「鸚鵡石」、あるいは誤植の話など

 高橋輝次編著『増補版 誤植読本』(ちくま文庫2013)に「かづの」なる誤植(というか誤記)があることは、以前ここに書いたとおり。同書にはそのほか、堀江敏幸氏の文庫版解説「誤って植えられた種」に句点の重複があったりする(p.294)のだが*1、それはいいとして、このアンソロジーには、対話形式の森鷗外「鸚鵡石(序に代うる対話)」が収められている(pp.176-89)。
 「鸚鵡石」は、「おうむいし」と読むよりも「おうむせき」と読んでおくほうがよいかもしれない。というのは、山田俊雄『詞苑間歩 下』(三省堂1999)に、「(日本国語大辞典が)『あうむせき』の讀みには、實証が多いことを報告してゐるのは、かへつて江戸時代に『あうむいし』の實在したことを疑はしめる手がかりになる」(「鸚鵡石」*2p.114)とあるからで、山田氏は、「不用意に言はれる、『あうむいし』の讀みが、私にとつては耳障りに聞えて來る」(同)とも述べている。柳瀬尚紀氏(今年亡くなった)との対談『ことば談義 寐ても寤ても』(岩波書店2003)にも、「鸚鵡石」に「おうむせき」と態々ルビを振っている箇所がある(p.63)。
 さて鷗外の「鸚鵡石」は、斎藤茂吉「鷗外全集の校正寸言」(『増補版 誤植読本』所収pp.190-93)に、

鷗外先生は校正は非常にやかましかった人であり、「三田文学」の外国文学の紹介文中の洋語の誤植を気にせられて、ドイツ語は自分が校正してやっていいと云われたほどであり、また、「スバル」に載った、「鸚鵡石」のごとき対話もあるのだから、…(p.190)

と紹介されているように、初出は「昴」である。
 初出誌を確認したことはないが、「序に代うる対話」なる副題は初出時からあったわけではなく、大町桂月・佐伯常麿共著『机上寶典 誤用便覽』(春秋社書店1911)に「序」として収められた際に附された。
 これはなにも私の推測などではなくて、山田俊雄氏がそう書いている。

 「鸚鵡石(対話)」という一篇は、はじめ明治四十二年五月、その年創刊された「昴(すばる)」の第五号に掲げられたが、すぐ後に大町桂月、佐々木常麿両人編の『机上宝典誤用便覧』という書物の序文に、再度の用を務めたものである。鷗外全集には、その後の方の姿で「鸚鵡石」(序に代ふる対話)という題で収められた。(「『訣』を用いるわけ」*3『詞林逍遥』角川書店1983:116-17)

 『誤植読本』は、鷗外全集に拠ったために、上のようなタイトルになっているという“訣”である。
 ところで、『誤植読本』と『誤用便覽』との二つの「鸚鵡石」を較べてみると、いきなり「僕は初からあんな物出板したくはなかった」(『誤植読本』所収)、「僕は初からあんな物出板したくはなかつた」(『誤用便覽』所収)という相違が見つかる。
 また、「嘘字」(『誤植読本』)は「譃字」をそのように直したものかと思ったけれど、これは原文のとおりだった。なぜそう考えたかといえば、『誤用便覽』に、

うそ――譃、嘘
嘘は「ふく」「うそぶく」と訓ずる字、正文章軌範、韓文公の雜説下に「龍嘘氣爲雲」云々とあり、吹嘘と熟していきを吹くの義、轉じて相助くるの意ともなる、この字に「うそ」といふ義はなく、正しくは譃(音はク若しくはコにしてキヨに非ず)とすべきであるが、併し口扁に虚の字形から意味をとつて、これを「うそ」と訓ずるやうになつたのである。(p.48)

とあったからだ。
 しかも、鷗外とひとまわり違う文人でも「譃」の方を好んで使う者がある。

譃ですよ。仲田君よりもっと下手なのですよ(武者小路実篤『友情』上十二,岩波文庫改版p.42)
両方本当ともいえるし、両方とも譃ともいえるでしょう(同 上二十一,pp.70-71)
譃がつけない点ではお互にまけないまでも。(同 上三十二,p.117)
あなたは譃つきです。本当に譃つきよ。(同 下五,p.133)

