「フェスティーナ・レンティ」

 先日、尾崎俊介ホールデンの肖像―ペーパーバックからみるアメリカの読書文化』(新宿書房2014)を読み了えた。「本の本」が好きな向きや、書物そのものが好きな方にもおすすめしたい好著である。
 とりわけわたしの気に入ったのは、表題作「ホールデンの肖像―表紙絵に描かれた『ライ麦畑でつかまえて』」(pp.28-53)や、「アメリカを変えたブッククラブ―「ブック・オブ・ザ・マンス・クラブ」の過去・現在・未来」(pp.202-30)などであるが、巻頭の「「フェスティーナ・レンティ」ということ」(pp.10-13)を読みはじめたときに、あれっ、この「フェスティーナ・レンティ」は何かの本で目にしたぞ、という「既視感」があった。
 「フェスティーナ・レンティ」は「ゆっくり急げ」という意味で、尾崎氏のこの文章は、ペーパーバック叢書「アンカー・ブックス(Anchor Books)」のロゴが「イルカの巻き付いた錨」になっている、という話から始まる。そして、次のように述べる。

 錨は「引き留める力」の象徴、イルカは「先に進む力」の象徴であって、その謂わんとするところは「ゆっくり急げ」ということだったのである。ラテン語で言えば「フェスティーナ・レンティ」(Festina lente)。これは元来、為政者が性急なる施策を自ら戒めるための言葉として、ローマ皇帝アウグストゥスウェスパシアヌスに重んじられたものだそうだが、これがやがて「読書の極意」とも解釈されるようになり、そんなことから、かのルネサンスの人文学者エラスムスとも親しかった出版社アルドゥス・マヌティウスもこの言葉を座右の銘とするようになって、それで彼は「錨」と「イルカ」を組み合わせて図案化したものを、自分が出版する「アルダイン古典叢書」のロゴとして採用したのであった。そしてその伝統が連綿と受け継がれて、二十世紀半ばのアンカー・ブックスのロゴとして再登場したというわけなのである。(pp.12-13)

 ここまで読んでようやく、ああ、とおもい当たり、柳沼重剛『語学者の散歩道』(研究社出版1991)を披く。「フェスティーナ・レンティ」の話はたしかこの本で読んだのだった。
 しかし、いくら探してもその記述が見つからない。おかしいな、わたしの覚え違いだろうかとおもいながら、尾崎著をすっかり読み了えてしまったわけであるが、後日、本の整理をしているときに、柳沼重剛『語学者の散歩道』(岩波現代文庫2008)*1が出てきたので、何気なく読み返していたところ、まさに「Festina lente」(pp.41-48)という一文が目に飛びこんできたのであった。
 わたしの頼りなげな記憶は間違っていなかったわけだが、単行本と文庫版との相違を考えずにいたのは不覚であった。
 文庫版では、単行本に入っていた「田舎のねずみと町のねずみ」「クセノポンの『アナバシス』」「きわめて異色な本のこと」「役者・偽善者」「白鳥の歌」「はじめて暮らした英国で驚いたこと」「一万年後の東京大学あるいはポケット・ティッシュについて」の七篇が外され、そのかわりに、雑誌「図書」に掲載された「Festina lente」「書き言葉について」「カタカナ名前雑感」(収録にあたって「カタカナ語雑感」と改題)「名前について」の四篇が加えられている。
 その「Festina lente」についてみておくと、柳沼氏は、この表現がなぜギリシア語ではなくてラテン語で言い慣わされてきたのだろうか、ということを問題にする。スエトニウス『ローマ教皇伝』「アウグストゥス」の巻には、これが、 Speude bradeos*2(スプエウデ・ブラデオース)というギリシア語で出ていたからだ。
 その後しばらくして、ラテン語の受講者から、「Festina lente」の項がエラスムスの『アダギア』(第二巻一・一)に出ていることを教えられる。柳沼氏がレクラム文庫版の節略本で当該箇所を確認してみると、エラスムスはこの表現を称賛し、アウグストゥスウェスパシアヌスという二人の皇帝がこの表現を好んだと述べていたという。
 それから、

 印刷業者アルドゥス・マヌティウスがあるとき私にウェスパシアヌスの銀貨を見せてくれたのだが、とエラスムスはつづける。アルドゥスはこれを人文主義者のペトルス・ベンブス(ピエトロ・ベンボ)から贈られたのだそうで、この銀貨の片面にはウェスパシアヌスの肖像と VESPASIANUS という文字が、裏の面には、縁(へり)に円環、その中に錨、その錨に海豚が巻きついて帆柱のごとくに立っている図柄が刻まれている。この図柄はまさに、アウグストゥスの Speude bradeos ということばと同じ意味を表している。(略)そして今や、「錨に海豚」は、全世界の友なる印刷業者の紋章になっている、と結んでいる。(p.44-45)

 今回検索して知ったのだが、この話題については福岡大の浦上雅司氏も書かれている*3。柳沼氏は触れていなかったが、「錨に海豚」の図案は、なんとヒエログリフの時代から存在したという。
 さて話を戻すと、柳沼氏は、のちに鋳造されたアルドゥスの肖像入りのメダリオンを見て驚く。その裏面の縁に、 Speude bradeos がギリシア文字で刻まれていたというのである。そして、次のように結論する。

 ひょっとしたらアルドゥスは、ウェスパシアヌスの銀貨の錨と海豚についてエラスムスから説明を聞いて、感動して自分の紋章にしたのかもしれない。そして「ゆっくり急げ」という文句そのものも、アウグストゥス以来ずっとギリシア語で伝えられてきて、それをエラスムスが『アダギア』で、これは Festina lente ということだと説明したのが、このラテン語の発端だったのかもしれないと思える。(p.45)

 ともあれ、わたしの「既視感」は解決されたわけで、これでようやくすっきりした。こういうこともあるから、単行本と文庫本とを重複して持っていても、うっかり手放せないのである。

語学者の散歩道 (岩波現代文庫)

語学者の散歩道 (岩波現代文庫)

*1:柳沼氏は、この文庫版が刊行された翌月の7月に永眠された。

*2:「o」はマクロン付きの「o」。以下同。

*3:柳沼重剛編『ギリシア・ローマ名言集』(岩波文庫)がこの表現を取り上げていることにも言及されている。