「功を奏する」か「効を奏する」か

 再掲だが、ここに、「日本文学全集」第30巻(池澤夏樹個人編集)『日本語のために』(河出書房新社2016)所収の松岡正剛「馬渕和夫『五十音図の話』について」(pp.261-68)から、

問題を五十音図だけに絞っているのも効奏した(p.267)

という箇所を引いた。「効奏」は、「奏効」ないし「奏功」の誤だろう。ただし 原文には当該箇所がない。
 「奏効」「奏功」は、つまり「効を奏する」「功を奏する」ということで、以前わたしはこの表記の違いが気になって、辞書を引き較べてみたことがある。
 その時のメモが残念ながら見当らないので、手許の資料だけを頼りにこれを書くことにしよう。

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 文化庁編『言葉に関する問答集【総集編】』(大蔵省印刷局1995)は、「『奏功』と『奏効』の使い分け」(pp.156-57)という問いを立てて、これについて説く。
 同書は、「奏功」は「てがらを天子に申し上げる」、転じて広く「功が成就する」を意味することになったと述べ、これが「ききめ」「効験」の意味で、「新薬が奏功した/事前の根回しも奏功しなかった」などと使われるようにもなった、とする。その結果、この用法に限って「奏効」の形も行われるようになったという。ただし、「功が成就する」義の「奏功を見る/奏功を確実にする/偉大な奏功/策略が奏功した」などを「奏効」と表記するのは誤りだと断じている。
 もっとも、「中国の古典にも『効験』の意味で『奏効』の用例が見られるから、『奏効』という形を誤りとすることはできない」とも記しており、そのうえで次のように述べる。

 国語審議会でこの種の問題を取り上げた際の報告「語形の「ゆれ」について」(昭和36)の中の「漢字表記の「ゆれ」について」の扱いであるが、「奏功(奏効)」の形で、3の例として示されている。そこにはほかに「記念(紀念)」「親切(深切)」などがあり、次のように解説されている。

 漢字表記にゆれがあるといっても、その一方が一般的であるということで解説のよりどころとすることができるものもある。

その点で「奏功」を一般的だとするのが、この場合の扱いである。
 ただし、この3のグループでは、この種の語を例示したあとに、次のような解説も加えられている。

 これらのうち、「集荷・集貨」「冗員・剰員」「奏功・奏効」「滞貨・滞荷」などは、むしろ8の例として扱ったほうがよいかもしれない。

ここで8の例というのは、「特に必要のある場合のほかは、かっこの外のものを使うようにしたらよい」とするグループのことで、「探検(探険)」「精彩(生彩)」などが例示されている。いずれにしても、「奏功」と「奏効」については、「奏効」も誤りではないが、「奏功」の方が好ましいという扱いである。『新聞用語集』に「奏効→奏功」のように掲げられているのも、このような事情によるものである。(pp.156-57)

 この『新聞用語集』が何年版なのかは不明だが、2007年版の新聞用語懇談会編『新聞用語集』(日本新聞協会)では、「こうをそうする(効を奏する)→功を奏する」「そうこう(奏効)→(統)奏功」というふうに、漢語とそれを読み下したものとの両形が示されている。
 さて上の引用から、旧国語審議会の「語形の「ゆれ」について」は、「奏功」「奏効」を同義とみているようでもあり、『問答集』の態度とは立場を異にしているようにも思える。『問答集』は、「功が成就する」という意味で「奏効」を用いるのは誤りとしていたのだから。
 では実際に、「奏功」「奏効」の明確な使い分けはあったのか、どうか。
 この表記の違いのあいまいさに言及したものとして、石山茂利夫『今様こくご辞書』(読売新聞社1998)が挙げられる。石山氏はかつて、「功を奏する」が正しく「効を奏する」は誤りだと思っていたそうだが、十九種の国語辞書を引いてみて驚いたという。