 山田俊雄氏は、鷗外のこの「嘘字」について――「譃」「噓」の相違には言及していないが――、「鸚鵡石」の文中での意味は「字畫をいい加減にする嘘字のことではな」く「『誤用の文字』のことである」(「嘘字」『詞苑間歩 続』三省堂2005:68)、と書いている。事実、鷗外(というか作中の「主人」)が例として挙げるのが、「身に染む」を「沁む」と書いたり、「中有に迷ふ」を「宙宇に迷ふ」としたりする類である。
 「鸚鵡石」には、「音便形」の仮名づかいに言及したくだりも有る。当該部を引くと次のようである。

主人。 (校正刷を机の側に積んである書籍の間より出す。)これを見てくれ給へ。一番澤山ある此の「申す」といふ字なんぞを見給へ。これが雜誌には皆「まをす」とルビの振つてあるのを、僕が「まうす」と直して遣つたのだ。それを初校に皆「まをす」にしてゐる。又直して遣つても、再校にも直つてゐないで、この通(とほり)「まうすは聊へんなる樣存候」と冷かして書いてあるのだ。
客。 はゝゝゝ。成程これは妙ですなあ。併し先生が「まうす」に直しなすつたのは、どういふわけですか。
主人。 どういふわけも何もない。僕だつて「まをす」が誤でない事は知つてゐる。知つてゐるどころではない。明治になつてから「まをす」を不斷使ふやうに復活させたのは、多分僕だらうと思ふ位だ。國民新聞なんぞへ、和文らしい文章でいろんなものを書いた頃は、友達が「まをす」は可笑しいと云つて冷かしたものだ。併し談話體のものに「まをす」と書かれると、どうも心持が惡い。祝詞(のりと)を讀むときは、今でも「まーをーす」とはつきり讀むのだ。僕はあれを思ひ出す。談話には誰だつてあんな事を言ふものはない。「もおす」と發音するではないか。音便で「まうす」と書くのが當前だ。他の例を考へて見給へ。箒は「ははき」だ。併し談話體には「はうき」と書いてもらひたいのだ。「ほうかむり」(頰冠)を「ほほかぶり」と書かれては溜らない。果して樂文館が一切の音便を排斥するのなら、何故(なぜ)「いうて聞せて下さりませ」といふ白(せりふ)を其儘植字するのだ。「いひて聞せて」と直さなければならない筈ではないか。(森林太郎「鸚鵡石(序に代ふる對話)」『机上寶典 誤用便覽』pp.9-11)

 鷗外が地の文と「談話體」とを区別しているところが興味深いが、この手のものは、いわゆる「ハ行四段」に現れ易い。「×会ふて ○会うて(<会ひて)」「×追ふて ○追うて(<追ひて)」「×思ふて ○思うて(<思ひて)」「×添ふて ○添うて(<添ひて)」などである。
 門井慶喜『東京帝大叡古教授』(小学館文庫2016)には、「食ふて」の仮名遣いを指摘する場面が出て来る。

クフテ(食ふて)という表記は誤りであり、正しくは、
「クウテ(食うて)」
 となるべきだったのだ。
 なぜならこの語は「食ふ」と「て」に分けられるが、このうち「食ふ」はハ行四段活用の動詞であり、(略)そのつぎの「て」は助詞、つねに動詞の連用形にくっつくから、ここは本来ならば、
「食ひて」
 とならねばならないところなのだ。
「すなわち『食ひて』が正則である。まずこのことを念頭に置くのだ、藤太」
 ところがこの電報の文章の場合、そこへさらに、
「ウ音便」
 と呼ばれる現象がはたらいている。発音しやすいよう或る種の語尾が「ウ」になってしまう、音韻の同化現象だ。(略)
「注意すべきは、このウ音便というやつ、あくまでも発音上の現象だということだ。動詞の活用という根本的かつ組織的な語形変化――いわゆる狭義の文法――とは基本的に何の関係もなし。したがって文字にうつすに当たっても、活用のハ行にとらわれることなく、発音をそのまま書き取るのが正しい態度ということになる」
 よふやった、有り難ふ、という表記が誤りであるように、食ふてが誤りである所以である。それが叡古教授の結論だった。(pp.197-99)

