ことば諸々

来〇
 村上春樹ラオスにいったい何があるというんですか?―紀行文集』(文藝春秋2015)に、

この前『来熊』(らいゆうと読む。熊本の人々はなぜかこの言葉をよく使う。他県の人にはまず読めないだろうに)したのは1967年、僕はまだ十八歳で、高校を出たばかりだった。(p.212)

とあった。
 「来〇」(〇に来ること)は、熊本県民に限らず、地方に住む人々ならよく使う表現だろう。札幌へ行ったときには「来札」を何度か見かけたし、松山へ行ったときには「来媛(らいえん?)」というのを見かけた。
 これらの表現は、以前、「ことば会議室」でも話題となったことがある(「来沢、来広」「来沢、来広♯『来宰』」参照)。そちらには、「来松」(松山に来ること)というのも挙がっているが、過日の松山行では見かけなかった。
 実をいうと上記HPに、「田島照生」というHN(つまり本名ではない)で書きこんでいるのは、このわたしである。その際、「帰熊(きぐま)」という表現にも触れたが、本来は「きゆう」と読んだらしい。地元の人が「きぐま」と読んでいたのでそう書いたのだが、地元にずっと住んでいる人ならばほとんど使うことのないことばだろう。
 「来神」(神戸に来ること)、もあった。

顔馴染みの日本人の女秘書は、突然の来神に驚いたようだったが、…
獅子文六『バナナ』中央公論社〔普及版〕1961:79)

 「来名」(名古屋に来ること)も発見(2016.4.20追記)。

住田は十二日午後七時東京駅発名古屋着九時の新幹線特急で来名し、××大学指定のA旅館に投宿し、…
松本清張『喪失の儀礼新潮文庫改版2016*1:55)

喪失の儀礼 (新潮文庫)

喪失の儀礼 (新潮文庫)

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宇野哲人『明解漢和辞典』(三省堂
 以前ここで、宇野哲人版『明解漢和』について書いたが、花村太郎『知的トレーニングの技術〔完全独習版〕』(ちくま学芸文庫2015←JICC出版局1980)にこの『明解漢和』のことが出て来た。

 親字(単字)だけの「字」典はないかと探していて、戦前に三省堂ででた、宇野哲人『明解漢和辞典』というのが古本屋で手に入った。これはいまのハンディな漢和よりずっと小さくて軽く、ポケットに入れて図書館に持ちこむこともできる。収録字数も比較的多く、旧字体であるのもぼくにはありがたい。熟語の収録は最小限にかぎっている。
 もうひとつの特徴は、親字の配列が、部首別でなく、字音による五〇音順配列である点で、これはたいへん便利だ。というのも、漢字の八〇%は「形声文字」で、音符を見つければ字音はほとんど予想がつくからだ。たとえば「貔」なんていう字にでくわしても、音符の「比」から「ヒ」と読むんだなと見当がつくし、意符「豸」に注目すれば、猛獣の一種だろうという予想はつく。この漢和なら国語辞典と同様、ハ行の「ヒ」の項目をめくっていれば「比」の並びにでてくる。部首引きとくらべ音引きは、ワンタッチ分は確実に早い。これは戦後もしばらく出ていたから古本で手に入る確率は高い。(pp.82-83)

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わや
 「わや」は江戸期の文献にもみられることばだが、最近では、どこそこの方言、と捉えられることが多い。最近拾った例を示す。

ワヤ 乱雑、無茶、駄目。愛知、岐阜以西長崎まで、西日本一円に分布する方言 「どうじゃったかい。入社試験の方は?」「どこば受けてもさっぱりワヤばい。第一キミ、常識試験ちゅうとがどこの社でも非常識な問題ばかり、いい合わせたごと出すけんワヤたい」「そうかも知れん。原子力潜艦ば原始力戦艦て書いたり、カルテルばカクテルと取り違えたりジエット機(ママ)ば日本海海戦の時出した旗て説明する君のけん、何ば出しても大ていワヤじゃろ」「それでもシゴキと原宿族はくわしかけんウントコマカセ書いた」「よかったかい」「やっぱりワヤさ。あとで聞いた話じゃイッチつまらんことばば、イッチくわしゅう書くと減点げな」「それでも一社ぐらい通ったろ」「協和青党グループの一社だけ。受かったともたら、こんだ向こうの方がワヤになった」
(『長崎方言 ばってん帳―唐・南蛮・紅毛なまり―』長崎新聞社1974:239)

「色々と人知れず苦労があるのね」
「あぃ……、さっぱりワヤや」(花菱アチャコ)(萩山輝男『アチャコの子宝仁義』1956松竹京都)

「折角の毛皮が、わややないか」
隆慶一郎鬼麿斬人剣新潮文庫2008改版:331←1987新潮社)

鬼麿斬人剣 (新潮文庫)

鬼麿斬人剣 (新潮文庫)

*1:初版1978,単行本は1972年刊。