 「功」と「効」の項目で、「功を奏する」と「効を奏する」の両形を掲載しているのが九種、「功を奏する」のみが九種。驚いたことに、「効を奏する」だけという辞書も一種あった。『三省堂国語辞典』だ。「奏功」は見出し語にしているが、「功を奏する」と「効を奏する」のどちらか一つとなれば、「功」の方ではないだろうか。いずれにしろ、半分以上の辞書が「効を奏する」を載せている。どの辞書にも誤用の注記はない。
 もっと不思議なことがある。見出し語「功」の意味説明の中にある、用例の「奏功」や「功を奏する」の掲載場所だ。「手柄」の意味のところに入れている辞書もあれば、「効き目」の意味の項に載せている辞書もある。「功」に効き目の意味があることを初めて知ったが、それにしても「功を奏する」と使う場合の「功」の意味は、手柄のことではないのか。
 『大漢和辞典』などいくつかの漢和辞典を見る。「功」と「効」は、なんと、手柄と効き目という意味で共通しているのである。「奏功」「奏効」の熟語も『大漢和辞典』では類義語扱いだ。『大漢和辞典』の説明は次のようになっている。
 「奏功」――〈功をたてる。又、事の成功を君に言上する。転じて、広く事の成就すること〉
 「奏效(効)」――〈(1)いさをを奏上すること。(2)ききめがあらはれる。效を奏する。奏功〉
 「奏功」や「功を奏する」を、見出し語「功」の意味のうち、効き目のところに配している七種の国語辞典の根拠は、ここにあるのだろうか。(略)
 『広辞苑』四版。見出し語「奏効」に〈(「奏功」の誤記から)〉の注がある。三版にはない。あえて、「誤記」と入れるには、相当な勇気がいる。日本語における「奏効」誕生にまつわる資料を新たに発掘、満を持しての記述に違いない。漢字の迷路から脱出する突破口になると期待したのだが、空振りに終わった。勘違いによる誤りとのことだった。(p.78-79)

 そして石山氏は、『学研国語大辞典(第二版)』(1988)が挙げた森鷗外阿部一族』の〈図らず病に罹って、典医の方剤も功を奏せず、…〉などの用例を根拠に、「つまるところ、(過去の文人たちは)漢和辞典に見る『功』と『効』の密接な関係を踏まえた、自在な使い方をしている印象がある」(p.82)と結論している。
 ちなみに、石山氏の文中に見える『三国』は第四版(1992)をさすが、最新の第七版(2014)は、「効を奏する」だけではなく「功を奏する」も見出し語(成句)として掲げており、「功を奏する(1)成功する。奏功する。(2)→効を奏する」「効を奏する(1)ききめをあらわす。奏効する。(2)→功を奏する」と、両者は互換性のある表記と見なしている。
 山田忠雄ほか編『新明解国語辞典(第七版)』(三省堂2012)は、「功を奏する」を見出し語として、「(一)目的通りに事をなし遂げる。(二)薬の効果があらわれる」という語釈を施し、「表記」欄で、「(二)は「効を奏する」とも書く。」と注する。また「そうこう」の見出し下には「【奏功】しようと思った事を目的通りに為し遂げること。【奏効】ききめが現われること」とあり、「奏功(功を奏する)」「奏効(効を奏する)」をはっきり区別していることが分かる。「功を奏する」の第二義を、なぜ「薬の効果」に限っているのか不明だが。第三版(1981*1)を見てみると、「奏功」「奏効」の語釈は表記に小異があるがほぼ同じ。一方、「こう〔功〕」の見出しのもと、「(一)(りっぱな)仕事」のほか「(二)ききめ」の語釈を掲げ、(二)のところで「功を奏する」という表現を認める。つまり「奏功」「奏効」の両者を区別するものの、「功」には薬に限らず、「ききめ」一般の義があると見なす。
 西尾実ほか編『岩波国語辞典(第七版)』(岩波書店2009)も、「奏功=従事していることが首尾よくできて、功をおさめること」「奏効=物事の効果があらわれること」と語釈を施しており、両者を区別する。
 石山著が刊行された後に出た北原保雄編『明鏡国語辞典(第二版)』(大修館書店2010)は、日本語の「俗用」「誤用」にうるさいことでも知られるが、「功を奏する 成功する。うまくいく。(略)【表記】「こう」は「効」とも書く」、「こう【効】」の欄にも「ききめ。『―を奏する(=功を奏する)』とあるから、両者が通用することを認めている。意外なことに、ゆるやかな運用である。
 一方「そうこう【奏効】」については、「表記」欄に、

