叙述ミステリ(トリック)が好き。

 気持ちよく騙されるのが好きだから、叙述ミステリも好んで読む。『盤上の敵』『十角館の殺人』『ハサミ男』『殺戮にいたる病』『葉桜の季節に君を想うということ』『ロートレック荘事件』「依子の日記」等々。
 海外作品だと、最近(昨秋)読んだのが、フレッド・カサック/平岡敦訳『殺人交叉点』(創元推理文庫2000)*1だ。
 この『殺人交叉点』は、瀬戸川猛資が『夜明けの睡魔―海外ミステリの新しい波』(創元ライブラリ1999)のp.94で、「文句なしの大ひっかけミステリ」として紹介しているほか、

フランス風小手先芸の極致。小手先芸もここまでくれば、芸術品というしかない。(p.264)

とも評している。
 ちなみに瀬戸川は、単行本版(1987刊)の付記で、

読者からお便りがあり、(瀬戸川が)ベストワンにあげていた『殺人交点』を読んだのだが、まったく驚かなかった、ひょっとして翻訳に問題があるのではないか、という質問を受けた。文庫版の『殺人交点』を読んでみたら(わたしがあげたのは、〈クライム・クラブ〉版の『殺人交点』。不覚にも、文庫版を読まずに推奨していたのだ)、たしかにトリックがわかるまずい部分があったので、その文句を書きつらねたのである。しかし、創元推理文庫版のこの本はもう絶版だし、将来、まずい部分を訳し直して刊行する予定とのこと。文句は、(単行本刊行時に)自主規制してカットした。(p.99)

と書き残している。残念ながら、改訳版は瀬戸川の存命中には間に合わず、歿後一年を経て、平岡敦訳『殺人交叉点』(2000)として刊行された(手許のは2013年2月1日3版)。また平岡氏の「訳者あとがき」に拠ると、旧訳2種は1957年刊の旧版を訳したものだが、新訳はカサックが大幅に改稿した版(1972年刊。「フランス・ミステリ批評家賞」を受賞)を訳したものという。
 なおカサック自身は覚書で、改稿に際して「ほとんど全面的に手を入れた。そしていやらしい恐喝犯を当世風にあらため」た(p.193)云々、と記している。

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 わたしが瀬戸川の評言に触発されて『殺人交叉点』を繙いたように、叙述ミステリは、あらかじめ「その手の作品」だということを聞かされて読む場合が少なくないとおもう。
 つい先日やっと読んだ、小泉喜美子『弁護側の証人』(集英社文庫)もそうだった。
 この作品は、綾辻行人氏が伊坂幸太郎氏との対談で、

国内作品では、(叙述トリックを利用した)先駆的な傑作として小泉喜美子さんの『弁護側の証人』(一九六三年)がありましたね。でも、その後はあまり作例が多くない。叙述トリックという言葉も今のように一般的じゃなかったんですよ。(「ミステリー作家・連城三紀彦の魅力を語る」『連城三紀彦 レジェンド―傑作ミステリー集』講談社文庫2014:313)

と触れたこともあって気になっていたところ、戸川安宣氏が、空犬太郎編『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会2016)で、

その当時、生島(治郎)さんはまだ小泉喜美子さんと結婚していて、結婚するときに、小泉さんに作家をやめろといって結婚したというんです。『弁護側の証人』は結婚前の作品だったのですが、小泉喜美子名義で出たのは、結婚してから本になったからなんでしょう(生島治郎の本名は小泉太郎―引用者注)。とにかく条件として、これを最後に作家はやめろと言った、というエピソードは耳にしていました。せっかくゲストの作家に会ったんだから、これは何か聞かなくちゃいけない、でも何も読んでいない、というので、「奥さんはもう書かないんでしょうか」みたいなことを聞いたら、生島さんはむすっとして、もう書きませんみたいなことをおっしゃっていました。(p.104)

と語っているのを目にして、よし読もうというわけで、2009年刊の新版(2016年10月17日第15刷)で読んだ。
 実をいうと、作者が用意した仕掛けには、警戒していたせいか早々に気づいてしまったのだが(とは云え「真相」にまではたどり着けず)、しかし、これが五十年以上前に書かれたというのは畏るべきことである。なるほど「莫連女」(p.136)など、たしかに歴史を感じさせることばも出て来るけれど、後半部は法廷ミステリとしても読めるし、読者を飽きさせない工夫も凝らしてある。タイトルは、多分、クリスティの『検察側の証人*2を意識したものだろう。
 そうしたところへ、昨夏は小泉の『血の季節』が復刊され(宝島社文庫)、今年に入って『殺人はお好き?』(同)も復刊された。また先月には、『痛みかたみ妬み―小泉喜美子短篇集』(中公文庫)も「増補再編集版」として刊行された。同書の編者・日下三蔵氏によると、『痛みかたみ妬み』は「小泉喜美子の全著作の中で、もっとも入手困難だった一冊」(p.409)なのだそうで、その短篇集に、「またたかない星(スター)」「兄は復讐する」「オレンジ色のアリバイ」「ヘア・スタイル殺人事件」の四篇を増補収録している。
 その後、『弁護側の証人』を集英社文庫の旧版(1978年刊)で入手した。ちょうど巧い具合に、行きつけの書肆の店頭に転がっていたのである。しかしこれは、カバーの内容紹介がいけない。「種」を半分明かしてしまっているようなものだ*3
 その一方で、解説は読みごたえがある。何しろ、生島治郎の友人で、小泉喜美子とも親交のあった青木雨彦が書いているのだから。特にラスト8行(p.240)には、こういう「愛」の形もあるのか、と唸らされてしまう。

殺人交叉点 (創元推理文庫)

殺人交叉点 (創元推理文庫)

弁護側の証人 (集英社文庫)

弁護側の証人 (集英社文庫)

ぼくのミステリ・クロニクル

ぼくのミステリ・クロニクル

*1:カサックの『連鎖反応』を併録。

*2:大傑作・ビリー・ワイルダー『情婦』の原作。『情婦』のラストは、「どんでん返し」の原作をさらにもうひとひねりしている。

*3:そう云えば都筑道夫のある作品や、横溝正史のある作品も同様に、内容紹介やカバー絵がほとんど「種」を明かしてしまっており、残念に感じたことがある。