門井慶喜の作品中の人物たちは、しばしば「舌を出す」。
…隆彦が二度うなずくと、志織はちょっと舌を出し、…
(「図書館ではお静かに」『おさがしの本は』光文社文庫2011:50)
「それ以前に就職ですね。私の場合」
郁太は舌を出した。(『小説あります』光文社文庫2014:303)
「言い忘れてた」敬典は舌を出した。(同上:75)
三郎は舌を出し、こめかみを掻いた。(『この世にひとつの本』創元推理文庫2015:12)
幽嶺はちらりと舌を出した。(同上:290)
それこそ、清張が「唇の 厚い/うすい 男/女」を作中のそこここに登場させたほどの頻度で出て来るのだが、大の大人が、実際に「舌を出してみせる」というのは、人前ではほとんどしない行為であるだろう。誤解をおそれずに言えば、これは戯画的な表現であるとさえいえる。してみれば、これらは作者が意図的に鏤めた描写なのかもしれない。しかも門井作品では、「舌」が重要な器官となる場合が多い。美術探偵シリーズの主人公・神永美有(みゆう)は「舌」で美術作品の真贋を見分けるという設定だし、『こちら警視庁美術犯罪捜査班』(光文社文庫2016)には「仏像をなめる」という一篇があって、「なめるとしょっぱい味がする仏像」が出て来る。
門井作品にはこの他にも、「舌打ちをする」「こめかみを掻く」「目をしばたたく」など、クリシエといっても過言ではない表現が、現代小説・時代小説を問わず頻出するのだが、それらもやはり、作者がそのつど故意に用いているように思える。
また、門井作品を読んでいて面白く思うのが、丸括弧の使い方である。
もっとも豪気にすれば、これは、
(したくてしたくて、たまらなかった)
行為でもある。(「てのひらのロダン」『こちら警視庁美術犯罪捜査班』:62)
しかしこんな遠大な理想は、この場にはあまりにも、
(ふさわしくない)
ということも、俊輔は冷静に判断していた。(『シュンスケ!』角川文庫2016:320)
いま家康の命を受ければ、その先にあるのは、あきらかに、
(この世の誰もが、まだ見ぬ風景)
それを見たい、という以外になかった。(『家康、江戸を建てる』祥伝社2016:116)
門井作品の、(特に)時代小説について、改行の仕方などに司馬遼太郎作品からの影響がうかがえる、と評した人もあったが、私は、少なくとも上記のような丸括弧の用法についていえば、池波正太郎作品に影響を受けたものと考える。
こころみに池波の『真田太平記』のうちの一冊を披いてみると、
…角兵衛は子供心に、
(自分は、御方さまから、たよりにされている……)
ことを直感したのである。(『真田太平記 第二巻 秘密』新潮文庫2005改版:145)
しかし、そのつぎに、源二郎信繁がいい出た言葉は佐平次にとって、
(おもいもおよばぬこと……)
であった。(同上p.319)
…佐平次などの想像をこえた親族の成り立ちがあることを、
(おれは知った……)
のであった。(同上p.327)
などと、類似の表現が見つかる。これらはいわば、「括弧によって文法的な破格や不整合な表現さえ可能にさせる例」で、かつて藤田保幸氏が、池波の『剣客商売』を例にとりながら言及したものである*2。藤田氏は、池波作品の、
三浦金太郎は「助勢はしない」といったそうだが、しかし、村垣が念のために別手の刺客をさし向けることも考えられる。
(そのような卑怯なまねをするのだったら、わしが出てもよい)
のであった。(池波正太郎『剣客商売』)
という例などを引き、「こうしたカギカッコの使用は、統語的には無理な表現を、当該部分が実はどこかにあった誰かのコトバを引いたものだという情報を付加することで強引に読ませるものである」、と述べている。
