読書の愉しみ

 遅れ馳せながら、本年も宜しくお願い申し上げます。

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 併行して幾冊かの本を読み進めていると、ある特定の物事について知るためにそれぞれの本を手に取ったわけでもないのに、その別々の本で同じ事柄に逢著して驚くことがしばしばある。
 もっともそれは、わたし自身の読書傾向が偏っていることの証左であるやも知れないが、しかし、そのいわゆる「偶然の出あい」は、読書の醍醐味というか、何となく得をしたような気分を味わわせてくれる。
 たとえば、昨年の出来事から述べると、長谷川修一『旧約聖書の謎―隠されたメッセージ』(中公新書)第七章(pp.187-220)で「ヨナと大魚」のエピソードを読んだ直後に、たまたまアルベルト・マングェル/野中邦子訳『読書礼讃』(白水社)で「ヨナと鯨」(pp.322-34)に接し、それとほぼ同時に、菅野昭正編『書物の達人 丸谷才一』(集英社新書)の「はじめに 丸谷才一の小説を素描する」(菅野昭正)で、次のような発言を目にした。

 『エホバの顔を避けて』の構想の起源が、『旧約聖書』の「ヨナ書」にあることははっきりしています(「ヨナ書」の第一章‐三に「エホバの面(かほ)をさけて」という一節があります)。『旧約』には「小預言書」と分類されているものが十二篇ありますが、「ヨナ書」は、そのなかでも創作物語の性質を最も濃厚に示している一篇です。長篇小説を書こうとしていた丸谷さんは、古代アッシリアを舞台にする難しさを承知しながら、この一書は十分に活用できると踏んだのでしょうが、それは優れた着眼でした。
 『旧約』のヨナは預言者として(『旧約』の時代、預言者とは未来を予言する者である以上に、神の言葉を預かる使命を帯びた者でした)、頽廃した町ニネベへ赴き「これを呼(よば)はり責めよ」と、神エホバに命じられます。ヨナはこの困難な使命を逃れようとして船に乗ったものの、エホバの怒りのせいで船は難航、ヨナは船を救うため海に投げこまれ、巨大な魚(たぶん鯨でしょう)の腹のなかで、三昼夜を過ごします。その腹中でエホバに祈りを捧げた結果、陸上に吐きだされてニネベの町へ行き、住民たちが頽廃の生活を悔いあらためなければ、四十日後に町は滅亡するであろうと伝えます。それに従って、ニネベの王や大臣をはじめ人々が節倹に励んだところ、町は災厄を逃れることになる……。(pp.15-16)

 さらにはその数日後、アントニイ・バークリー/狩野一郎訳『ジャンピング・ジェニィ』(創元推理文庫)を読んでいると、「ヨナが鯨に飲みこまれる以前のニネヴェの住人にふさわしい小道具を整えながら……」(p.41)なる一節が目に飛び込んでくる、というおまけつきだった。
 また、最近ではこういうことがあった。
 まず鈴木健一『古典注釈入門―歴史と技法』(岩波現代全書)の「序章」で鈴木氏が、芭蕉の句「蛸壺(たこつぼ)やはかなき夢を夏の月」を「明石夜泊」という前書(実はこのとき、芭蕉は明石に泊まっておらず、須磨に泊まっていた)とともに紹介されていた(pp.4-7)。
 その数日後、出久根達郎『本と暮らせば』(草思社)所収の「駅前の宿」を読んでいて、「書物エッセイのアンソロジーを編むとしたら、是非収めたい一編がある。/中谷宇吉郎の、「 I 駅の一夜」である」(p.15)云々、という記述に触発され、さっそく樋口敬二編『中谷宇吉郎随筆集』(岩波文庫)を再読していると(この本にも「 I 駅の一夜」が収められているのである。pp.154-61)、「日本のこころ」なる随筆中に、「『蛸壺やはかなき夢を夏の月』の句を英訳することが、ほとんど不可能であるのと同じくらいに、困難な仕事である」(p.127)とあるのに行きあたった。
 さらに数日後、出たばかりの丸谷才一『腹を抱へる―丸谷才一エッセイ傑作選1』(文春文庫)を新幹線のなかで前から順に読んでいたところ、「蛸と器」というタイトルのエッセイが登場し、これがまた、芭蕉の「蛸壺や…」の句から説き起こしてハリー・パッカード(米国人蒐集家)の著作を紹介する、といった内容なのであった。元々これが収められていた『軽いつづら』は未読なので、このエッセイ自体、わたしは知らなかったのである。
 ちなみに、丸谷氏はエッセイの冒頭でこう書いている。

 蛸壺やはかなき夢を夏の月

といふ芭蕉の句がある。詞書(ことばがき)は「明石(あかし)夜泊」。本当のことを言ふと、芭蕉は明石に泊らなかつたさうですが、そんなこと、どうでもいいぢやないか。
 この句、好きですね。夢も夏の月も蛸も、私の好物。殊に明石の蛸はうまいねえ。
 蛸壺といふのは素焼の壺で、普通は口径十センチから二十センチ、深さは二十センチから四十センチのもの。百メートルないし二百メートルの幹縄(みきなは)に、一メートルくらゐの枝縄を、五メートルおきにつけ、その枝縄のさきに壺を一つづつ結びつける。これを岩礁(がんしょう)近くの海底に入れ、二、三日後にたぐると、蛸がはいつてるんですね。
 彼らは穴にひそむたちだから、こんな手にひつかかるのである。不憫だなあ。(p.125)

 「不憫だなあ」と云いながら、しれっと「殊に明石の蛸はうまいねえ」と書くそのユーモア。
 うまいねえ。

旧約聖書の謎 - 隠されたメッセージ (中公新書)

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読書礼讃

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書物の達人 丸谷才一 (集英社新書)

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ジャンピング・ジェニイ (創元推理文庫)

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古典注釈入門――歴史と技法 (岩波現代全書)

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本と暮らせば

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中谷宇吉郎随筆集 (岩波文庫)

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