濁る「田」と濁らない「田」と

 (大島は)二、三分後には手紙をもったまま車に戻ってきて、
「お客さん、さっき『イシダ』って言ったの? 西田って客なら予約が入っていて、さっき『到着がもっと遅れる』って電話が入ったって。イシダって客はいないと言うから」
 と言った。
 女はちょっと困ったようにしていたが、「私は西田って言ったのよ。運転手さんの聞き間違い。あ、でももういいから、駅の方へ戻って」と言い、大島から手紙を受けとった。
 確かに『イシダ』と聞いた気がしたので大島は納得がいかなかったが、それでも黙って、女に言われた通り、車をUターンさせた。
連城三紀彦無人駅」『小さな異邦人』文春文庫2016所収:45-46)

 ここで大島が、「確かに『イシダ』と聞いた気がした」と自信をもってそう思えるのは、音韻が異なる(/i/と/ni/)ことだけに因るのではあるまい。それだけなら聞き違えてもおかしくはない。超分節要素(かぶせ音素とも)のアクセントが違っているからだと思われる。
 共通語では、「いしだ」は無核型で、「にしだ」は有核型のアクセントをもつ。
「(二拍)+田」姓の場合、無核型は、

浅田(あさだ)、飯田(いいだ)、池田(いけだ)、石田(いしだ)、上田(うえだ)、内田(うちだ)、岡田(おかだ)、長田(おさだ)、岸田(きしだ)、北田(きただ)、沢田(さわだ)、武田(たけだ)、土田(つちだ)、寺田(てらだ)、徳田(とくだ)、畑田(はただ)、深田(ふかだ)、福田(ふくだ)、前田(まえだ)、町田(まちだ)、松田(まつだ)、持田(もちだ)、安田(やすだ)、吉田(よしだ)*1

と、ほとんどの場合、「田」が連濁で濁る*2
 無核型の非連濁形は、

青田(あおた)、岩田(いわた)、太田(おおた)、倉田(くらた)、桑田(くわた)、永田(ながた)、宮田(みやた)、村田(むらた)*3

など、濁る場合に比べてかなり少ない。「田」の直前が後舌のア段・オ段音に偏るのは偶然か。
 これとは逆に、有核型は、

秋田(あきた)、有田(ありた)、角田(かくた)、梶田(かじた)、門田(かどた)、川田(かわた)*4、窪田(くぼた)、栗田(くりた)、坂田(さかた)、柴田(しばた)、杉田(すぎた)、関田(せきた)、鶴田(つるた)、飛田(とびた)、富田(とみた)、豊田(とよた)、成田(なりた)、春田(はるた)、弘田(ひろた)、蛭田(ひるた)、藤田(ふじた)、古田(ふるた)、堀田(ほりた)、牧田(まきた)、水田(みずた)、室田(むろた)、百田(ももた)、森田(もりた)、横田(よこた)

など非連濁形が多い。連濁形はむしろ少なくて、

金田(かだ)、上田(かだ)、亀田(かだ)、黒田(くろだ)、菰田(こだ)、里田(さとだ)、篠田(しだ)、園田(そだ)、角田(つだ)、殿田(とだ)、友田(とだ)、西田(にしだ)、羽田(はだ)、浜田(はだ)、蓑田(みだ)、米田(よだ)

などに限られる。
 次の例は、「マセタ」なら有核型、正しい読みの「マセダ」なら(「アクセントにも気をつけて」ということだから)無核型で呼んだ、ということを意味するのであろう。

 私が高校の教師をしていたとき、そこの女子生徒に間世田さんという子がいた。これは放っておくと「マセタさん」と読めて、十五、六の女の子がマセタさんではかわいそうなので、教員一同、アクセントにも気をつけて「マセダさん」と呼ぶことにしていた。
(柳沼重剛「名前について」『語学者の散歩道』岩波現代文庫2008所収:238)