効果に視点を置いて「奏功」が「奏効」と書かれるようになった語。新聞では「奏功」を使う。

とあり、『問答集』と同様のことを述べている。
 では、古い辞書類はどうか。まず、実質的に見坊豪紀が執筆した金田一京助編『明解國語辭典(初版)』(三省堂1943*2)は、

そお‐こお【奏功】ソウコウ(名)(一)使命の經過を奏上すること。(二)なしとげること。(三)奏效。
そお‐こお【奏效】ソウカウ(名)ききめがあること。奏功。

と両者の通用を認める。
 もう少し遡る。一部引用を略すが、上田萬年『ローマ字びき國語辭典』(冨山房1915*3)は、「奏功」の表記のみ掲げ、「1.成功したことを,申し上げること. 2.ききめがあること.効驗のあらはれること. 3.成功すること.」と解する。翌々年刊の井上哲次郎ほか編『ABCびき日本辭典』(三省堂)も「奏功」の表記のみ掲げ、「(い)使命又は職事などををへて、其經過を奏上すること。(ろ)事功を成就すること。成功すること」とする。こちらには「ききめ」がない。
 その少し後に出た、大町桂月監修『國語漢文ことばの林』(立川文明堂1922*4)も「そうこう(奏功)手柄をたてるコト」のみ、大正末年の大町桂月編『コンサイス新辭典』(文武書店1925*5)も「そうこう【奏功】手柄をあらはすこと」しか採録していない。同時期の保科孝一ほか著『大正漢和字典』(育英書院1926)も、やはり「【奏功】ソウコウ てがらをたてる「日露役に奏功して金鵄勳章を授けらる」」のみである。
 さらに遡る。湯淺忠良編輯『廣益熟字典假名引之部』(片野東四郎1875刻成)も、「奏功(ソウコウ)テガラヲ申シアゲル」(八十三丁ウ)のみ。中村守男輯『新撰字解』(奎文閣1872官許*6)は、「奏功」を「コウヲソウス」と読み下しており、「テガラヲ天子ヘモウシ上ル」(四十九丁ウ)とする。
 こうして見てくると、日本語としての「奏効(効を奏する)」は、「奏功(功を奏する)」の新しい表記とも見なせそうである。まだまだたくさんの辞書等を見る必要があるし、簡単に結論してはいけないけれども。
 では、「奏効(効を奏する)」表記の古い用例はどこまで遡れるのだろうか。
 さきに見た石山著は、『新潮現代国語辞典(第一版)』(1985)が芥川龍之介点鬼簿』の「生憎その勧誘は一度も効を奏さなかった」という用例を引き、また『学研国語大辞典(第二版)』が谷崎潤一郎細雪』の「いろいろのことが効を奏して案じた程でもなく良くなっていった」という用例を引くことに言及している。
 わたしの見つけた用例としては、同じ芥川の、

僕は佐藤春夫氏と共に、「冥途」を再び世に行わしめんとせしも、今に至って微力その効を奏せず。(「内田百間氏」*7石割透編『芥川竜之介随筆集』岩波文庫2014:361)

が挙げられる。同時期のものに次の例がある。

目安箱の上書が効を奏して、(吉川英治鳴門秘帖(二)』吉川英治歴史時代文庫:98)

