久生十蘭「母子像」のことなど

 神奈川近代文学館のスポット展示「久生十蘭資料〜近年の収蔵資料から〜」(2017.12.9〜2018.1.21)は、十蘭の姪にあたる三ッ谷洋子氏の寄贈品をもとに構成されていて、十蘭の改稿癖の一斑がうかがえる「海豹島」切抜きへの夥しい書込み*1等、とりわけ印象に残るものであったが、さらに特筆すべきは、吉田健一の遺品から見つかった「母子像」草稿五枚、ならびに「美しい母」の草稿六枚である。わたしはそれを一枚一枚、食入るように、ガラスケース越しに矯めつ眇めつしたのだった。
 このうち「美しい母」は、これまで世に出ていなかったもので、「決定稿『母子像』の準備稿というべきものであろうが、いったいなぜ、そしていつ、吉田の手元に置かれるようになったのか」(江口雄輔「久生十蘭資料の公開」*2)は不明なのだそうだ。もっとも、「母子像」を「世界短篇小説コンクール」(ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙主催)に応募するため英訳したのが当の吉田であったから、江口氏によると、「十蘭が(中略)英国留学が長く大衆文芸批評をしていた吉田を信頼し、海外での反響を含めて相談した可能性が考えられる」*3という。
 「母子像」は、十蘭自身が、「予言」と共に「最も愛した作品」であるといい、これまで何度も文庫に収録されている。新潮社の「小説文庫」に入った短篇集『母子像』(1955.10刊)は正確には新書判だから除外するとしても、このほか、『母子像・鈴木主水』(角川文庫1959)、『肌色の月』(中央公論社1957)を文庫化した『肌色の月』(中公文庫1975)*4、『昆虫図―久生十蘭傑作選4』(現代教養文庫1976)、日下三蔵編『久生十蘭ハムレット―怪奇探偵小説傑作選3』(ちくま文庫2001)、『湖畔|ハムレット久生十蘭作品集』(講談社文芸文庫2005)、川崎賢子編『久生十蘭短篇選』(岩波文庫2009)に収められている。
 ただし「母子像」は、必ずしも作品としての評価が高い(または読者の好みにあう)わけではなく、たとえば谷沢永一『紙つぶて 自作自注最終版』(文藝春秋2005)引くところの「蒼鉛嬉遊曲(ビスマスメヌエット)」(塚本邦雄*5には、「「母子像」には卻つて感興を唆(そそ)られぬままにやうやく冷えて行つた。ふたたびはげしい感動を覚えたのは、三十年、新潮社刊『母子像』で「西林図」「野萩」「春雪」「蝶の絵」等、二十三、四年初出の短篇を知つた時である」(p.933)とあるし、一方の「予言」に対しても、たとえば中井英夫が、「久生が自分で“最も愛した”由ながら、私にはいまもって“もっとも優れた”作品とは思えず」(p.181)云々*6と評している。
 また、中井がつづけて指摘したように、「母子像」は「あらかじめ外国語で読まれることを計算しぬいた筋立てと運びと、いっさい感傷をさし挟まぬ淡々とした叙述」(同前p.182)ゆえに、「感興を唆られぬ」者があるのかもしれない。もっとも、「感傷をさし挟まぬ淡々とした叙述」というなら、名品「無惨やな」*7などはまさにそうで、こちらの場合、その簡勁ぶりがむしろ作品の迫力を増しているようでもあり、そこに「文体(章)の魔術師」十蘭の面目躍如たるものがあるといえるのだろう。ついでにいうならば、「無惨やな」には都筑道夫の評があって、曰く、まさにこれは「短篇作家の短篇小説」なのであり、「基本の文体に、大きな変化はないにしても、(十蘭は)題材によって、技法をえらんでいる」。さらに都筑は、「無惨やな」を大佛次郎「夕凪」*8と比較しつつ、「雰囲気はなくて、そこにはただ、事実の記述だけがある」と述べた*9。この文章は、「男ぶりの小説、女ぶりの小説」(都筑道夫*10と記述の一部が重なるらしく、先引の谷沢著は都筑のその見解を引いて賛意を表したうえで、「然り「無惨やな」一篇は痛烈な鷗外批判なのであり、久生十蘭は鷗外の贅肉を無言で辛辣に発いたのだ」(p.804)とさらに踏み込んだ評価を下している。
 なお千野帽子氏は、「久生十蘭『あなたも私も』は「戦後文学」です。」(『久生十蘭―評する言葉も失う最高の作家』河出書房新社2015.2)のなかで、十蘭と獅子文六とを並べて「いずれもテンポの速いドライな現代小説を書いた。とくに戦後の作品は、両者がスピード競争をしているかのような爽快感があ」る(p.10)と評しており、こちらもたいへん興味深い*11
 さて会場の十蘭コーナーには、「母子像」関連資料として、映画化*12(1956年東宝佐伯清監督、植草圭之助脚本)の際に主演の山田五十鈴らと十蘭が写った貴重なスナップや、映画広告などもあわせて展示されていたのだが、それらに触発されたこともあり、「母子像」を三たび読み返した。先に述べたごとく、十蘭には「改稿癖」があった。したがって「母子像」にも、「雑誌・新聞初出の本文を底本とした」川崎賢子編になる『久生十蘭短篇選』所収版とそれ以外とでは、少なからず相違点が有る。
 そこで以下、簡単に比較してみることにする。「岩」が岩波文庫所収、「ち」が日下三蔵編『久生十蘭ハムレット―怪奇探偵小説傑作選3』(ちくま文庫2001)所収のものである。「岩」は、初出の「讀賣新聞」(1954.3.26-28)掲載本文に基づく。「ち」は底本がよくわからないが、ざっと見たかぎりでは、『肌色の月』(中公文庫1975)、『湖畔|ハムレット久生十蘭作品集』(講談社文芸文庫2005)とあまり違わない。後者の文芸文庫版は、『久生十蘭全集1・2』(三一書房刊1969.11,1970.1)を底本としているらしいから、ちくま文庫所収のものは(いつの時点のものかは判らぬが)後の改稿版とみてよい。