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門井作品は、まだ全部読んだわけではないが、とりわけ私の気に入っているのは、ブッキッシュな興味をかきたててやまない*3『おさがしの本は』である。「日常の謎」系の作品だが、主人公はやがて図書館の存廃をかけて行政機関と対峙することになる。
その連作小説の一篇、「図書館滅ぶべし」は、外来語や喃語が絡んで来る、という内容の作品である。
主人公・和久山隆彦の思考が別な方向へと逸れて行ってしまうのを、読者はハラハラしながら見守るわけだが、伏線もあることだし、会話の内容からも、大体「答え」は見えてくる。
作品中には、外来語・喃語関係では、実在する三冊の本が登場する。一冊めは吉沢典男・石綿敏雄『外来語の語源』(角川書店1979)、二冊めは斎藤静『日本語に及ぼしたオランダ語の影響』(東北学院大学1967)、三冊めは桐谷滋編『ことばの獲得』(ミネルヴァ書房1999)。
『外来語の語源』は「角川小辞典」シリーズの一冊。二冊めはちょっと触れられるだけだが、三冊めは主に小島祥三「声からことばへ」が参照される。
欲をいえば、/N/ が両脣音の直前にくると音声的には[m]となることにも作中で触れて欲しかった、とは思うが、それは望蜀の嘆だろうか。
また、「謎」の根幹に関わる部分なので、やや「ネタばれ」めいてしまうが、次のようなくだりが有る。
「ひとつめは『餡』をアンと読むことについて。もちろん『餡』の字そのものは一世紀の漢字の渡来と同時期にわが国に存在したと見ていいんですが、ただし当初は、おそらくカンとかコンとかいうふうに読まれていました。アンはその後のわりあい新しい時期に日本に定着した、いわゆる唐音(とうおん)なんですね」
「唐音?」
「はい。胡乱(うろん)とか、行燈(あんどん)とかと同じ系統の読み。この種の音のなかには極端な場合、江戸時代に定着したものもあるため注意が必要なんですが、この場合はだいじょうぶです。私のこの箇条書きでいう2に該当する恐れはない。なぜなら『餡』の字は、近世以前にはもうアンと読まれていたことが『日葡(にっぽ)辞書』という資料により確実だからです。『日葡辞書』というのは」(「図書館滅ぶべし」pp.164-65)
まず「唐音」の読みは、明治以降「トウイン」又は「トウオン」となったのであって、近世までは、通例「タウイン」「トウイン」と読まれていた。湯沢質幸氏によると、「トウオン」の出現は、「ゴオン(呉音)」「カンオン(漢音)」の類推であるかという。
次に「江戸時代に定着したもの」というのは、「近世唐音」のことであって、唐音は大きくいって「中世唐音」「近世唐音」に分けられる。いずれも重層性を有するが、その特徴についてはここでは省略に従う。
文中に挙げられた「ウロン」「アンドン」は、大槻文彦の『言海』にそれぞれ「字ノ廣東音ナリト云」「字ノ宋音」との注釈がみえ、「カンパン(甲板)」や「トン(榻)」などに附された「字ノ唐音」との注(すなわち「唐音語」)とは区別されているかの如くである*4。ただし、「唐音語」という術語を無批判に使うことも問題があろう。詳しくは岡島昭浩氏の「唐音語存疑」を参照されたい。
「餡」は咸摂匣母開口二等字。匣母字は、中世唐音でアヤワカ行、淅江音系にもとづく近世唐音はアヤワ行で写されるが、全濁声母だから呉音系ではおおむねガ行音で写される(ex.「降ガウ」「護ゴ)。たとえば『支那文を讀む爲の漢字典』は、「餡」に「ガン」「カン」の両音を認める。
ただし、呉音系でもカ行及びワ行となる場合が有る。すこし細かくいうと、「開口韻母:g-(k-)、合口韻母:w-」と対応する。このことから、「母胎となった呉音系字音の原音(主層)では、〈匣母〉がɦ-とφ-/w-に分かれていた可能性が大き」いともいう(小倉肇『続・日本呉音の研究 第1部 研究篇』和泉書院2014:145)。ちなみに「餡」字は、潮州や福州、建瓯などの淅江音系では頭子音の匣母が弱化しており、主母音がむき出しになっている*5。厦門では、官話系の文言音はh-であるが、白話音はやはり頭子音を脱している(『漢語方音字匯』第二版2003:258)。