 さて、有核型の例外を見てみると、「田」の直前に鼻音性子音を有するナマ行の音節が来る場合がほとんどだから、「田」が濁る要因は、形態論的な連濁ではなくむしろ音声環境によるところが大きいと思われる。いわゆる「新濁」(「連声濁」)である。
 「新濁」は、ロドリゲス以来「うむの下濁る」などと言い慣わされてきたが、これは、現在とは違って、「濁音」が「鼻音要素(m,n,ngなど)+阻害音」であった時代の現象である。
 現在では、「濁音化」がおおむね「無声音の有声音化」*5を意味するのに対し、当時は、阻害音(無声か有声かに関わらない)が鼻音要素と共起しておれば「濁音」と見なされていたとおぼしい。このあたりのことについては、高山(2012)が早田輝洋説などを援用しつつ「濁音の弁別的特徴に史的な変化があった」(p.99)と結論しており、たいへん勉強になる。
 つまり「新濁」は、現在はその痕跡を見出せるにすぎない現象なのであって、新たに生産された語にそれが生ずる*6訣ではない。
 「観測所」「紹介所」「脱衣所」などで「所」が濁ることもあるのは、連濁の異例*7と解釈できる餘地もあるが、「公文所(くもんじょ)」「見山所(けんざんじょ)」などの新濁例からの類推があるかも知れないし(高山2012:115)、「場(じょう)」などの干渉もあるのだろう。
 連濁のように見える「羽生結弦(はにゅうゆる)」の名「結弦」は、多分、名付け親が「弓弦(ゆる)」を念頭に置いたものだろう。これは、「弓束(ゆか)」「弓削(ゆ)」等と同じく、「弓(ゆ)」の鼻音性子音が阻害音と共起して新濁を生じたケースであろう。
 「文手(ふて)」→「筆(ふ)」も、同様の過程を辿ったもの。

【参考】
金田一春彦(1976)「連濁の解」『Sophia Linguistica』二(『日本語音韻音調史の研究』吉川弘文館2001所収)
高山倫明(2012)『日本語音韻史の研究』ひつじ書房
田中伸一(2009)『日常言語に潜む音法則の世界』開拓社

小さな異邦人 (文春文庫)

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語学者の散歩道 (岩波現代文庫)

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日本語音韻音調史の研究

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日本語音韻史の研究 (ひつじ研究叢書(言語編) 第97巻)

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日常言語に潜む音法則の世界 (開拓社言語・文化選書)

日常言語に潜む音法則の世界 (開拓社言語・文化選書)

*1:今田(いまだ)、梅田(うめだ)、神田(かんだ)、熊田(くまだ)、島田(しまだ)、下田(しもだ)、正田(しょうだ)、船田(ふなだ)、本田(ほんだ)、門田(もんだ)、山田(やまだ)などは、阻害音の直前にナマ行音節、もしくは鼻音要素があるので、除外しておいたほうが無難か。さらに正確を期するなら、「田」の直前が濁音のものも除外しておくべきところだろうが、取り敢えずそのままにしておく。

*2:もちろん、たとえば「上田」姓などには「うえた」という非連濁形もあるが、ここでは「概ねそう読みうる」という傾向を言っている。なお、「上田」=「かみだ」の場合は有核型で発音され、連濁形の例外に属する。後述。

*3:堀田(ほった)は無核型だが、音声環境からして「た」が濁ることはあり得ない。

*4:「かわだ」と連濁形になる場合は無核型になって、いずれにせよ典型例となる。金田一(1976)p.340など参照。

*5:現代の日本語(共通語)では、たとえばハ行音は清(p)-濁(b)ではなく、清(h,f)−濁(b)という対立をなすから、これは決して正確な表現ではないが、旧来のこの言い方に従っておく。

*6:この「生ずる」も新濁によるもの。「生」は鼻音性の-ngで終る音節で、日本語母語話者はそれを鼻にかかるuで発音した。「東国(トーゴク)」も同様の理由による。「西国(サイコク)」を「サイゴク」と濁るのは「トーゴク」「南国(ナンゴク)」に引きずられたものであろう。金田一(1976)p.338も参照のこと。

*7:連濁は、原則として和語のみに生じ、漢語を含む外来語には生じない。ただし、「夫婦喧嘩(げんか)」「株式会社(がいしゃ)」「芋焼酎(じょうちゅう)」「出刃庖丁(ぼうちょう)」「すけ鉄砲(でっぽう)」「青写真(じゃしん)」「当て推量(ずいりょう)」「黒砂糖(ざとう)」「雨ガッパ」「いろはガルタ」などの例外が知られる。