「お呼びたてして、恐縮でした」(岩p.332)
「お呼びたてして、どうも……」(ちp.338)

ご心配のないように(岩p.332)
ご心配なく(ちp.338)

「司法主のおっしゃるとおり、私どもはたいした事件だと思っておりません。(略)」(岩p.332)
「司法主がおっしゃったように、私どもはたいした事件だと思っておりません。(略)」(ちp.338)

ちょっと火をいじったぐらいのことで、(岩pp.332-33)
ちょっと火いじりしたくらいのことで、(ちp.338)

家庭関係と向性の概略(岩p.333)
家庭関係と性向の概略(ちp.339)

 これは、熟字として一般的な「性向」に直したものか。

学院では三人預っております(岩p.334)
ちp.340は削除

これはもう猥雑なものなのでしょうが(岩p.334)
ちp.340は「これはもう」を削除

生長期(岩p.335)
成長期(ちp.340)

 「生長」は植物のそれをいう、といった言説がいつ広まったのかは不明だが、一般的な表記に直したものか。

いまもいいましたように、すこし美しすぎるので、(岩p.335)
いまも申しましたように、母親というのは、美しすぎるせいか、(ちp.340)

かえって不安になるくらいです(岩p.335)
かえって不安になることがあるくらいです(ちp.341)

ポン引(岩p.336、2箇所)
パイラー(ちp.341,342)

 中公文庫版、文芸文庫版ともども「パイラー」。初出が「ポン引」だったことからすると、あるいは「バイラー」の誤記か。国書刊行会の定本全集でどうなっているかは確認していない。

初発の電車(岩p.336)
始発の電車(ちp.341)

