先日、Sで富士崎放江『褻語(せつご)』(有光書房1958)函1000円を求めた。編者は斎藤昌三。跋文も斎藤が書いている。
この書はもと私家版として大正十三(1924)年に出ており、「八十九章を収めた小話集であつたが発禁の厄に遇つた」(斎藤昌三「跋」p.203)。
という訣で、元本は稀覯書となっている。
有光書房版はさほど珍しくなく、古本市などでしばしばお目にかかる。OMMや下鴨でも見かけた。函缺200円もどこかの市で見かけたが、あれは古書会館の市だったか。
下鴨ではたしか500円均棚に出ており、買おうかどうしようか迷っていると、目の前でH先生が買って行かれた*1。
今回は久しぶり(約4年ぶり)で見かけたので、1000円であったが、美本だったこともあり、あまり迷わずに購入した。
これを馴染みの喫茶店で読み進めていたところ(人前で堂々と読む本ではないかもしれないが…)、気になる記述が多々あった。そのうち幾つか挙げてみる。
まず「也は女性」(p.27)。平賀鳩渓『痿陰隠逸伝』に、「也」字を女陰の義で用いたところが多数ある由。鳩渓、すなわち源内である。
阿辻哲次『タブーの漢字学』(講談社学術文庫2013,もと講談社現代新書)は、「『也』を『女陰』という意味で、文章の中で実際に使っている例はまったく残っていない」(p.77)、「『女陰』という意味を表すために『也』を使った例は実際には存在しない」(p.78)と書いたうえで、『日本霊異記』下巻第十八に、「門構えに也」字をかかる意味で使った例があることに言及しているが、すくなくとも江戸期の書物のなかに、「也」を単独で「女陰」の義に用いたものがあるという事実は面白い。
実は、阿辻先生も書かれているのだが、『説文解字』巻十二には、「女陰也象形」とある。従って源内の使用例は、説文学の浸透に因るものでもあろうか。
次に、「呂の字」(p.62)。短いので全文を引く。
『玄池説林』という支那の本に「狐の相媚るや必ず先づ呂す」とある。狐は淫獣で、交尾期が来ると頗る性慾放肆の態を為すといわれている。「呂す」は即ち口と口を接する義で、接吻のことである。外国からキツスという語が渡来した時、かかる簡単で、しかも要領を得ている一字名があるのに、ことさらにむつかしい接吻などという文字を選んだ当時の漢学者の気が知れぬと、世界的博識家紀州の南方熊楠先生が話された。ただし呂という字は『康煕字典』にないが、音はクであろうと附言されたが、『字源』にはリヨ・ロとある。
「呂」などというありふれた字が『康煕字典』にない筈はない。念のため確認してみると、「丑集上 口部」四畫のところに出ている。熊楠ほどの人物がそれに気づかなかったというのは、どうにも解しがたい。
そも『玄池説林』は、抜書としてではあるが、『説郛』巻第三十一に収めてある。逸書とおぼしく、熊楠もこの「説郛本」を見たのであろう。早稲田大図書館蔵書の当該箇所を確認すると、「狐之相媚也必先呂」とあり、「以口相接」なる割注も見える。
これによれば、『玄池説林』中の「呂」字というのは、正確には、「口」を上下に重ねた形と知れる。確かに、「呂」字が「口」を上下に重ねた形で書かれることは珍しくなく、いやむしろ、活字でも手書き字でも当り前のようによくあることで、偶々手許にある『大廣益會玉篇』(澤存堂本、叢書「古代字書輯刊」に収める)をひもとくと、「呂」字は「呂」部にあり*2、「口」を上下に重ねた形で出ているし、江守賢治『解説字体辞典【普及版】』(三省堂1998)は、「口」を上下に重ねた形を「伝統的な楷書の形」とし、「呂」を「康煕字典の字体」(p.640)とする*3。
したがって、『玄池説林』中の字を、放江が「呂」だと「誤認」したのは已むをえないことである。
しかし、熊楠はそれとは別の字を想定していたのではないか。「音はクであろう」と述べた根拠が分らない*4が、『玄池説林』中の字は、態々「以口相接」という割注を附する以上、これは戯字であると考えられ、「呂」とは区別されるべきではないか*5。
また「結婚当夜の燭」(p.145)は、「俗に、小糠三合持つたら婿になるなと戒めてある。その婿養子の起源は、鎌倉時代からのようである」と述べたうえで、『江家次第』巻之二十から「聟公来(中略)入自中門、登自寝殿腋階沓取人下階執沓、件沓舅姑相共懐臥之、云々」という記述を引き、「これは婿の足を止めるおまじないであろう」と解する。
さてこの俗諺、最近どこかで見た気がしていたが、おもい出した。小谷野敦『ムコシュウト問題―現代の結婚論』(弘文堂2013)であった。次のようである。
「小糠三合持ったら婿養子に行くな」という言葉がある。「小糠三合」というのは、わずかなものだが、その程度でも財産があったら、婿養子になるなという意味で、それだけ婿養子になるには苦労がつきまとうという意味である。(p.11)
小谷野先生のこの近著も、あいかわらず教えられるところが多い。いま読んでいる、第二章「文学と歴史の中のムコシュウト 日本編」は、神話世界のスサノオと大国主命との「ムコシュウト問題」に始まり、小谷野先生らしく角界の話で結ばれる。
所で俗諺の「小糠三合〜」には、様々なヴァリエイションが存在するようで、藤井乙男『諺語大辭典 全』(有朋堂書店1910)を引くと、次のごとくある。
【粉糠三合モツタラ入婿ニナルナ】粉糠三合アツタラ養子ニ行クナともいふ。〔卯月の紅葉〕粉糠三合あるならば入聟すなといふことは、我身の上のたとへとかや。〔鷹筑波〕我名はまだき立てる入聟、戀すてふ小糠三合やもたざらん。
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放江のことは、「いもづる」同人としての姿がメインだが、山口昌男『内田魯庵山脈(下)―〈失われた日本人〉発掘』(岩波現代文庫2010)も言及している。pp.36-39に略年譜あり。
山口氏によると、放江は、斎藤昌三『少雨荘交友録』のなかで「田舎魯庵と云つたタイプ」と評されているらしい(p.40)。
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ついでながら。『内田魯庵山脈』は、「『本屋風情』遺聞」という章も収める。岡茂雄『本屋風情』については、前の記事で少し引用した。

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