それから、「カン」「コン」という字音について*6。漢和辞典類では、唐音「アン」のほか、漢音に「カン(カム)」のみ認めて、ふつう「コン(コム)」という音を採録しない。
咸摂所属韻のうちでは、覃韻字の一部、厳韻字などが呉音系では「オ段+ン(ム)」で写される。覃韻字の「オ段+ン(ム)」形などは『切韻』よりやや前の状態を反映した和音の祖系音で、古音の状態を留めるものがあったことを示しているだろう、との見方も有る(沼本克明氏など)が、「餡」は陥韻(咸韻の相配去声)所属であって、「エ段+ン(ム)」と写されることはあっても*7、「オ段+ン(ム)」となるのはきわめてありにくいように思える。
「餡」の「コン」という字音が何に拠っているのか、ちょっと気になる所である。
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……と書いていたが、謎はすぐに解けた。『大漢和辞典』の字音欄をみてみると、「(一)カン コン(二)カン ゲン(唐)アン」とあり、(一)は『集韻』反切の「苦紺切」(勘韻)に拠ったことが示されている。『集韻』は、いわゆる「切韻系韻書」とは反切体系を大きく異にしており(改変しており)、「諸橋大漢和」はなぜか第一にこの反切を掲出していることで知られる。
勘韻は覃韻の相配去声であるから、「コン」(=オ段+ン)という字音が、あくまで“理論上は”導き出せることになる。
そこではっと思い当ったのが、門井慶喜『天才たちの値段―美術探偵・神永美有』(文春文庫2010)に収める大津波悦子氏の「解説」である。そこに以下の如くある。
そうそう、本書を手始めとして、他の単行本を読んでの筆者の推測をひとつ。作家の仕事場には諸橋轍次の『大漢和辞典』全十五巻(大修館書店)が架蔵されていると見た。
種明かしをすれば、とある作品で『大漢和』自体が取り上げられているということなのだが、作家の折々の言葉の選択にそういう風を感じたのである。もちろん、小説家なのだから言葉にはすぐれて意識的なはず。なにも一種類の漢和辞典を名指しするなんて失礼なことかもしれないが、一読者の推理としてお許しあれ。(pp.310-11)
大津波氏が、「餡」=「コン」という字音に「そういう風」を感じとったのかどうかは知る由もないけれども、門井氏が「諸橋大漢和」を愛用している(かもしれない)証左がここにひとつ加わったといえるだろう。
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*1:カバー裏と扉とに内容紹介が記してあるが、登場人物の名が「つばさ」になっている。正しくは「つばめ」である。
*2:藤田保幸(1998)「書記テキストにおける引用マーカーとしてのカギカッコの用法――池波正太郎「剣客商売」を例として――」(『国語文字史の研究 四』和泉書院)。
*3:『大崎梢リクエスト! 本屋さんのアンソロジー』(光文社文庫2014)に収められた「夫のお弁当箱に石をつめた奥さんの話」も、適度にマニアックで、好みにあう。
*4:「唐音」は「宋音」ないし「唐宋音」などと呼ばれることもあるが、大槻がどの程度これらを厳密に区別しているのかは不明。
*5:先に挙げた「胡」も匣母字。
*6:正確にいうと「餡」の韻尾は-nではなく-m。ただし両者は平安後期からすでに混乱していて、いずれも−イ、−ム、−ン、−ニのカナ等で写された。
*7:それだから、「餡」に「ゲン(ゲム)」という音を認めることがある。たとえば『大正漢和字典』(育英書院)、現行版だと『新漢語林 第二版』など。しかし、あくまで人工音であろうと思う。