葦の髄から…

 第1部第二章で紹介される『五十音和解』という本が気になって、内村和至『異形の念仏行者―もうひとつの日本精神史』(青土社2016)を読みはじめたのだが、誤記が少なくないのは残念なことである。
 たとえばp.327の注(17)に「井筒彦」とあったり、同じく注(22)で竹村牧男氏の著作名が『日本仏教 思想のみ』(正しくは「思想のあゆみ」)となっていたり。本文p.51では「蘇東披の『渓声便チ是長広舌、…』」云々とあって、「長広舌」の語がこの時代からあるのかと思って一寸吃驚したが、沖本克己・角田恵理子『禅語の茶掛を読む辞典』(講談社学術文庫2017)を見てみると、やはり「渓声便ち是れ広長舌」(p.102)となっていて、引用ミスだとわかった。気づかれた方もあろうが、「蘇東披」というのも本文ママで、これは「蘇東」が正しい。
 また「水火木金土」とあるべき所が「水火金土」となっていたり(p.83)、翻刻部分の丁変わりで「と」字を脱していたりもする(p.85)。ほかに、p.63「逆に言え」、p.308の注(1)で挙げられる馬淵和夫(この「淵」も「渕」表記にすべきだろう)『五十音図の話』の刊行年が「一九三六」となっているのもひどい。
 まだ100ページ弱しか読んでいないが、これだけ誤記が多いのも珍しいように思う。むしろ次に出てくる誤記が気になってしまう。まあこれも一種の「職業病」なのかも知れないが……。
 馬渕氏の『五十音図の話』といえば、池澤夏樹の個人編集による「日本文学全集」第30巻『日本語のために』(河出書房新社2016)に、松岡正剛「馬渕和夫『五十音図の話』について」(pp.261-68)が収められている。そうそうこれにも、「問題を五十音図だけに絞っているのも効奏した」(p.267)とあって、「効奏」は、「奏効」もしくは「奏功」の誤だろうと思った。やはり職業病である。 原文を見てみると、この箇所が消されて(?)いる。
 ちなみに、「功を奏する」(奏功)が正しく「効を奏する」(奏効)を誤りと断ずる辞書もあるが、実は「効を奏する」も誤りでないこと、石山茂利夫「『効を奏する』―日本語の中の漢語に残るあいまいさ」(『今様こくご辞書』読売新聞社1998:77-82)等が述べるとおりである。

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 「一鴟/鴟鵂」に関連して。
 大内白月「粘り強い執着」(『支那典籍史談』昭森社1944)に、

 まあまあ酒に釣られたりなどして、門外不出の本でも貸す。一旦貸したら、屹度返されるものとは請合へない。「本というものは、貸すも一癡、遣るのも一癡、催促するのも一癡、還すのも一癡で、合計四癡になる。」とは、李正文の勘定。「貸さぬが一癡、還さぬが亦一癡」とは、劉祈の是正。何れにしても、自分の貸した本が返って來なければ、人情として胸にこだはりが結ぼれる。(p.149)

とあり。

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 「三上読書」に関連して。
 郝懿行著/松枝茂夫譯「廁で本を讀むこと」(『模糊集』*1生活社1945)に、

 『歸田録』*2に據れば、錢思公は平生讀書を好まれ、坐する時には經史を讀み、臥する時には小説を讀み、廁に上つた時には小詞を閲せられた。また宋公垂は廁に入るとき必ず本を抱へて行き、その諷誦の聲は琅々として遠近に聞えた、と謝希深も言つてゐる云々とある。
 私はこれを讀んで甚だ可笑しなことだと思つた。廁に入つて褌を脱ぎ、手には又書物を持つてゐるとは、あまりにも穢いばかりでなく、又あまりにも忙(せは)しいことではなからうか。いかに篤學な人だつたにせよ、何もさうまでせずともよささうなものである。
 歐公(『歸田録』の著者―原注)は更に謝希深の「平生作る所は多く三上に在り、乃ち馬上枕上廁上なり。」(「三上」に傍点―引用者)といふ言葉を引いて、「蓋しこれらは思索を練るのに最もよい場所だといふ程の意味であらう。」と云つてゐられるが、むしろこの方がずつと心にくい言葉である。その心にくさは、ぴつたり當つてゐて少しも浮いたところのない點に在るのである。(pp.66-67)

とあり。

異形の念仏行者 ―もうひとつの日本精神史―

異形の念仏行者 ―もうひとつの日本精神史―

禅語の茶掛を読む辞典 (講談社学術文庫)

禅語の茶掛を読む辞典 (講談社学術文庫)

今様こくご辞書

今様こくご辞書

支那典籍史談 (1944年)

支那典籍史談 (1944年)

模糊集 (1944年)

模糊集 (1944年)

*1:書名は訳者の松枝による。『曬書堂筆録』からの抄録。

*2:欧陽脩の手になる。