 「間もなく始発が」(岩p.344)という箇所もあるので、改稿時点でこちらに揃えたのだろう。

あれは母の手にかかって、殺されたことのある子供なんです。(岩p.336-37)
あれは、母の手にかかって、殺されかけたことのある子供なんです。(ちp.342)

島北の台地のパンの樹の下で苔色になって死んでいました(岩p.337)
島北の台地のパンの樹の下で苔色になってころがっていました(ちp.342)

 以上2箇所は、実態に即した表現に改めたものか。

あれは、どこにおりまか。こんどの事件はどういうことだったのか、よく聞いてみたいと思うのですが(岩p.338)
あれは、どこにおりましょうか。どういうことだったのか、よく聞いてみたいので(ちp.343)

巣箱の穴のような小さな窓から(岩p.338)
巣箱のような窓から(ちp.343)

「太郎、水を汲んでいらっしゃい」(岩p.339)
「太郎さん、水を汲んでいらっしゃい」(ちp.344)

おどおどして、母の顔色ばかりうかがうようになった(岩p.339)
おどおどしながら母の顔色うかがうようになった(ちp.344)

当り」
 と太郎は心のなかでつぶやいた。(岩p.341)
「当り」……と太郎は心のなかでつぶやいた。(ちp.346)

たった一度だけだったのにいったい誰から聞いたんだろう。(岩p.341)
たった一度だけだったけど、誰から聞いたんだろう。(ちp.346)

ぼくは母の顔を見るために、花売りになって母のバアへ入って行った。八時から十時までの間に五回も入った。(岩p.342)
母の顔を見るために、花売りになってそのバアへ行った。八時から十時までの間に、五回も入ったことがある。(ちp.347)

それは誤解……ぼくはアルバイトなんかしていたんじゃない。(岩p.343)
それは誤解……アルバイトなんかしていたんじゃない。(ちp.347)

 以上2例は、地の文でやや過剰にあらわれる「ぼく」を極力排除しようとしたものか。

それはたいへんなまちがいだった。(岩p.343)
それはよけいなことだった。(ちp.347)

その運転手
「知らなかったら、教えてやろう。こんなにするんだぜ」(岩p.343)
その運転手
「知らないなら、教えてやろう。こんなふうにするんだぜ」(ちp.348)

汚ない、汚ない、汚なすぎる。(岩p.343)
汚い、汚すぎる……(ちp.348)

太郎はロッカーから母の写真や古い手紙をとりだして、時間をかけてきれぎれにひき裂くと、炊事場の汚水溜へ捨てた。(岩p.344)
ロッカーから母の写真や古い手紙をとりだすと、時間をかけてきれぎれにひき裂塵とりですくいとって炊事場の汚水溜へ捨てた。(ちp.348)

保線工夫がぼくを抱いてホームへ連れて行くと、駅員にこんなことをいっていた。(岩p.345)
保線工夫が太郎を抱いてホームへ連れて行くと、駅員にこんなことをいった。(ちp.349)

 こちらは、地の文を心内文ではなく客観的な記述に改めている。

警察では、正直にさえいえばゆるすといっている。言わないと罪になるぞ(岩p.345)
p350は「言わないと罪になるぞ」を削除

「死刑にしてください」
 だしぬけに太郎が叫んだ。
「死刑にしてくれ、死刑にしてくれ」
 ヨハネは、
「ま静かにしていろ」
 いって、部屋から飛びだして行った。(岩p.346)
 太郎は、だしぬけに叫んだ。
死刑にしてください……死刑にしてくれ、死刑にしてくれ」
「ま、静かにしていろ」
 ヨハネそういって、あわてて部屋から飛び出して行った。(ちp.350)

なにかうんと悪いことをすれば、だまっていても政府がぼくの始末をつけてくれる……(岩p.346)
なにかうんと悪いことをすると、だまっていても政府が始末をつけてくれる……(ちp.350)