    • -

 高橋輝次『増補版 誤植読本』(ちくま文庫2013)の元版は、2000年7月刊の『誤植読本』(東京書籍)である。この元版が出た翌年の五月に、高橋氏は「校正者の出てくる小説」(「道標」五一八号)というエッセイを書いており(のち『古本が古本を呼ぶ』青弓社2002に収む)、そこで和田芳恵「祝煙」、佐多稲子「祝辞」、船山馨「善人伝」、河内仙介「行間さん」の四篇の小説と、小宮豊隆の随筆「誤植」とを新たに紹介している。
 このうち小宮豊隆「誤植」は『増補版 誤植読本』に収められ*4和田芳恵「祝煙」、佐多稲子「祝辞」、河内仙介「行間さん」の三篇は、高橋輝次編著『誤植文学アンソロジー―校正者のいる風景』(論創社2015)に収められた*5
 元版にも増補版にもある稲垣達郎「誤記、誤植、校訂」は、筑摩書房版『角鹿の蟹』から採られている。その末尾に、

 それにつけても、本文校訂というものは、なかなかむずかしいものだ。〈あきらかな誤植〉などと判断して手を加えると、筆者の意にそむくさかしらに陥ることもあり得るのである。(筑摩書房版p.108)

とあるのは考えさせられる。たとえば山下浩『本文(ほんもん)の生態学漱石・鷗外・芥川―』(日本エディタースクール出版部1993)に、そのような「さかしら」の具体例が示されているので参照されたい。
 ちょっと慾をいうと、稲垣の「誤植でないことば―あるいは、「格」のありなし」(『角鹿の蟹』pp.257-64*6)も、『誤植文学アンソロジー』で新たに採ってくれたらよかった。もっとも、この随筆は、「誤植」そのものを扱ったというよりも、「言葉とがめ」の観があるが…。

    • -

 長谷川鑛平『本と校正』(中公新書1965)の「鷗外、校正子を叱る」(pp.70-74)に、「鸚鵡石」が紹介されている。「まをす」云々のくだりも、pp.71-72に引かれている。(11月28日追記)

詞林逍遥

詞林逍遥

詞苑間歩―移る時代・変ることば〈上〉

詞苑間歩―移る時代・変ることば〈上〉

詞苑間歩―移る時代・変ることば〈下〉

詞苑間歩―移る時代・変ることば〈下〉

誤用便覧

誤用便覧

友情 (岩波文庫)

友情 (岩波文庫)

東京帝大叡古教授 (小学館文庫)

東京帝大叡古教授 (小学館文庫)

古本が古本を呼ぶ―編集者の書棚

古本が古本を呼ぶ―編集者の書棚

角鹿の蟹 (1980年)

角鹿の蟹 (1980年)

*1:ついでにいうと、大岡信「校正とは交差することと見つけたり」に「藤堂明保氏の学研版漢和大辞典」(p.96)とあるのは、原文ママなのかな。

*2:初出は「木語」平成三年六月号。

*3:初出は「木語」昭和五十七年二月号。のち『詞苑間歩(上)』(三省堂1999)pp.94-98に、旧仮名遣い(一部旧字)に改めて収録。

*4:そのほか「誤植」(林真理子)、「粟か栗か」(坪内稔典)、「「ろ」と「る」について」(佐多稲子)、「誤植」(多田道太郎)、「誤植の憾み」(十川信介)の五篇が増補された。

*5:奥付に「大屋幸世氏と連絡がとれませんでした」とあるのに吃驚。なぜといって、大屋氏は最近も『小辞典探索’75〜’05』や『百円均一本蒐集日誌』などを「大屋幸世叢刊」という叢書名で刊行(日本古書通信社刊)していたので…。

*6:初出は「群像」一九六七年三月号。