 この例などは、はっきりと「ききめ」に力点を置いた用例といえる(ちなみに吉川の『鳴門秘帖』に関しては、ここで書いた)。
 ちょっと時代が下るが、

この我の勸告(すゝめ)は、なんらの效もなく、無知なる輩の勸告ぞ、效を奏しぬ。(豊島与志雄訳『千一夜物語(一)』岩波文庫1940:107)

というのもあった。
 戦後であれば、

いつかはこの毒入りのアンプルが効を奏することは当然期待出来た(高木彬光『人形はなぜ殺される(新装版)』光文社文庫2006(←1955)*8:368)

この思い切ったほのめかしで、実直なる宿屋の亭主の疑念を消そうとしたのである。これはありがたいことに、いくぶんの効を奏した。(西村孝次訳/バロネス・オルツィ『紅はこべ(新版)』創元推理文庫2017(←1970修訂←1958)*9:254)

などがあり、後者の西村訳には、「この国がまたもや労多くして効少ない戦争に乗り出すには」(p.34)という用例も見られるから、「功」「効」両字を通用しているらしいことが知られるのである。そういえば、この「労多くして功(効)少なし」という表現こそ、「功」に「ききめ」の義があることを示す成句だといえないだろうか。
 最後に、「青空文庫」を探ってみると、「奏効」のもっと古い例――南方熊楠『十二支考』の「蛇に関する民俗と伝説」(1917)の「これらいずれも応急手当として多少の奏効をしたらしい」、同じく「猪に関する民俗と伝説」(1923)の「東洋に古く行われた指印から近時大奏効し居る試問法」が拾えた。さらに、吉川英治の『新書太閤記』の用例も引っかかった。
 また、「効を奏」で検索したところ、谷崎潤一郎「途上」や豊島与志雄「文学以前」の用例、柳田国男『山の人生』『木綿以前の事』等が引っかかってきたから、芥川、谷崎、豊島、吉川、柳田など、「効を奏する」という表記を好んで用いたらしい書き手には偏りがある、つまり一種の個性であるようにも思えてきたのだった。
 もちろんこれも、簡単に結論を出せる問題ではない。とにかくたくさんの用例を集めてみるまでは、まだ何とも云えない。

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(所在不明のメモをもとにした文章の草稿が見つかった〈メモそのものではない〉。上の記述と重なる部分もあるが、上記で述べなかったことにも言及しているので、重複をいとわず以下に示しておく。2018.2.13記す)

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 まずは、次のふたつの用例をご覧ください。同じ本から拾ったものです。

 通行人をピンポイントで誘いこむ攻めのサクラ作戦は、その後も功を奏し、午後八時までに、八人の客を集めた。(荻原浩「砂の王国(上)」講談社文庫p.116)

 仲村は人と話をする時に目を合わせようとしない。逆にそれが効を奏する気がしていた。(同pp.428-29)

 いずれの文章にも、「ききめをあらわす」という意味で「コーをソーする」という表現が使われています。しかし、その漢字表記が異なっています。一方は「功を奏する」、もう一方は「効を奏する」。
 はたして、このどちらが「正しい」表記なのでしょうか。
 まずは、北原保雄編『明鏡国語辞典〔第二版〕』(大修館書店)を引いてみます。「コーを奏する」は、もともと「奏コー」という漢語に由来するので、「そうこう」を引きます。

そう‐こう【奏功】目的どおりに物事を成し遂げて成果を得ること。功を奏すること。
そう‐こう【奏効】効き目が現れること。効果が上がること。(表記)効果に視点を置いて「奏功」が「奏効」と書かれるようになった語。新聞では「奏功」を使う。

