕セツ」音を認める*2
 それから、松下禎二『文字ノいろいろ』(裳華房書店1920)には、「字音ノ正誤」という章があって、「點綴」も出て来る。そこでは、「てんせつ」を「誤音(又ハ慣用音)」と解し、「てんてい」を「正音」と見なしている。
 ところが最近の(というより現行の)小型の漢和辞典や国語辞典は、「綴」の字音「セツ」を載せず、「点綴てんせつ」という読みを採録していない(採録したものもあるのかもしれないが、まだ見つけていない)。
 たとえば、小川環樹ほか編『角川新字源』(角川書店1977第110版)で「綴」字を引いてみると、「テイ」と「テツ」と、ふたつの字音しか見えない。戸川芳郎ほか編『漢辞海【第二版】』(三省堂2008第7刷)も同断、「セツ」は出てこない。
 つづいて国語辞典。北原保雄編『明鏡国語辞典〔第二版〕』(大修館書店2009)を引くと、「てんてい」「てんてつ」は見出し語にあるが、「てんせつ」はなし。ちなみに「てんてつ」の項には以下の如くある。「「てんてい(点綴)」の慣用読み」。
 岩淵悦太郎ほか編『岩波国語辞典(第七版)』(岩波書店2009)もおなじ。「てんてい」「てんてつ」しか見出し語にない。そして「てんてつ」の項には、「「てんてい」の俗な読み方」とある。『明鏡』と同じように、読みについての注記のみを記した「空見出し」である。
 山田忠雄ほか編『新明解国語辞典(第七版)』(三省堂2012)も「てんてい」「てんてつ」のみ見出し語に立て、「てんせつ」は無し。「てんてつ」の項はやはり空見出しで、「「てんてい」の変化」、とある(第三版も見たが、全く同じであった)。
 久松潜一ほか監修『新版 国語辞典』(講談社学術文庫1984はやや特殊で、「てんてい」の方を空見出しとして、語釈を「てんてつ」の項に示す。「《「てんてい」の慣用読み》つづり合わせること。取り合わせること」、とある。しかし、やはり他の辞書と同様、「てんせつ」は見出しに立てない。
 まだ手許にある辞書類をざっと見ただけではあるが、時代が下るに従って「点綴てんせつ」の勢力が次第に衰え、それといれかわるように「点綴てんてつ」が擡頭してきたようなのである。
 もっとも、「綴」=「テツ」音は、他の熟字の音としては、古来ひろく使われていたのかも知れない。たとえば内海以直『新編熟語字典』(又間精華堂1903)を見ると、「点綴」はないけれども「綴輯テツシウ*3」を採録、「ツヾリアツメルコト」という語釈を附している(p.268)。
 さて「点綴」を「てんせつ」と読むのは、おそらくは「啜(セツ)」等からの類推であり、「慣用音」と言わざるを得ないが*4、「てんてつ」と読むのが、なぜ「慣用音」「俗な読み方」であるのか。『大字典』は「セツ」のみ慣用音と判断していたのではなかったか。
 この問題については、前掲『文字ノいろいろ』が参考になる。先ほどは引かなかったが、実は「點綴」の項に、注記が附されている。次のようである。

綴ハ漢音てい又せいニシテ呉音て又せナリつづるト訓ス漢ニせつ又てつノ音アルモ拘ぐ又止むト訓スル場合ニ用フルニ過ギズ(p.340)

 やや怪しい記述もあるが、いま問題となっている点についてだけ述べると、つまりはこういうことである。
 「綴」字を「拘ぐ又止むト訓スル場合」には字音「てつ」を用いるべきだが、「つづる」の義のばあいは字音「てい」を用いるべきである――。だからこそ、「つづる」義で用いられる「点綴」を「てんてつ」と読むと、「慣用音」と見なされてしまうのである。
 これは現在の漢和辞典も同じで、さきに挙げた『新字源』によれば、「綴」=「テイ」音は、「つづる」「つくろう」「とじる」「あつめる」等の義に対応し、「綴」=「テツ」音は、「とめる」「とどめる」義に対応し、こちらは「輟」字に通ずる、ということになる。
 だが、これらの説も、『廣韻』や『康煕字典』等の記述を下敷きにしたもので、元来はそういう区別がなかったのではないか、と考える。
 たとえば、許慎『説文解字』(西暦100年頃成立)を見てみよう。この巻十四下*5に、「叕」と「綴」とが挙がっていて、前者の項には「綴聯也象形」云々という語釈、および「陟劣切」なる反切が附されている。この反切が、「テツ」という音を示している*6。これによるならば、「綴」字もまた、「テツ」という音でもって、「つづる」「あつめる」の義をあらわしてもよいはずだ*7

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 上記とはあまり関係のない話だが、兪樾『古書疑義舉例』巻七に、「患至叕也」(周易)の「叕」字が後世において「掇」「惙」等と改変せられたため(すなわち偏が加わったため)異なる解釈を生んでしまった、という例が紹介されている。ここにも、『説文』の記述が引かれている。
 もしも、これが「叕」→「綴」という「加偏」であったのならば、解釈が異なることはなかったはずである。

*1:なお「てんてい」の項には、「點を打ったやうにあちこちをつづりあはせること。てんせつ」とあり、こちらの語釈のほうが、『國語單語集』のそれに近い。

*2:ただし、「點綴」には「テンテイ」という読みしか認めていない。

*3:「シウ」は「シフ」でなければならないところだが、入声をここでは区別していない。「食邑イフ」(p.343)等、区別されている語もあるのだが。

*4:「綴」字は全清知母(舌上音)字であって、語頭がs音になることは考えにくい。ただし、同じ知母字でも、たとえば「箚(サツ<サフ)」のように、語頭がs音になるものがある(『新字源』は「サツ」を慣用音とするが、『漢辞海』はこれを漢音に編入している。後者の処理のほうが適切であろう)。これは、「箚」が三等所属字であるためと考えられ、『訓蒙字会』に見える朝鮮漢字音などにも、三等所属の知母字が破擦音化(つまり、正確ではないが、ts-という様な音。呼気を伴う場合もある)した例があるという(ちなみに「綴」は二等字)。

*5:中華書局2009年刊重版のいわゆる「大徐本」を参照した。

*6:反切で字音を示す方法は、許慎の時代にはなく、のちに宋代の徐鉉が、孫愐『唐韻』(佚書)に拠って附したのである。ついでに言うなら、各巻を上下に分ったのもまた徐鉉である。

*7:『説文』には、「合箸也从叕从糸 陟衞切」とあり、ここには「テイ」音しか示されない。しかし、「綴」が「叕に从ふ」字であり、「叕」=「綴聯也」という記述が見える以上、「綴テツ」が、「つづる」「あつめる」義であって何ら問題はないはず。なお、「綴」と「叕」との関係は、「燃」と「然」との関係、「樽」と「尊」との関係、つまり「後起字」―「初文」という関係に通ずるようでもある。