撃鉄をひいた。(岩p.347、2箇所)
曳金をひいた。(ちp.351、2箇所)

 これは、適切な表現に改めたものだろう。

正面の壁が壁土の白い粉末を飛ばした。(岩p.347)
正面の壁が漆喰の白い粉を飛ばした。(ちp.351)

 この他、表記の違い(岩p.337「駒結び」:ちp.342「細結び」など)や読点の位置などの違いも複数あるが、改稿版は概して簡潔を旨としていることがわかる。また川崎賢子氏が指摘するように、「何度書き直しても、ちょっとした誤字や誤記が改まっていな」いこともあるし、「誤記にみえるものが実は巧妙なもじりであったり、パロディーの仕掛けなのかもしれない。表記の揺れにも意味があるのかもしれない」(「解説」『墓地展望亭・ハムレット 他六篇』岩波文庫2016)。だから「パイラー」なども実はこのままでよいかもしれない。
 しかし厄介なのは、編集サイドもミスをおかすということで、都筑によれば、「ハムレット」には長らく次のような誤植が残されたままになっていた。

 久生十蘭の傑作短篇「ハムレット」では、博文館の「新青年」に最初に発表されたときからのもの、と思われるミスが、三一書房で全集が出るまで、ずっと持ちこされていた。「ハムレット」の登場人物のひとりの衣裳の描写に、
「パイン・ツリー・スーツ」と緑色のスキー服の変り型、
 という言葉があって、全集以前はどの版も、変り型にラアンシイというフリガナがついていた。変り型を意味するラアンシイという言葉はない。これはファンシイの誤植なのだ。さいわい三一書房版の全集には、私が参画していたので、訂正することが出来て、それが最近の教養文庫版にもおよんでいるが、初出かならずしも信頼できない好例であろう。(都筑道夫『推理作家の出来るまで 上巻』フリースタイル2000:175-76)

 ちくま文庫や文芸文庫にはもちろん「フアンシイ」のルビ有、しかし岩波文庫の『墓地展望亭・ハムレット 他六篇』は、当該箇所のルビを(おそらく意図的に、だろうが)省いている。

久生十蘭短篇選 (岩波文庫)

久生十蘭短篇選 (岩波文庫)

紙つぶて―自作自注最終版

紙つぶて―自作自注最終版

推理作家の出来るまで (上巻)

推理作家の出来るまで (上巻)

*1:そのうちの1枚は、『久生十蘭―評する言葉も失う最高の作家』(河出書房新社2015)のp.87で見ることができる。十蘭はこの作品を六度(七度?)も改稿したらしい。

*2:神奈川近代文学館」館報第139号p.4

*3:2018.1.20付「朝日新聞」三十一面(東京版)。

*4:展覧会で知ることとなったのは、この単行本(文庫版にも)に収められた久生幸子「あとがき」が、どうやら「婦人公論」に発表されたエセーを元にしているらしい、と云うことだ。

*5:薔薇十字社版『黄金遁走曲(フユーグ・ドレエ)』(1973年刊)の解説。

*6:『肌色の月』(中公文庫1975)の解説。

*7:最近では、『久生十蘭ジュラネスク』(河出文庫2010)に収められた。

*8:「無惨やな」と同じく『姫路陰語』に材をとっている。

*9:久生十蘭―評する言葉も失う最高の作家』河出書房新社2015所収pp.88-93「『無惨やな』について」。初出は「ユリイカ」1989年6月号。

*10:教養文庫版『無月物語』の解説。わたしは未読である。

*11:このエセーの中に「獅子文六の『八時間半』」(p.11)というミス? がある。千野氏は、同年2015年の5月に復刊された獅子文六の『七時間半』(ちくま文庫)の解説も担当した。

*12:映画化にあたっては、作中の母親のイメージが「聖母」的なものへと変更がなされており、十蘭もそれを諒承したという。