 「功を奏すること」という語釈は、「同語反復(トートロジー)」といって、辞書としてはふさわしい説明のしかたではないのですが、それはともかくとして、このように両者とも見出し語に立っています。そして、「奏効」の項目の「表記」欄には、「効果に視点を置いて(略)『奏効』と書かれるようになった」、と明記しています。
 この辞書によれば、「奏功」に比べて「奏効」は後出のもの、ということになるわけです。
 では、少し古い辞書を開いてみましょう。たとえば、新村出編『言苑〔戦後第三版〕』(博友社、一九五一)を見ます。

そう‐こう【奏功】(1)事の成就したこと。成功。(2)功を奏すること。

 こちらの辞書は、「奏功」しか挙げていません。とすれば、さきの「奏効」が後出で、本来の表記はやはり「奏功」なのではないか、この『言苑』が編まれた時期には「奏効」という表記が存在しなかったのではないか、とも思えてきます。
 ところが、たとえば吉川英治鳴門秘帖(二)』に、

 目安箱の上書が効を奏して、…

という表記がみえ、また豊島与志雄が訳出した『千夜一夜物語バルトリュス版)』(一九四〇刊)にも、

 この我の勸告(すゝめ)は、なんらの效もなく、無知なる輩の勸告ぞ效を奏しぬ。(岩波文庫p.107)

とあるのです(「效」は「効」の異体字です)。
 『新漢語林〔第二版〕』(大修館書店、二〇一一)を引いてみます。

【奏功・奏効】(1)てがらをたてる。(2)事の成功を君主に申しあげる。(3)できあがる。成就する。(4)ききめがあらわれる。奏効。◇一般に、功は手柄、効はききめとされる。しかし、功にはききめの意、また効にも手柄の意があり、「奏功」と「奏効」はほぼ同意と考えられる。ただ、昭和三十六年の国語審議会報告などの影響もあって「奏功」が一般的となっている。

 文化庁の下部組織であった「国語審議会」の答申や報告は、こちらで見ることができます。
 この文章がさしているのは、「語形の『ゆれ』について」という報告のことでしょう(※いずれもリンク切れ―2018.2.13)。
 その第一部三節で、漢字表記の「ゆれ」があるものについて、「一方が一般的であるということで解決のよりどころとすることができるもの」の一例として、「奏功(奏効)」が挙がっています。
 ただ注記として、「奏功(奏効)」などは、「むしろ8の例として扱ったほうがよいかもしれない」と書いています。そこで8節を見てみると、「漢字は一字一字意味をもっている」から厳密に書き分けることも可能だが、「漢字の意味の相違にあまりこだわることは,社会一般としては限度がある」。したがって、どちらが一般的かと考えた――ということがうかがいしれます。
 いずれにせよ、この報告は「功」「効」に別々の意味があった、ということを言っているわけです。
 しかし、さきに見たように、「功」「効」は同義といってもさしつかえないものです。(未完)

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今様こくご辞書

今様こくご辞書

明解国語辞典

明解国語辞典

芥川竜之介随筆集 (岩波文庫)

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鳴門秘帖(二) (吉川英治歴史時代文庫)

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人形はなぜ殺される 新装版 高木彬光コレクション (光文社文庫)

人形はなぜ殺される 新装版 高木彬光コレクション (光文社文庫)

紅はこべ (創元推理文庫 507-1)

紅はこべ (創元推理文庫 507-1)

砂の王国(上) (講談社文庫)

砂の王国(上) (講談社文庫)

*1:手許のは1986年2月1日第39刷。

*2:1997年刊の復刻版を参照。

*3:手許のは1916年4月28日22版。

*4:手許のは1923年1月25日第5版。

*5:復興版初版。手許のは1926年5月10日第4版。

*6:手許のは1874秋再版。

*7:初出:1927年8月「文藝時報」。後で、青空文庫に収録されていることを知ったのである。

*8:もと1955年、講談社から書下しで刊行。

*9:旧版は1970年刊、もと1958年1月、『世界大ロマン全集』の一巻として刊行。